『第92回・せともの祭り』が2023年9月9日(土)、10日(日)に開催された。
そもそもの始まりは、量産物の2等品や半端ものを安くして在庫整理する廉売市、そして見本市でもあった。
江戸時代末期、瀬戸の陶工、加藤民吉(かとうたみきち)が九州は有田(磁器の産地)で磁器の技術を学び、陶器の瀬戸に磁器を広めた。
ゆえに彼を磁器の祖(磁祖)とし、招魂する意味もあったのだが、まあ商魂の方が圧倒する(笑)。
その昔、あの加藤唐九郎(陶芸家)も出品していたらしい。
さて今回、工房仲間の3人で出店。
仲間のうち1人は「ポタリー木」という屋号で活躍中である。
もう1人は、以前有名な陶芸家の下で修業していたことがあり、現在は会社員をしながら週末に作品を作っている。
なので2人には作品が十分あるが、自分は小品精鋭と思い2回焼成したが満足のいく結果とはならなかったので、昔のものをかき集めて何とかである。😅
今回の屋号『ポタリー窯風』については、これから先どう続いていくか未知数だったのでせともの祭り用に新しく考えたものだ。
○○窯という屋号が多い中で、窯風とはなかなか良いのではないかと思っている。広い意味で窯業の風よ吹け!
ポタリーは古いフランス語からきているらしいが、意味は陶器、陶芸、陶器製造など、セラミックスも意味はほぼ同じ。chaina(チャイナ)にも陶磁器という使い方がある。
japanに漆、漆器という意味があるように。まあ、身近なものには類語が多いものだ。
祭り前夜にテントを運び、翌早朝、交通規制のかかる前に作品の入ったサンテナを運ぶ。
まずはテントを立てる。便利なポップアップテントが多い中、運動会・イベント用の白テントだ。ずいぶん昔自前で買ったものが役に立つ。ただ重い!😁
それぞれが作品を並べる。作風によって何となく場所が決まる。
9時からのスタートなのだが、やきもの好きはすでにあちこちのテントを物色し始めている。駐車場も少ないので早めに来るのだ。
良いものは、それなりの値段でも売れていく。長年出店している作家にはファンがいて、新作などを楽しみにして数万円のものでも売れるのである。
祭り全体は、量産の陶磁器、作家モノ、テキヤのテントが並ぶ。その昔参加したときはその並びが無茶苦茶と言っていいほどだった。
食べ物屋の隣になると目的の違うお客さんが押し合いへし合いとなる。当然のようにトラブルが色々とあり、整理されて今日に至る。
メンバーの2人。右の女性がポタリー木の主、陶芸家として活躍中。😀
初日の天気は、晴れ。人多し!暑い!水分補給!😅
メインは瀬戸川沿いにお店が並ぶ。自分たちは尾張瀬戸駅横のビルに面している。
左のビルは、今月オープンしたルートインホテル。
ジブリパークへのお客さんを当てにしているとかいないとか。パークまでここから車で20分かからない。
コロナが終わった訳ではないが、マスクしている人はかなり少数。
また、コロナ以前は夜8時までの開催だったが、昨年からは夕方6時で終了に変わった。
午後4時前。人の波は途切れない。
と言うか増えている!
祭りは友人、知人が集まる場でもある。教室をしている彼女は生徒さんが入れ代わり立ち代わり、お話楽しそう。
窯業専門校で同期の彼には、勤め先の社長さんが見に来たり(笑)。もちろん作品に興味・関心をもってお話しするお客さんも。
初日は午後6時に閉店。いったん作品を仕舞う。
最終日が花火だと思っていたが、初日だった。
6時半から45分間ではなく、6時45分までと言う15分間の短さ。まだコロナの影響が残っている⁈
交通規制した交差点に大勢の人が座って花火を待っている。自分は帰り道の途中で(笑)。
別の角度から、なんか家の明かりとイイ感じ。
しっかりと花火を見たのは久々。今年見る花火、最初で最後かな。花火が上がらないパンデミックは、なかなかのもんだったな。
今はヨーロッパの戦争が大変だが、コロナが続いていたら戦争は起きなかったかもしれない。どちらも困るけど。
同じ火薬でも花火が断然良い。😎
翌日の朝。青空だ。
さあ、2日目がんばろう!
自分は売るのが目的と言うより、陶芸活動のリハビリなので過去作品で手前の大皿を持参した。
技術的には、レリーフのようにカンナで彫り、釉薬を厚めにかけて濃淡を出している。
自身でもまずまずの出来栄え。何人かのお客さんが、至極感心されていたのが嬉しかった。
『お金持ちなら買えるけど』とおっしゃるご婦人に・・・感謝。😄
青瓷蔦紋大皿(せいじつたもんおおざら)
径41.3㎝ × 高5.4㎝
さてさて、天気予報では午後に通り雨が来る。せともの祭りは必ず雨が降るという伝説がある。
先に書いた加藤民吉にまつわる話である。九州で修行していたころ、当地で奥さんをもらう。
修行を終えた民吉は、磁器の製法を瀬戸に広めるため、奥さんと子供を残して一人瀬戸に帰ってきたそうだ。奥さんは民吉を追って瀬戸まで来たそうだが、
村人は九州に連れ戻されるのではないかと心配して、いろいろ理由を付けて会わせなかったそうな。
悲しみに暮れた奥さんは、入水して自ら命を絶った。それ以来せともの祭りの時は、必ず奥さんの涙雨が降るようになったと。
伝説なので、実際は色々と矛盾があり真実とは異なるようだ。しかし、雨は降るのである。瀬戸の人間はそう信じている。
心の奥底に瀬戸人としての何とも言えない気持ちを抱えている。
なので磁祖と敬われ瀬戸焼に貢献したにもかかわらず、民吉グッズも民吉饅頭も瀬戸にはないのかもしれない。🙄
興味深いことに修行先の有田では、民吉最中が売られ、♪~民吉よか男~って盆踊りまであるそうだ。
ちなみに民吉最中を食べたことがあるが甘さ控えめで美味しかった。😆
雨雲が厚くなってきた。ぽつりぽつりと振り出したかと思った次の瞬間一気に土砂降り、雷も響き、おまけに風が強く横殴りの雨。
祭り開催中に降る雨としてこれほどの強い雨は何年ぶりだろう!
しかも5分、10分で止むかと思えば40~50分続いた。
駅隣接のビルは、身動きできないほどの雨宿りの人々。丁度、同じフロアにあるコンビニからで出ようとして動けない。😫
なんとかテントに戻る。風が強くテントが浮きそうである。3人で必死にテントを抑える。
自分は備えでカッパを持って来ていたがここまで降る予想はしていなかったので上着だけ。
テントの梁にぶら下がるぐらいでい必死で抑えたが、横殴りの雨でズボンは、びっしょり。早く止んでくれることを願いつつ耐える。
左端が自分(笑)。
テント内には避難してきたカップルが2組ほどいたが、一組はいつの間にか脱出していった。
小降りになった。やれやれである。最後まで残っていたカップルは気を使ってくれてポタリー木の作品をお買い上げ。アリガト。
最終時間は5時半だが、もうお客さん来ないかと思っていたら然(さ)にあらず。
どんどん出てきた(笑)。
各テントも最後の追い込み。食べ物系は大変である。
午後5時半終了。
片付け搬出が一斉に行われる。テントは濡れたままたたむ。明日明後日も雨模様。晴れたら干さないと。
こうして2日間のせともの祭りは終わった。昭和初期のころは3日間もあったそうだ。かなりの気合だ(笑)。
祭りを終えて、陶芸にしっかり取り組まねばと思った次第。自分の作品はいわゆる今どきの売れ線ではない。どちらかと言えば伝統系。
それでも、青磁の煎茶碗などが売れたのは励みになった。自分でもまずまず良しと思ったものは、求める人がいるのだ。
来年も参加できるように・・・今からだな。😎
夏の終わり、工房の片隅に朝顔が咲いていた。
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