狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

別海町産業祭

2012年09月16日 | 道東紹介
9月15日16日と別海町産業祭が開催されました。友人曰く「別海町の人口密度を見る祭り」だそうです。
少し曇り空でしたが、暑くなく野外の催しには結構です。入り口付近で友人の姿を見たので早速訪問しました。いつ飲んでも別海町の牛乳は美味しい。
珍しいのはテトラの牛乳を売っている事です。全国的にも少ないようです。次は真烏賊や花咲き蟹を売っている漁業コーナーです。烏賊は採れたての為真っ黒です。これは1箱買い友人に送りました。
美味しいのですが、手が臭くなるのでパス。
その次は玉ねぎと馬鈴薯です。値段が信じられますか。お百姓さんは決して儲け過ぎているのではないのです。流通で高くなるのです。
拡声器が鳴っています。輓馬競争が始まるようです。この町からも選手が出ています。小生も地元の馬を応援しました。

登りきれなかった馬もいました。思いっきり鞭で打たれ、坂の横へ逃げていました。杜子春を思い出し可愛そうになりました。

人の少ないコーナーへ行くと写真の機械が並んでいました。凄く大きいなコンバイン(農業用は皆コンバインと思っている)ばかり。何に使うのか分からないアタッチメントもありました。
そうそう、これも初めてでした。バター造り体験です。コップ状の容器に牛乳が半分ほど入っています。シャカシャカと揺すっていると、あら不思議、バターになります。
できたバターはいただけます。もちろん無料です。
楽しい「別海町産業祭」でした。来年も全国よりのお客様で大繁盛でしょう。

中国の友人たちへ ②

2012年09月16日 | スピーカーズ・コーナー
連日報道されるのは暴徒と化して日本商店を襲い略奪する民衆である。よく見ると若い人である。
この若人は略奪後どうするのだろうか。胸がスカッとした、さて、その次である。今日よりなお過激な行動に走るのだろうか。ネットの指示によりデモに行くのだろうか。自分たちのデモにより日本は恐れをなし、尖閣諸島を差し出すと思っているのだろうか。
日本にも戦後、60年安保や過激派の闘争があった。東大・安田講堂の攻防戦もテレビで中継された。ゲバ棒をふるった若人も現在は耳従う歳かな。
さて、歴史で見ると闘争の先頭に立ち血を流し、英雄になるのは若人であるが、その後の世界を設計するのは老人である。
中国の友人たちよ、君たちの後ろをよく見てほしい。「愛国無罪 救国入獄」のような甘美な言葉には、決して心許してはなりません。世界で大多数の国は法治国家なのです。文化大革命や下放青年の末路は日本人よりよく知っているはずです。純真な雷峰でさえプロパガンダの種にされたでしょう。日本デパートのロレックスを愛国的に強奪しても党員にはなれません。兵士にはなれます。中国の諺に「いい鉄は釘にならない」があるでしょう。
君にとって釣魚島は命を懸けるほどの価値がありますか。もしあると答えるならば、一度世界を見てほしい。アメリカ、アラブの国々、イスラエル、アフリカの国々、バルトの国々、日本を見てほしい。そして君の国、特に自治区と言われている場所をもう一度しっかり見て下さい。なすべき事が見えてくるはずです。問題がどこにあるか、自分の不満が日本・釣魚島に起因しているのか、賢明な諸君は承知していると思います。それでいて、日本商店を破壊していては辮髪を置いた中国人です。おそらく生涯に一度も上陸しない釣魚島の為にデモをして、列車事故(2011,7,23)の原因究明にデモはしないのですか。だから君たちは憐憫の目で見られるのです。

日本人も「目には目の」論理に走らず、ここ一番自重してほしい。あの中国の若人より、たくさんの世界を知っているはずだ。
過去の歴史で偏狭な国粋主義に走り大局を見誤った事があります。ならぬ堪忍するが堪忍、古い格言ですがお願いします。
先の戦争を決して否定しません。日本に突き付けられた欧米の要求がいかに過酷であったかわかります。しかし、結果として幾百万の日本人の命によって解決を待たねばならなかったのです。沖縄でどのような悲劇があったか、ソ連の侵攻によって満州や樺太で多くの犠牲が払われました。大陸からの引揚者に中国・朝鮮の民衆は何をしましたか。屈辱の焼け跡で我々は何を誓ったか思い出す必要があります。その誓いこそ日本国憲法と信じます。

ここに一枚の写真を掲載します。早朝の公園でラジカセの曲に合わせで仲良くダンスに興じる中国人です。

このような人々が中国国民の大多数であると思いたい。いや今日の状況でも、そうであると信じています。
そして中国の自然は雄大で美しい。これからも何度でも訪問したい国です。しかし暴徒と化す若者が中国の多数となる数年後、私が愛する友人たちは何処にいるのだろう。

最後が「没法子」では情けない。祈るような思いでこのブログを書いている。