日本被団協がノーベル平和賞を受賞した。被団協は、核被害者の立場から、世界の核廃絶に向けて粘り強い運動を続けてきた。そのことが評価され、平和賞としての価値あるものと認められたのだから、それ自体は、非常に喜ばしい。しかし、この受賞は「おめでとう。良かったね」だけでは済まない、数多くの問題を、現実にはさらけ出している。
「物議をかもすような選択を避けた 」
英BBCは、「パレスチナ人を支援する国連のパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が有力候補として検討されていると、広く取りざたされていたが、 物議をかもすような選択を避けた 」という見方があることを紹介している。どういうことかと言えば、欧米政府の大半は、ガザで虐殺を行っているイスラエルを擁護しており、UNRWAにはハマスと繋がりある人物が混ざっているとして、UNRWAにノーベル平和賞を与えるなとという署名が集まる動きがある。UNRWAはパレスチナ人救助活動を行っており、UNRWAを支持することは、イスラエルを敵視するパレスチナ寄りだと見做され、批判されるので、
「物議をかもすような選択を避けた」ということである。
確かに、この指摘は的を射ている。被団協の平和賞受賞は、現実に起きているロシア・ウクライナ戦争にもイスラエルのガザ、西岸地域、レバノン、イラン、イエメンの攻撃には、何の影響も与えないからだ。これらの現に起きている戦争に影響を与えるような平和賞ならば、どちらの立場に立つかで、賛成・反対が起こり、「物議をかもす」のは避けられないからである。
現実の世界は、核戦力の増強に動いている
この受賞に対して、首相の石破茂は、被団協の田中熙巳代表委員に「祝意」を表す電話をかけた。勿論、アメリカの核兵器の日本との「核共有」論者の石破の「祝意」は単なる儀礼であり、本音は核廃絶などまったく眼中にないのは明白である。日本政府が、核兵器を包括的に法的禁止とする初めての国際条約である核兵器禁止条約TPNWを批准しない姿勢を変える気はまったくないのである。
世界の保有核兵器弾頭数は、1980年代の7万発から2023年で1万2千発と冷戦期と比べると総数は大幅に減少している。しかしこれは、「冷戦時代の兵器の廃棄が進んだことにより、核弾頭の総数は減っているものの、運用可能な核弾頭数は年々増加し続けている」( ストックホルム国際平和研究所 ダン・スミス所長 )であって、特に、近年の中国の核弾頭数増加に対抗してアメリカは核兵器の近代化・強力化を推し進めており、この核兵器の総数に現れない強力化は世界核兵器保有国の共通した動きとなったいる。
核兵器は通常兵器の延長線上にある
核兵器も使用が人類史上最悪の、桁違い被害をもたらすのは言うまでもない。核兵器は、通常兵器にはない核汚染、放射能被害を与え、戦争が終わった後もその傷痕は消え去ることはない。その被害者である団体が、核兵器の恐ろしさを粘り強く世界に訴え続けることは大きな意味を持つ。しかし、現実には、核兵器は通常兵器の延長線上にあるのは、核保有国が強大な通常兵器所有国であることを見ても明らかである。核兵器を保有するが、通常兵器は弱小などという国にはない。それは、敵と見做す相手国の武力に対し、武力によって自国を防衛するという「抑止」という論理から離れられず、通常兵器だけでは「抑止」できないので、核兵器の保有が必要という論理に陥るからである。
プーチンは、NATO諸国がロシアより通常兵器で戦力が上回るので、NATOのウクライナ軍事支援に「核の脅し」をかけているのである。冷戦期に、NATOはソ連の戦車部隊を中心とする強力な通常兵器の攻撃には、核兵器使用も辞さないという姿勢を公言していた。それらは、通常兵器よりもさらなる強力な「抑止力」として、核兵器があるのを意識してのことである。
冷戦期の後半には、「緊張緩和」の気運が高まり、レーガン・ゴルバチョフ会談によるINF(中距離核戦力)条約の署名など、核軍縮の動きが見られた。それは、武力による対決を否定し、外交交渉による軍備管理・軍縮,地域紛争,人権問題の解決を選択した結果である。冷戦の終結後、核兵器禁止条約NPT
2017年7月に国連総会で賛成多数で採択され、2020年10月に発効に必要な50か国の批准に達したため、2021年1月22日に発効した。 それは、多分に非核兵器保有国である西側・中ロ以外のグローバル・サウスに代表される国々の力が増したことの影響でもあるが、何よりも、冷戦終結後の軍事力によらない国際問題の解決の気運の高揚によるところが大きい。
このように、核兵器は決してそれ自体で独立した存在ではなく、核兵器は通常兵器の延長線上にあり、通常兵器の縮小の動きがなければ、核兵器の使用禁止は有り得ない。通常兵器の縮小、すなわち軍縮は、「緊張緩和」、対立する国家ないし勢力どうしが、外交交渉によって武力によらない問題解決を探る手段以外に道はない。それは、世界大戦や冷戦期の人類の教訓でもあるはずだ。その教訓を人類は忘れ去っているのだ。
ガザの市民は、核ではなく通常兵器で殺されて、幸せ?
被団協は、No More Hibakusha 、No More Hiroshiama Nagasaki と叫び続けるが、必ずNo More Warという言葉も忘れない。被団協自身は、核による被害が通常兵器よる戦争の延長で引き起こされるのを理解しているからだ。被団協の箕牧智之代表委員が、受賞後「パレスチナ自治区ガザ地区で、子どもが血をいっぱい出して抱かれているのは、80年前の日本と同じ、重なりますよ 」と言ったのは、核兵器の被害者も通常兵器の被害者も惨たらしく殺されることには変わりはないという意味を持つ。広島・長崎で原爆で殺された市民も、東京大空襲で焼き殺された市民も、惨たらしく殺されたことには変わりはないからだ。
この代表委員の言葉に、イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使は 「不適切」と非難した。これは、ジェノサイドを正当化して憚らない自国の政権によって任命された大使の発言としては自然なものだろう。しかし、世界最強の核戦力を保有するアメリカ大統領のバイデンが、10月13日、「核なき世界」の実現に向けた決意を強調し、被団協の平和賞の受賞決定に祝意を示したことほど矛盾した行為はない。ガザの悲惨な状況で言えば、イスラエルの民間人殺害に懸念を口にしながらも、その虐殺に使用された武器の大半を提供している人物なのである。アメリカは、イスラエルへのガザ侵攻後も同国への軍事支援の縮小などまったくしていないのだ。これは、殺人犯に銃やナイフを提供しなかがら、人殺しは良くない、と言っているようなものである。
バイデンは、世界を「民主主義対権威主義」で二分し、ことさら対立を煽り、武力による対峙を招く世界に誘導した。勿論、バイデンだけでなく、プーチンは愚かにも戦争を選択し、習近平も武力による解決に軸足を置いており、こぞって軍事力拡大に乗り出している。また、ヨーロッパ諸国もインドやアジアの多くの国も、「防衛力の強化」と軍事力拡大を正当化している。軍事力拡大からは、核兵器だけを除外することはできない。その武力による国家間問題の解決という姿勢は、核兵器の廃絶の方向性とは正反対を向いているとしか言いようがないのである。