夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「日本は、アジア版NATO(?)の最前線基地となる」

2022-05-28 08:58:55 | 社会
 

 5月23日、アメリカのバイデンが韓国訪問後、日本にやって来た。日本を対中国・北朝鮮の軍事拠点として強化するためである。欧州をNATOによって要塞化に成功したバイデンは、アジアでも同じことを目論んでいる。そこには、対ロシアとの戦いを「自由民主主義」対「専制主義」としたことで、ロシアと同様に中国を「専制主義」国と見做す戦いは、対ロシアのやり方と同じものとするアメリカの論理が完全に露出している。
 アメリカのロシアとの戦い方は、敵と見做す国を強力な軍事ブロックによって包囲し、その脅威に反発した相手を、徹底して非難することで同盟国の支持を取り付け、自らの好戦的体質を隠蔽し、「正義の味方」を演じながら、相手を壊滅させるというものである。そしてできる限り、自国の兵士を使わずに、戦争に勝つことが望ましい。それは、第二次世界大戦後、他国に類を見ないほど突出して世界中で戦争を繰り返し、その都度自国民の犠牲の大きさから反戦の動きが大きくなり、政権存続に赤信号が灯るということを嫌った「知恵」である。
 このロシアへのアメリカの目論みどおりに進んだやり方を、アジアでも再現する、それがバイデンが韓日を訪問し、米日豪印のクアッドを日本の首相官邸で行った目的である。
 もとより、アメリカにとっては、遅れて台頭してきた帝国主義的資本主義大国である中国を弱体化せることは、帝国主義間の資本間競争という意味で、至上命令と言える。それは、ロシアのGDPが国別順位で11位、アメリカの10分の1以下であるのに対し、中国のGDPは、現在は2位だが10年後にはアメリカを超えるのが確実なほどの勢いを持っていることを見れば理解しやすい。このままでは、アメリカ資本は衰退の一途をたどるのである。勿論、それが共和党トランプ支持者の自分たちの困窮をワシントンを表象とする既成勢力のせいにする怒りのもとであり、共和党の支持拡大の原動力になっているのである。それを、バイデンの属する「リベラル」なアメリカ民主党主流派としては、見過ごすことはできない。当然、中国の弱体化は、最優先課題とならざるを得ないのである。
 そのことは、ロシアが非経済大国で軍事力だけ突出しているのに対し、経済力も軍事力もアメリアを凌駕する勢いがある中国には、経済ブロックの強化も欠かせないことを意味している。それが、バイデンが熱心に進めるインド太平洋経済枠組みIPEF になって現れているのである。

 
 軍事ブロックの正当化という虚言
 アメリカは、NATOの東方拡大で対ロシアへの軍事的包囲を進めてきた。それを正当化しているのは、主要西側メディアの「ウクライナが侵略されたのは、非NATO加盟国だったから」という言説である。それは、ロシアの侵略阻止には、ヨーロッパ全土をNATOにより要塞化すればいい、という言説につながっている。そして、それがフィンランド・スウェーデンのNATO加盟を後押ししたのが現実である。
 それをアメリカは対中国のアジアでも進めようとし、日本でも極右のタカ派である石破茂等が盛んに喧伝しているのがアジア版NATOである。

 しかし、NATOという軍事ブロックの正当化は、主要西側メディアで盛んに行われているのだが、それと異なる論調のメディアも存在する。ル・モンド・ディプロマティーク日本語版5月号は、ロシア鍋(フランス語版ではLa Caseerole Russse ロシアのキャセロール鍋料理のこと。鍋料理を火にかけ、そのままにしておけば、煮えたぎり、危険な状態になるという比喩)という記事で反論している。
 そこでは、「ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反であり、そこで行われた戦争犯罪を正当化するものは何もない。」と前置きしながらも、軍事ブロックの強化、つまり現実に行われたNATOの東方拡大が持つ危険性が、かねてから指摘されていたことを強調している。それは、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー 教授の「ウクライナ戦争勃発の第一の責任は米国にある」 という発言だけでなく、数多くのNATOの拡大方針に反対する意見が少なからずあったこを物語っている。それは以下のようなものである。
①冷戦時のアメリカ外交政策官ジョージ・F・ケナン 「NATOの東方拡大は、ロシアとソ連の歴史についてあまりにも理解がないことを示しています。当然、ロシアは敵対的反応をするでしょう」
②ウィリアム・J・バーンズCIA長官 「ウクライナのNATO加盟は(ロシアの)最も敏感な“レッドライン”を侵すことになります。(中略)私の知る限りすべての人が、このプロジェクトをロシアの利益に対する露骨な挑戦以外の何ものでもないと見ています」 
③元駐ソ連米国大使ジャック・F・マットロック 「NATOに新たな加盟国を迎えるという政府の勧告は間違い」「ソ連崩壊後我々の安全保障にとって最悪の脅威となる連鎖反応を引き起こすおそれがあります」 「ウクライナをロシアの勢力圏から引き離そうとする試み(“色の革命”の支持者が標榜した目的)は愚かで危険な行為だった 」
④米共和党大統領候補パトリック・ブキャナン 「NATOをロシアの軒先まで進めたことで、我々は21世紀の対決のもとを作った」
⑤言語学者ノーム・チョムスキー 「ウクライナが西側の軍事同盟に加盟するという考えはロシアの如何なる指導者にとっても全く受け入れがたいものでしょう」
 これらの意見は、ロシアの侵攻以降、主要西側メディアでは、「ロシアのプロパガンダ」と扱われるが、侵攻以前は、傾聴に値するものとして多くのメディアで登場していた。それは西側の多くの国で、ウクライナのアゾフ大隊が危険な民族主義過激集団(ネオナチとまでは言わないまでも)として扱われていたが、侵攻後一斉にその扱いが消されてしまった(日本の公安調査庁でも削除された)ことと同じである。まるで、歴史修正主義者が「南京大虐殺はなかった」「アウシュビッツは、ソ連の捏造で本当はなかった」と、都合が悪いことはなかったことにするかのように、である。
 実際に起きたのは、これらの危険性の現実化だったのである。ロシアを敵と見做して自分たちを軍事ブロックで要塞化すれば、ロシアも同様な行為に出て、いくらNATOは防衛的だと叫んでも相手は信用せず、攻撃される前に攻撃したいという欲求が抑えられなくなる。それが、プーチンの狂気となって噴出したのである。
 そもそも、軍事力による侵攻の抑止は、侵攻されれば、反撃できる強力な武力を保持することとその武力を使用する意思を相手国に示すことの両方によって成り立つ。反撃する能力と意思を相手方に理解させることで、相手方の侵攻を事前に抑止する、という考え方である。それは防衛目的と言っても、当然、相手国内の基地への攻撃能力も含む。現実に、NATOも中国もロシアもスウェーデンも敵基地攻撃能力を有している。そこには、互いに相手を信用していないので、相手が先に攻撃してくるかもしれないという疑心にかられる危険性が潜む。それは一種の綱渡りであって、いつ転落してもおかしくない、つまり開戦の危険性が永続することになるのである。

 アジア版NATOではなく、日本だけが米軍の最前線基地化へ
 アジア版NATOが創設されれば、対中国との関係に、同様の危険性が生まれることを意味しているが、アジア版NATOの創設と言っても、アジア諸国はアメリカ一辺倒にはならない国がほとんどである。現在のアメリカとの軍事同盟は、アジア太平洋地域では、ANZUS(米豪ニュージーランド)、AUKUS(豪英米)、日米安全保障条約、米韓相互防衛条約、台湾関係法、米比相互防衛条約があるが、クアッドのインドにしても、アセアン諸国も等距離外交を機軸としているので、アメリカ政府の言いなりにならない。太平洋地域のニュージーランドの労働党政権も、今のところ反中国のオーストラリア新労働党政権もアメリカ一辺倒とはならないだろう。韓国新右派政権もアメリカ重視を打ち出しているが、「共に民主党」系の野党勢力も強く、新政権の思いどおりにはなりにくい。結局、アメリカ政府に好都合で言いなりになるのは、日本政府だけである。ここに、日本が対中国・北朝鮮のアメリカとの軍事同盟の最前線になる危険性があるのである。
 自民党は以前から、現行憲法内であろうが、改憲後であろうがおかまいなしに、日本の敵基地攻撃能力を模索し、それを「反撃能力」と言い換え、軍事力強化に邁進してきた。現に、岸田首相は、日米首脳会談でバイデンに「検討」を約束するなど、アメリカの軍事戦略に呼応して、日本の最前線基地化を推し進めている。このまま進めば、日本の最前線基地化は避けられないだろう。
 
 今頃、危険性に気づいても遅い
 朝日新聞は、5月25日の天声人語で、「ロシアの蛮行を許した背景には」「米欧はNATOを東へ東へ拡大してきた。国民に被害者意識をあおるプーチンに勢いを与えた面もある」と、この新聞では初めて、NATOの東方拡大を問題に挙げた。ウクライナ問題では、ひたすらロシアだけが悪いと強調し、アメリカ政府高官・政策ブレインや日本の防衛研究所教授、右派論客などの論説しか載せず、アメリカ政府の広報のような報道しかし来なかったことを考えると、大きな変わりようである。恐らくは、欧米のNATOによるロシアへの封じ込めが、対中国にも応用され、軍事力強化による対応をアジアでも適用してくることの危険性に、ようやく気づいたのだろう。
 5月26日になって日本共産党「赤旗」電子版も、アメリカの軍事戦略と呼応した形の敵基地攻撃能力を「米国の戦争で発動の危険明白」と書き始めた。この新聞も、ロシアの侵攻以後に限れば、「ロシアだけ悪い」論に沿って、NATOの動きを一切批判しなかったにもかかわらず、である。
 これらのことは、戦争の善悪だけを問題にし、そこに至る過程は無視し、それを問題にするのは、侵攻の正当化だなどと主張していた日本の「護憲・平和」勢力は、その主張を変えざるを得ないことを意味している。
 「ロシアだけが悪い」と、相手を悪魔のように罵れば、そこには外交的解決などという手段は出てこない。悪魔との取引などあり得ず、力によって自らを守る、さらには力によって「悪魔」を壊滅させるという発想しか生まれない。それがヨーロッパで現実になったのである。当然それは、対中国・北朝鮮にも応用され、軍事力に依存する姿勢を強固にする。それに、今頃気づいても、遅い。


 7月の参院選では、軍事力強化方針の自公維が圧勝するだろう。日本の軍事力は、既に世界第5位(軍事分析会社グローバル・ファイヤーパワー による)にまでなっているが、さらに強化され、日本は最前線基地化に邁進することになるのである。勿論それは、アメリカ同様の低レベル社会福祉などの社会の不平等を肯定することを意味し、新自由主義が強化された社会ということでもあるのだが。
 
 
 
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「欧米対ロシアの対立は、ロシア国家の崩壊まで終わらない。核戦争の危機は続く」

2022-05-17 15:51:02 | 社会
 
 ウクライナ戦争は開始以来3か月近く経過し、治まる気配はないが、ロシアの脅威に、5月12日、フィンランドのニーニスト大統領とマリン首相はNATO加盟の意思を表明した。同様に、第二次大戦後、中立政策をとってきたスウェーデンもNATO加盟を表明すると思われる。
 この比較的軍事力が大きく、ロシアと直接、または極めて近い2ヵ国が、軍事的中立から対立を選択したことは、欧米とロシアが、完全に一触即発の状況に陥ったことを意味する。ウクライナもNATOからの大規模な軍事支援を受けており、事実上既にNATO加盟国と同様であるので、欧米とロシア間に、中立の緩衝地帯がなくなったからである。勿論、この状況を作り上げた直接の要因は、侵攻を開始したプーチンの選択である。

 ウクライナ戦争は、ロシア軍の進撃をウクライナ軍が押し戻しているとの報道が多くあるが、ロシア軍も占領地を死守するか、少しでも拡大しようとするのをやめようとする気配はない。AFPWeb日本版は5月13日「ロシアが作戦目標をドンバス地方全域の『解放』に切り替えて以降、戦局はこう着状態に陥っている。 」と書いているが、それは間違いないだろう。
 The Guardianは5月14日、ウクライナ軍のキリロ・ブダノフ少将の「8月に戦争はターニングポイントを迎え、今年中に終わるだろう」という発言を載せている。要するに、NATO諸国からの重火器の供給を含む軍事支援によって、ウクライナ軍は善戦しており、今年中には、ロシア軍をウクライナ領土から排撃できるという見通しである。しかしこれは、大本営発表並みのウクライナ側の希望的観測に過ぎない。
 ウクライナ軍がいくら攻勢をかけても、ロシア軍は最低でも、侵攻前に独立しているドネツクとルガンスクの「人民共和国」、既にロシア領と見做すクリミア半島から撤退することはあり得ない。そこには、西側には都合が悪いことだが、自身をロシア人と認める少なくない住民が存在するからである。それをロシアのプロパガンダとするのは無理がある。フランス公共放送テレビ局は、ロシア側支配地域からの中継で、その住民を映し出しているし、多くの西側メディアも報道しているからだ。それらの住民は、ウクライナ軍が進軍してくれば抵抗する。それを見捨てることは、プーチンだけでなく、多くのロシア人ができないからだ。
 ウクライナと西側政府は、領土の一体性に固執しているので、今さらロシア支配地域を認めることもできず、攻撃をやめることはできない。また、ロシア側が支配地域拡大を目論み、再度攻撃してくるかもしれないという懸念もあり、それも戦闘をやめられない理由の一つになる。NATO諸国は兵器の供給を増やし続けることもできる。だから、ロシア軍をウクライナ領から撃退・放逐するまで戦争は解決しないという論評が、西側メディアでは主流になっているのである。

核戦争の危機を伴いながら対立は、国家としてのロシアの崩壊まで続く
 ロシア側もウクライナ側も、現状では戦争をやめる理由を見いだせないのである。その状況を上記に挙げたAFPの記事は、「泥沼化」と書いている。しかし、それでも数年後には、戦闘は治まるだろう。ウクライナもロシアも「泥沼」にいつまでも嵌っているわけにはいかないからだ。そのまま続けば、ウクライナ側は、兵器の供給が無尽蔵でも、多くの人が死に、生活も経済も破綻状態に陥る。ロシア側も同様に、すべてが破綻し、国家の機能も麻痺状態になりかねない。その時になってようやく、戦争をやめる理由が目に見える形で現れてくるのである。
 その時には、ロシアのプーチン政権も崩壊している可能性はある。しかし、西側が期待する「自由民主主義」の政権は、できそうもない。プーチンの強権政権にとって替わる大きな勢力がロシアには存在しないからだ。西側で著名な「反体制派」のナリヌワイなどは、ロシア国内では、彼を支持する組織としての勢力など存在せず、ほとんど無に等しい。「オレンジ革命」によって東欧諸国が、「自由民主主義」に近づいたのは、それまでのロシアの支配に反発する多くの国民がいたからである。ロシアと異なる方向に向かうことは、国民の共感を得ることができる。しかし、ロシアにはそれは不可能である。ロシアは、ヨーロッパ諸国と異なる独自文化がある。(ウラジミール・イリイチ・レーニンは、革命後、ヨーロッパ諸国に比べて遅れた、民主主義の根付いていないロシア文化を嘆いたが、ウラジミール・プーチンはまさにその「遅れたロシア文化」を体現している。)プーチン政権が崩壊しても、ロシアの敗北的停戦はナショナリズムを刺激し、NATOの軍事的包囲が強いままの状況では、第二、第三のプーチンを生む可能性が高い。仮に、アメリカの「支援」により、「自由民主主義」政権ができても、軍部のクーデターやナショナリストの武装勢力による反乱が起き、ロシアは内戦に陥りかねない。
 いずれにしても、ロシアの将来はどうなるか分からない未知の領域であり、西側の期待する西側の脅威でなくなるような国家となるのは、数年単位では起こり得ず、数十年先の遠い将来のことである。それまでの間、欧米とロシアのは、常に核戦争の危機を伴いながら対立し続けることになる。
 欧米は、常に自分たちにとっての脅威しか問題にしない。軍事費で世界の70%を占める欧米の強大な軍事力が与える相手方にとっての脅威には、まったく無頓着である。対ロシアでも、NATOは今まで軍事ブロックで包囲し、ロシアに脅威を与え続けてきたが、今後はさらに増して、脅威を与え続けることになる。それが、ロシア側の反発を呼び起こすという意見は、左派や一部の研究者からは聞かれるが、それは相手方を利するものとして扱われ、主要なメディアや政府は一顧だにしない。
 ソ連崩壊後、欧米はロシアを経済領域では受け入れたが、安全保障の枠組みの外に置き、NATOによる包囲で対応した。ヨーロッパ諸国は、ソ連の崩壊、東欧諸国の民主化、ドイツ統一等の欧州情勢の激変を受けて開かれた1990年11月のパリ首脳会合においては、東西冷戦の終焉を宣言し、欧州安全保障協力会議CSCEにロシアも招いたが、アメリカは安全保障では、ロシア敵視を変えなかった。ヨーロッパ諸国はアメリカを盟主とするNATOに安全保障を委ねる選択をせざるを得なかったのだ。それは、ソ連崩壊前から圧倒的な軍事力を誇る米軍に、事実上の軍事的主導権を握られていたためである。米軍なしでは、ヨーロッパのNATO加盟国は、軍事的作戦がまったくとれないと解釈したためである。結局、安全保障の枠組みからロシアを排除し、NATOの東方拡大に見られるように、ロシア敵視政策をワルシャワ条約機構の消滅後も継続したのである。危機の原因を作り出した根本的誤りはここにあるのである。
 そこには、特にアメリカ政府の「民主主義対専制主義」で、世界を二分する考えがある。ロシアも「専制主義」国であり、欧米の「民主主義」国の敵だとするものだ。これには、アメリカ流の、かつてアメリカが南米軍事独裁政権や韓国パク独裁政権を支援したようにダブルスタンダードがあり、そこには、実際には対立する資本間の(中国資本対欧米資本のように)競争が隠されているし、「専制主義」と非難することで、アメリカの民主主義の不十分さや不平等社会の実態が表に出ないようにする意図もあると言っていい。さらに、軍事力によってしか、外交問題を解決できないとするアメリカネオコン的発想もある。それが、世界を敵と見方に分け、敵を壊滅するまでは本質的な問題の解決にはならないという思考を醸成する。それが、対ロシアでも色濃く反映されているのである。
 対ロシアの制裁には、アジアやアフリカ、南米の多くの国は参加しない。主要メディアは、それらの国のそれぞれの「事情」を解説するが、概して言えば、アジアやアフリカ、南米の多くの国にとっては、国それぞれに事情があり、単純に「民主主義対専制主義」で色分けすることはできないのである。そもそも、それぞれの国で何が民主主義かは、アメリカ政府が決めることではない。それぞれの国の政治は、アメリカ政府が決めることではない。
 アジアやアフリカ、中東、南米諸国は、多くの場合は、欧米の関与によって、数万人から数十万人の死者を生む戦争を経験してきたし、イエメンのように今でも、その渦中にある国もある。それらの諸国にとっては、今度の戦争は、欧米対ロシアのものであり、それが引き起こす核戦争の危機を含む悪影響が、とてつもなく「迷惑」なだけなのである。
 狂気に満ちた軍事侵攻を選択するロシアに対し、ソ連崩壊後のこれまでの欧米の対応が、間違いだったことだけは明白なのである。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホの世界は、筒井康隆の「にぎやかな未来」になった。

2022-05-12 10:25:02 | 社会
 
 角川書店短編集「にぎやかな未来」

 筒井康隆の短編小説に「にぎやかな未来」という傑作がある。1968年に出版された作品で、広告が氾濫し、人間の生活のすべてにコマーシャルが入り込み、そこから逃れるは困難で、できたとしても高額の支払いが要求されるという未来社会を描いたものである。この文明批判的な示唆に富んだ小説に、現実の世界もそこに近づいたのではないかと思う人も少なくないようで、ネットで検索すると、現実となったと考えるSNSの意見も散見される。
 実際に、特にスマホの世界は、「にぎやかな未来」そのものではないかとさへ思えるものになっている。スマホでgoogleで検索機能を使用する前から、その画面下部には、ニュースに混じって大量のCMが表示されている。検索しても、検索した内容以上にCMの方が表示され、どれが検索の結果なのか、分からなくなるほどである。Webサイトを見ようとしても、広告ページの小窓が優先表示され(ポップアップ広告)、自分が過去に閲覧したものに関連した広告が、Webサイトとは無関係にあちらこちらに表示される(追尾型広告)。これらの広告を表示されない、もしくは少なくする方法も、広告ブロックアプリを使うことやGoogleを別な検索エンジンに変えるなど、あるにはあるのだが、それらを使用すると、肝心な閲覧したいWebサイトが表示されない、閲覧したいなら有料のサブスク(subscription,subscribeが動詞、定期購読)を要求される。本当に、まるで「にぎやかな未来」の世界である。
 テレビでも、CMが多すぎると感じている視聴者は多いが、それでもラジオも含め民間放送は、日本民間放送連盟放送基準で、公序良俗に反するものは禁止されているのはもとより、「週間のコマーシャルの総量は、総放送時間の18%以内とする」など、一応の自主規制をかけている。それに対し、インターネットでは法的規制が追いつかず、広告が野放し状態になっているのである。EUを筆頭に、巨大IT企業への規制を強化する動きが見られるが、まだまだ広告規制には至っていないのが現状である。
 また、パソコンよりスマホの方が圧倒的に広告が多い理由は、パソコンは仕事で使う率が高いが、スマホは個人の自由時間内に使われる率が高いので、タッチ一つで広告主のサイトに繋がるなど、広告に誘導しやすく、広告効果が高いと考えられるためだと思われる。
 
 過剰な広告は、何をもたらすのか?
 広告が及ぼす影響については多くの研究があるが、ほとんどすべてが、広告が目ぬ見えるレヴェルで直接及ぼす影響についてである。例えば、判断能力が未熟な子供が公序良俗に反する広告から悪影響を受ける、といったようなものである。つまり、はっきりとは見えないが社会全体に及ぼす影響などは、研究されていない。それは、これらの研究が、どうすれば企業にとっていい広告が作れるかという企業からの要望からのものであり、企業サイドに立ったものがほとんどだからである。したがって、広告が本質的に人間社会にどんな影響を及ぼすか、というような論点は、ほとんどないと言っていい。
 
 広告とは、アメリカマーケティング協会AMAよれば、“Advertising is any paid form of non-personal presentation and promotion of ideas, goods, and services by an identified sponsor”. (<Library & Information Science Community>より)「広告とは、特定された広告主による非人的で、アイデア・商品・サービスを提示・推奨をする有料な形」 と4つの要件で定義されている。
 ここで重要なのは、非人的、つまり人を媒介とせず、多くはメディアにより媒介すること、民間放送や紙メディア、インターネットが媒体となることである。中でもインターネットが年々比率を高めていることは言うまでもない。
そして、より重要なのは、広告主のアイデア・商品・サービスを提示・推奨する、言い換えれば、広告主の考え・意見(マーケティングの理論によるものが大半だが)が、人の意識へ直接伝達されることである。それは、メディアを見聞きしている人の、特別な手段を講じて拒否しない限りにおいて、全員に伝達されることを意味している。広告を見たいがために、メディアを利用する者は、ほとんどいない。多くは否が応でも、見せつけられるのである。このようなものは、広告以外にはないだろう。他人の意見は、多くの場合、聞こうとする能動的な行為がなければ、聞けない。聞きたくなければ、聞こうとしなけれあばいいのだ。しかし広告は、広告主である企業の考えが、その一部分だとしても、聞きたいか聞きたくないかにかかわらず、メディア利用者すべてに伝達されるのである。それは、半ば強制と言っていい。広告主にとっての広告活動の自由は、メディア利用者には不自由を意味するのである。ここにも、自由主義の矛盾がある。
 
 広告の目的は、第一に商品の購買を促すものであるが、市場経済システムが支配的になっているので、社会には商品が溢れている。とはいえ、人には商品と直接関わらない、商品を意識しない日常生活の時間もたくさんある。人は飲食をしたり、会話をしたり、散歩をしたり、様々な活動をするが、その時に、商品を意識しているわけではない。街中に広告物があるが、それは否が応でも見せつけらるとまではなっていない。しかし、メディアの世界では、そうはいかない。確かに、NHKなど広告のないメディアもあるが、多くの人は民放も見る。テレビのニュースやドラマを見れば、番組に挟まれる広告を半ば強制的に見せつけらる。それは、市場経済システムが、無理やり、人の意識に入り込むことを意味している。そのことが、スマホではさらに凄まじいものになっているのである。
 
 若年層への影響
 スマホの利用率は、若年層ほど高い。今や、小学生から利用している。そこで何が起こるかと言えば、広告、つまり商品情報に接する時間は、スマホのない時と比べて、けた違いに増えることになる。言い換えれば、子供の意識に、市場経済システムが入り込むということである。恐らく、子供はそれが自然なことだと思うだろう。なぜなら自我が確立する時期に、商品情報に大量に接するからである。
 市場経済システムは、あらゆるものを商品化することで拡大するという側面をもつ。子供に深く関係することで典型的な例は「遊び」だろう。公園で子供が遊ぶのは商品とは無縁だったが、今や、電子ゲームという高額商品を利用するのが遊びの主流である。そこで子供は、電子ゲームという商品を購入するのに、カネが必要だということに、すぐに気付く。それと同様に、広告だらけのスマホ利用で、商品の購買意欲を刺激されるが、結局のところ、商品化されたあらゆるものを購入するのに、カネが必要だということを思い知らされるのである。それが、自我が確立する子供の時期から起こるのである。
 特に日本では、若年層ほど政治的に保守化しているが、それとスマホの利用率が高いことと無関係ではないだろう。子供の時から、市場経済システムに意識を深く向けられていれば、生きる上で、その人にとってのカネのもつ意味の重要性は増す。その意識が強ければ、社会を変革するという理想を求めるよりも、現実の社会の中で、カネを稼ぐことが重要だと思うのは自然なことである。それが、政治的保守化に結びつくことは充分考えられる。
 スマホ利用の増大は、政治的にはSNSなどにより、ポピュリズムに結びつく恐れがある。そして、ほとんど指摘されてはいないが、多くの人の意識に、無意識のうちに市場経済システムが入り込み、それが政治的意思に影響を及ぼすことは、十二分に起こりうることなのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ戦争「日本の平和・護憲運動は、自分の足を撃っている」

2022-05-05 10:46:58 | 社会
      shooting itself in the foot(自分で自分の足を撃つ)
                          自分自身で災いを招きいれること


           
           
 5月3日の憲法記念日、新聞各紙に「改憲させない。私たちは非戦を選ぶ」という意見広告が載った。
 同日の朝日新聞には、世論調査で「改憲必要56%」という結果が出ており、年々改憲派が増加していることが分かる。改憲の必要性の理由としては、「国防の規定が不十分だから」が最も多く、対ロシア・中国・北朝鮮に軍事的脅威を感じるが9割に達するとなっている。9条に関しては、「変えない方がよい」が59%、専守防衛「維持」が68%で両者とも過半数を超えている。つまり、極端な軍事大国化には賛成しないが、軍事的脅威は迫っており、何らかの軍事力による防衛が必要で、そのためには改憲も必要だという意見が多数派だということである。
 この動きは、日本に限らず、ロシアによるウクライナ人侵略後、欧米諸国がNATOの軍事力強化に乗り出し、いわゆる西側に属するオーストラリア、カナダ、韓国も米軍との協力体制をこれまで以上に強化する方向に走り出している。ロシア・中国・北朝鮮からの脅威に抑止としての軍事力強化を図り、自国の安全保障を強固にするということである。つまり、この動きと同様に、日本の世論も軍事力強化の方向に傾いているということである。


 「戦争をしてはならないのは、憲法に書いてあるから」
 これに対して、冒頭の意見広告を載せた護憲・平和勢力の主張は、意見広告によれば以下のようなものである。
1.「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を許さない」
 当たり前ことである。誰も、軍事侵攻がいいとは思わない。
2.「二度と核兵器を使ってはならない」
 これも当然で、誰も核兵器を使え、とは思わない。
3.「『有事』不安を軍拡に利用するな」
 そして唐突にこのような文言が出てくる。ただ、政府が「軍拡を一挙に進めようとしている」ことに反対だ、と書いてあるだけである。国民の「『有事』の不安」があることは否定されおらず、それをどうするのかについて、は何もない。ただ、反対だ、というだけである。
4.「『戦争できる国』にさせない
 改憲によって、「自衛隊が米軍と一体になって、……『戦争できる国』に返られてしまう」から、改憲は許せないとしている。
5.「参院選」云々
 
 そして、新聞裏面の同じ主催者の意見広告には、日本の平和主義は「日本は二度と戦争をおこさない、という主権者の宣言」であり、「ふたたび他国を攻めない、若者を戦場に送らない、というみんなの総意です。」となっている。また、「戦車でなく、対話で解決すべき」というオーストリア国連大使の言葉を載せている。そして、「『敵基地攻撃能力』保有は、……他国への武力攻撃のための武器を持つこと(になり)憲法に反します。近隣諸国との緊張を高め、軍拡競争の泥沼にはまるだけです」とあり、最後に「憲法を壊す改憲ではなく、憲法をいかす活憲を」となっている。
 
 これを読んでそのとおりだと思う人間は、読む前から、これに賛同している人以外にはいないだろう。国民の不安は、「ロシア・中国・北朝鮮の軍事的脅威」なのだが、それをどうするのか、それについての答えはどこを探しても載っていない。国民の不安は「若者を戦場に送る」かどうするか、などではなく、侵略されたらどうするのか、なのであるが、それについては、何も書かれていないのだ。現憲法は平和主義だから、戦争はしない、というだけである。これでは、「戦争をしてはならないのは、憲法に書いてあるから」と言っているに等しい。
 この理屈は、「地球が丸いのは、学校の教科書に書いてあるから」というのと同じで、完全に間違いである。教科書に書いてあろうがなかろうが、「地球は丸い」のである。教科書ができる前から「地球は丸い」のであり、「地球が丸い」から、教科書にも書いてあるのであり、論理が逆転している。
 それと同様に、憲法がどう書いていようが、「戦争はしてはならない」のである。アメリカ合衆国憲法は、9条のように明白に平和主義を謳っていないが、アメリカが戦争をしていいわけはない。憲法にあってもなくても、戦争をしてはならないのである。整合性にある論理としては、「戦争をしてはならない」が先にあり、だから憲法にも書いてある、とすべきなのだ。「戦争をしてはならない」から、平和憲法を変えるべきではないのである。
 
 ロシア侵略開始の遠因
 そもそも、ロシアの侵略を一ミリたりとも正当化できないが、それを実行した遠因は、NATOの東方拡大とウクライナ内に一部極右民族主義勢力が明らかに存在したことである。ウクライナは、親ロ派と親西欧派が拮抗していたが、2014年のマイダン革命以降、過激なウクライナ民族主義勢力が伸長した。それを恐れた、東部のロシア人と自認する住民による分離独立運動が起き、その紛争で分離独立地域内で1万人以上の住民が殺害されている。その際に、極右アゾフ大隊がロシア系住民を数多く殺害したのも事実とする証拠がある。
 それに対する反発が、ロシア側にあった。それは侵略の正当化なのではなく、事実を認めるかどうかである。それらすべてをロシアのプロパガンダだとして、西側政府と主要メディアがそれらの事実を黙殺している。
 それは侵略以前からの西側政府、特にアメリカの強大な軍事力によってロシアを抑え込む方針を正当化するためだと考えられる。西側は、ロシアを経済では組み込んだが、安全保障では自分たちと対立するものとして、NATOという軍事同盟でロシアを包囲した。その強大な軍事力による抑え込みの方針が、ロシア側の反発をひき起こすという懸念は、ロシアの侵略開始以前は、NATOは解体すべきという意見も含め、西側政府ブレーンも主要メディアも俎上に載せていたものだ。それが、ロシアの侵攻開始以降、一斉に消えてなくなったのである。
 しかし、それについては、上記の意見広告はひと言も触れていない。日本のこの勢力の主要組織である日本共産党は、ロシア侵攻前、「NATOの東方への拡張、ロシアの覇権主義の台頭が、ヨーロッパに新たな緊張をもたらしています」 (日本共産党第28回大会決定) 「敵と想定する相手に対し、双方が安全保障に十分な軍事力を得ようと争っているのが現状です 」と、1月28日付の赤旗電子版で触れている。ここには明らかに、NATOの東方拡大が懸念の一つだと書かれており、「軍事力を得ようと争っているのが現状で」それが、戦争への危険を増大させるという認識が示されている。東方拡大したNATOがここ数年、ロシア周辺で大規模な軍事演習を行ったきたことなどを踏まえれば、当然の認識である。つまり、ロシアもNATOも危険を増大させてきたということである。
 この肝心な指摘が、ロシアの侵攻以後は、西側メディアに蔓延するロシア100%悪玉論に合わせるかのように完全にトーンダウンするのである。5月3日の憲法施行75年の党の「主張」にも、同日の書記局長小池晃の談話にも「ロシアの野蛮な侵略を断固糾弾し、『国連憲章を守れ』の一点で世界が団結することをよびかける」とあるだけで、NATOの動きには、一切言及がない。
 4月30日の「志位委員長が大学人の集いで講演」では、「ロシアとウクライナの双方に問題があるとして同列におく『どっちもどっち』論 」の「立場はとらない 」としている。確かに、ロシア側のプロパガンダを100%信用し、侵略を正当化する言説も、ないわけではない。しかし、戦争へのリスクを増大させる行動をNATO、特にアメリカ側が採っていたのは、日本共産党も認める事実であり、「どっちもどっち」論ではない。講演の中で志位は「侵略に対する軍事ブロック的な対応は、……、戦争の拡大を招きかねない 」とも言う。実際には「軍事ブロック的対応」は、ロシアの侵攻以前に、NATO側が行っていたことである。その懸念が現実のものとなったのであり、軍事力の強化が戦争の危険を増大させたことが現出したのである。そこに言及しなければ、何故、軍事力の強化が戦争のリスクを増大させるかの論理的整合性も、説得力もない、と言わざるを得ない。

自分の足を撃つ
 岩波書店「世界」5月号で、東京外大名誉教授の西谷修は、「新たな『正義』のリアリティーショー」と題し、「いまメディアは一色に染まっている」「国際政治の舞台はいつの間にか、……ヴァーチャル・スペクタルに呑みこまれている。シナリオは『悪はプーチン』」「現にいま世界(欧米・日本)はこの状況に煽られて好戦気運を蔓延させている」と書いている。まさしく、冷静になれば、そのとおりである。この「悪はプーチン」論に日本の護憲・平和勢力は、それこそ、「染まっている」のだ。「悪はプーチン」から導き出される多くの人の結論は、「悪はやっつけろ」であり、NATOを強化する欧米のように、日本の軍事力の強化以外にはないのだ。当然のように、「悪はプーチン」から、その仲間の習近平も「悪」と見做される。そこから多くの人の考えでは、導き出されるのは中国の脅威であり、それに対処するための日米軍事同盟の強化以外にあり得ない。
 日本の極右からリベラル、一部左派まで、これまでのNATOの動きやウクライナの状況は一切不問に付し、ロシア100%悪玉論に「染まっている」。それをそのままの形で、護憲・平和勢力は結論だけ「非戦を選ぶ」と言う。そんな論理は通用しない。前提としているロシア100%悪玉論が間違いなのである。ロシア100%悪玉論のまま、護憲と叫んだところで、「悪の国」から、現憲法では日本は守れない、という主張を後押ししているようなものである。国会で、日本共産党も社民党もゼレンスキーを称賛した。ゼレンスキーの最も欲しがっているのは、武器である。ゼレンスキーを称賛しておきながら、憲法上、武器を送れないというのなら、憲法を変えるべきだと考えるのが自然だろう。
 プーチンは、明らかに自分の足を撃ち、ウクライナだけでなく、ロシアも奈落の底に沈めようとしている。そして、日本の護憲・平和勢力もまた、自分の足を撃っているのである。
 
  
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする