夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

英紙ガーディアン「プーチンが、2022年にとうとう切れて侵略を開始した理由」

2023-02-26 10:15:39 | 社会
 2月24日付けのガーディアンに「何年間も、プーチンはウクライナを侵略しなかったが、何が彼を2022年にとうとう切れ(snap)させたのか?」というアナトール・リーベンの意見が載った。そして、この考察は、その文中にもあるが、「侵略開始から1年、どのようにしてこの時点に至ったのか、事態がどこに向かっているのかについて、正確に考える」ための意見である。(アナトール・リーベン:Eurasia programme at the Quincy Institute for Responsible Statecraftのディレクター )

 要約すると、以下のようになる。
1. プーチンが、ウクライナのマンダイン革命の2014年に、クリミア半島併合、ドンパスの分離主義者への秘密裏の支援だけでなく、ウクライナ全土を支配しようとしなかったのは、なぜか?
2. 2014年に、キーウの政権が選挙で選ばれたヤヌコヴィッチを暴力で追放し、ウクライナ民族主義者によるオデッサでの親ロシア住民の虐殺等があり、混乱の中でウクライナ軍が弱体化していた時期に、ロシアの強硬派は、プーチンがすぐに侵攻しなかったことを批判した。
3. その時期のプーチンの侵攻しないという自制の理由は、「ロシアを完全なパートナーとして組み込んだ、ヨーロッパの新しい安全保障秩序の構築」という戦略があったから。この戦略は、ミハイル・ゴルバチョフの「共通のヨーロッパの家」構想に根差し、ロシア近隣の旧ソ連諸国に対しては、「より緩い影響力を行使できることを可能にする」(「アメリカが中南米に対して行っているアプローチ」と同様な)ものだった。それは、「西側にも歓迎されていた。」
4. このロシアの戦略に基づき、2008年から2012年の間、当時のロシア大統領ドミトリー・メドベージェフは、西側と安全保障秩序を構築しようと試みたが、「西側諸国は、真剣に受け止める振りさえしなかった。」
5. 2014年に、ドイツとフランスが仲介し、ウクライナの分離拡大を停止し、ドンパスでの親ロシア派の自治を認めるミンスク合意がなされた。
6. 2016年に、アメリカでトランプが大統領に就任し、アメリカ・ファーストからアメリカと西ヨーロッパ諸国とに軋轢が生じたが、2021年バイデンが就任するとアメリカと西ヨーロッパ諸国は団結した。それが、ウクライナのキーウ政権がドンパスの自治を認めないことを西側が黙認することに働いた。
7. 2021年11月、バイデンはアメリカとウクライナの「戦略的パートナーシップ」を結んだが、ウクライナが「重武装したアメリカの同盟国」となる可能性を示していた。
8. プーチンは、侵攻の数日前まで、フランスのマクロンに「ウクライナの中立を支持し、ドンパスの分離主義指導者と交渉するよう圧力をかけ続けたが、失敗に終わった。そこにはプーチンの、敵対的なアメリカと西ヨーロッパ諸国を分断し、フランス・ドイツとの合意を築こうとするロシアの戦略があった可能性がある。
9. ミンスク合意は、弱体化していたウクライナ軍を再建する時間稼ぎだというかねてからのロシア強硬派の主張(アンゲラ・メルケルが2022年12月にそのように認めたが)に、2022年になってプーチンが同意した可能性がある。
10. そしてプーチンは「西側政府は信用できず、西側全体がロシアに対して容赦なく敵対的だというロシア強硬派ナショナリストに同意」するようになった。
11. ヨーロッパは、プーチンの侵攻開始の遠因となった可能性がある「『共通のヨーロッパの家」』というゴルバチョフの夢を維持しようとする努力が、あまりに少なかったことを認識しなければならない。」

 西側NATO諸国が、ウクライナへの軍事支援一本槍となり、日本は憲法上軍事支援はできないが、日本政府だけでなく、野党、主要メディアまでが、西側政府の主張だけを鵜呑みにする中で、なぜ、このようなことに至ってしまったのかを、正確に知ることは重要だ。甚だしく野蛮で狂気に満ちた決断にプーチンに導いたものは何だったのか? 
 近い将来起こるかもしれない中国との戦争を防ぐためにも、本当のことを知り、それによる冷静な分析と判断が、何よりも必要なのである。


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ウクライナ侵攻1年「欧米の論理では、ロシアを壊滅させない限り戦争は終わらない」

2023-02-24 10:10:50 | 社会


 2月20日、ロシアの軍事進攻から1年を前に、アメリカのバイデンは、ウクライナの首都キーウを訪問し、ゼレンスキーと会談した。ロシアによるウクライナ侵攻から1年となるのを前に、ウクライナへの全面支援を印象づける狙いからだ。そして、この全面支援とは、同時にアメリカホワイトハウス が「砲弾や対装甲システム、対空監視レーダーなど重要装備の新たな供与を行う」と発表したように、「必要な限り」の強力な兵器を供給するということである。
 ウクライナへの軍事支援の増強は、アメリカだけでなく、NATOに加盟するヨーロッパ諸国も同様に、戦車の提供をはじめ、武器・弾薬の共同購入を検討するなど、その動きを活発化させている。
 
 それに対してロシアのプーチンは、2月21日年次教書演説で、「西側は、戦場でロシアを打ち負かすことは不可能だ 」と述べ、戦争継続への強い意思を表明した。
 この状況での西側の軍事専門家の見解は、総じて言えば、戦況は膠着状態で、NATOの戦車供与などの強力兵器で、ウクライナ側はいくらかは有利な展開になるが、1,2年の短期間でロシア軍を駆逐することはできない、というものだ。つまり、ロシアは勝つことはできないが、ウクライナも、ゼレンスキーの言う勝利が、クリミア半島までの奪還と主張する限り、勝つことはできない、ということである。
 バイデンは、21日にポーランドで、プーチンの演説に「ウクライナでロシアが勝利することは決してない 」、「(西側の)ウクライナへの支援が揺らぐことはない」 と述べたが、ウクライナが勝利するとは言っていない。このことは、アメリカ政府も、ウクライナ全土奪還というウクライナの勝利は、短期間ではおとずれず、戦争は5年、10年と長期化すると認めていることを意味している。
 多大な犠牲を払いながらも、戦争継続を支援する西側の論理は、ロシアは一時的に停戦しても、ウクライナ全土を支配する野望を捨てることはなく、停戦は次の戦争準備に過ぎないので、ウクライナ全土からロシア軍を駆逐するまで、ウクライナへの軍事支援を続けなければならない、というものである。アメリカの前駐ロシア大使ジョン・サリヴァンが、22日BBCに 「『特別軍事作戦』の失敗にもかかわらず、ロシアは目標を変えていない」と言ったことでも、西側は、「 軍事支援を続けなければならない」という意思を表している。

「ロシアを壊滅させない限り戦争は終わらない」という西側の論理
 しかしこの論理では、仮に、長い年月をかけてウクライナ全土をゼレンスキー政権が掌握したとしても、西側は軍事力でロシアに対抗しなければならないという必然性が生じる。なぜならば、ロシアの周辺国への支配の野望が、独裁政権とロシアの巨大な軍事力から来ていると見なしているからだ。それはこの戦争を、バイデンが「専制主義と民主主義」の戦いと位置づけていることからも明らかだ。そして、その戦いに勝利することを目標に掲げているのである。
 ロシアでのプーチン政権の支持率は、独立系調査会社の調査でも80%と高い。それは、プーチン政権に取って代わる勢力が、極めて小さいことを意味し、ロシア国内から「専制主義」政権を打倒する勢力が現れることは少なくとも近い将来には期待できない、ということである。ウクライナ戦争後も、「専制主義」は変わらず、ロシアの軍事力による周辺国支配の野望は継続する、ということである。それを阻止するためには、「独裁政権」と軍事力の弱体化を、外部からの力で変えるほかはない。つまり、NATOがロシア軍を壊滅し、政権交代を力づくで行うしかない、ということである。最近では、アメリカがイラク戦争でフセイン政権を打倒したこと、第二次大戦では、連合軍がドイツのナチ政権を、日本の軍部政権を打倒したこと、それと同様の方法でしか、「独裁政権」を打倒することはできない、ということである。ロシア全土を破壊し、NATO軍が駐留する、それ以外の方法で、「独裁政権」を確実に葬ることはできない。
 ロシア国内で、未だにプーチンへの支持率が高いのは、多くのロシア国民がこの戦争を西側からの脅威に対する祖国防衛と感じているからである。ウクライナで負ければ、ロシア本土まで西側は攻め込んでくるかもしれない、という恐怖感である。それは、第二次大戦での日本国民が、「一億総玉砕」とまで言った軍部に従い、アメリカ軍に徹底して抗戦したことに似ている。徹底抗戦する日本に、アメリカ軍は、日本の軍部を降伏させるために原爆を投下し、降伏後も占領しなければならなかったのだ。
 
 このようなことが可能かどうかと言えば、ロシアに対しては、絶対に不可能である。そのような事態になれば、ロシア側は核兵器を使用することを公言しているのである。このように、西側の掲げた目標への論理は、始めから破綻しているのである。

 ロシアもウクライナもどちらも負けるわけにはいかない、と確信している。西側がどんなに、道徳的に侵略した側は負けなけれならない、と言ったところで、その現実は変わらない。結局のところ、現実は、「どちらも負けたとは言えない」という妥協点を探る以外に、戦争は終わらないのである。

 
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「日本共産党の一党員の除名問題が、マスメディアから総攻撃」

2023-02-13 13:53:03 | 社会
著書「シン・日本共産党宣言」(文春文庫)を掲げる松竹伸幸

事実経緯
 2月6日、主に「党首公選制」を主張し、党外メディアでそれを喧伝した日本共産党党員松竹伸幸が、党を除名された。そのことから、多くのマスメディアは、党中央への批判を許さない「言論封殺」(京都新聞)だとして、激しく批判し始めた。朝日新聞は、社説で「国民遠ざける異論封じ」と題し、「党のあり方を真剣に考えての問題提起を、一方的に断罪するようなやり方は、異論を許さぬ強権体質としか映るまい。 」(2月8日)と断罪したが、ほぼすべての新聞各紙が、「異論封じ」「言論弾圧」だと批判的な論調を展開した。
 それは新聞各紙だけではなく、評論家の内田樹も「組織改革を提言したら、いきなり『除名』処分というのは共産党への評価を傷つけることになると思います。(2月6日 )」とツイートするなど、日頃比較的日本共産党に概ね好意的な「識者」も批判的な意見を寄せ、今回の日本共産党の対応を擁護する意見は皆無と言っていい。

 日本共産党側は2月6日、党京都南地区委員会常任委員会、京都府委員会常任委員会名で、①「『党首公選制』という主張は、『党内に派閥・分派はつくらない』という民主集中制の組織原則と相いれない 」、②「『安保条約堅持』と自衛隊合憲を党の『基本政策』にせよと迫るとともに、日米安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消の方針など、党綱領と、綱領にもとづく党の安保・自衛隊政策に対して『野党共闘の障害になっている』『あまりにご都合主義』などと攻撃 した」、③党を「『個人独裁』的党運営」「などとする攻撃を書き連ねた 」 鈴木元著「志位委員長への手紙」を擁護した、④松竹は「自身の主張を、党内で、中央委員会などに対して一度として主張したことはないことを指摘されて、『それは事実です』と認め 」た、そしてそれは、「松竹氏の一連の発言および行動は、党規約の『党内に派閥・分派はつくらない』(第3条4項)、『党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない』(第5条2項)、『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』(第5条5項)という規定を踏みにじる重大な規律違反です。」と除名理由を明らかにしていた。
  除名処分後のマスメディアの報道に対し、9日、党政治部長中祖寅一名で朝日新聞報道を「『結社の自由』に対する乱暴な攻撃」として反論し、同日、
委員長志位和夫は記者会見を行い、「異論を持っているから排除するということをしたわけではない 」、「あれこれの異論を、党内の党規約に基づく正式のルートで表明するということを一切やらないまま、突然、外から党の規約や綱領の根本的立場を攻撃するということを行った。これは規約に違反する 」と異論の問題ではなく、あくまで党規約に違反したからだと協調した。

 事実の経緯だけを捉えれば、安全保障論や党組織論という党の根幹において党綱領と党規約に大きく逸脱した松竹の除名もやむを得ないと言える。松竹自身も「党内で党首公選制を主張したところで、結果は火を見るよりも明らか」「外部に公開するしか選択肢がありませんでした」(文春オンライン2月9日)と言っているように、党内ではなく、党外から行動することで、党の変化を狙ったからである。それが直ちに「分派活動」とは言えないにしても、党首公選制自体が主張の異なる勢力の存在が前提になるので、党規約の第3条「(一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。」「(二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。 」第5条「(二)党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。 」に抵触するのは明らかだ。

瓦解したユーロコミュニズムの苦さ
 この日本共産党の対応は、党規約第3条にもあるとおり、「民主集中制を組織の原則とする 」による。この「民主集中制」とは、フランス共産党員でもあった哲学者のルイ・アルチュセールによれば  「党組織の各段階 (細胞,次いで地区,堤,そ して大会)で,諸決定は規約に基づき自由に討議され,民主的に採用される。ひとたび党大会で採決されれば,決定は行動面ですべての党員の義務となる。この規律を受け容れさえすれば 自分の意見を保持することができる 」(アルチュセール「第22回大会」新評論 1978年 )というものである。端的に言えば、党内で多数決で決定されたものに、全党員は従わなければならない、というものだ。これは、「革命党にふさわしい組織形態として民主集中制を導入したのはレーニンである」と アルチュセールが言うように、民主集中制はレーニンの時代からの労働者階級の前衛党・革命党の組織論であり、第二次大戦後のヨーロッパ諸国で、各国共産党は勢力を拡大したが、戦後の状況の変化により、西欧最大の共産党だったイタリア共産党が1970年代に、フランス共産党は1994年に、その他のヨーロッパ諸国の共産党も随時放棄したものである。
  

 しかし、このユーロコミュニズム諸党は、現在では著しく低迷している。イタリア共産党は、主流派が「左翼民主党」、「民主党」と党名変更し、中道左派政党となり、他の中道政党と見分けがつかなくなったことで、多数の支持者は離れていった。一部の非主流派は再建派として残っているが、弱小政党となっている。フランス共産党も、かつての労働者の支持はなく、昨年の大統領選では、社民系の中道左派を除く、左派の中央の地位をジャン・ルュック・メランションの「不服従のフランス」に譲り渡している。概して言えば、ユーロコミュニズム諸党は、日本共産党の以上に低迷しているのである。
 これらのユーロコミュニズム諸党では、民主集中制を放棄したことから、様々な思想潮流と主張が噴出し、内部分裂が起こり、党勢の減少につながったことは否めない。かつて、外部からの日本共産党の党名変更論に対し、日本共産党前委員長の不破哲三は、「イタリア共産党のようにはならない」と党の原則論を堅持すべきだと言ったが、日本共産党中央は、民主集中制の放棄は、ユーロコミュニズムのように党として自滅する道と捉えているのである。一見頑な今回の除名という対応は、その現れであるのは間違いない。

「党綱領・規約を改正しろ」に等しいマスメディアの主張
 松竹伸幸の安全保障論、党首公選論や、それらを外部からの圧力によって変革しようとした行動を認めるのは、党綱領と規約を改正しない限り不可能である。それらを認めろというマスメディアの主張は、「党綱領・規約を改正しろ」と言っているに等しい。改正には、憲法の改正が、憲法で規定された手続きを経て改正しなければならないように、党規約に沿った手続きを踏まなくてならない。それらを無視して、単に「異論封じ」などと言うのは、非論理的な無茶な言い分としか言いようがない。
 
避けられない党の衰退
 日本共産党は、党員数、機関誌「赤旗」発行部数、国会議席数、国政選挙得票数すべてにおいて、減少し続けている。今回の除名問題が、上記のようにマスターの報道が「非論理的な無茶な言い分」だとしても、党の外にいる多くの人びとは、「赤旗」から事実を知るのでなく、マスメディアを通じて何が起きているのかを知るのであり、党勢拡大の観点からは、マイナスに働くことは間違いない。
 そもそも、日本の多くのマスメディアは、商業ジャーナリズムの域を出ず、政治的には右派・保守派である。経営の観点から、広告主に忖度しなければならず、国民の多数派である保守層への「受け狙い」から脱することは難しい。
また、レーニンの党組織論に由来する民主集中制を理解しろといっても、いわゆる「リベラル」な新聞も評論家にも、到底無理である。だから、今回の除名問題は、左派である日本共産党への格好の攻撃材料(それを意図していないとしても)としかならないのである。
 
「共産党以外の左派勢力は無力」という悲劇
 ヨーロッパ諸国において、確かにユーロコミュニズム諸党は混迷を極めている。しかし、左派全体が退潮しているかと言えば、そうではない。フランスでは、上述の「不服従のフランス」を中心に、フランス共産党をも含めた多くの左派勢力がNUPES「新人民連合 環境・社会」を形成し、フランス議会で第二勢力となっている。スペインでは、社会労働党に、ウニダスポデモス、統一左派という左派政党の連合が政権に参加している。欧州議会でも統一左派・同盟(GUE/NGL) は、705議席中39議席を占めている。また、左派政党が支援する労働者中心のデモやストライキは、大規模に実施できる力を有している。
 また、左派政権が続々と誕生している中・南米も、一つの左派政党ではなく、左派連合として政権に参加するかたちが増えている。ブラジルの新大統領ルーラも労働者党、社会党、共産党、緑、その他左派6党の支援を受けている。
 右派にも左派にもさまざまな思想潮流があり、それは第二次大戦後、メディアの発展とともに、さらに百家争鳴のように数多くの主張が展開されることになった。それは、マルクスに関しても数多くの解釈があるように、特に左派のあいだで際立っている。その状況の中で、ユーロコミュニズム諸党のみならずは、一定の枠内での政治的志向で収まっていた左派政党は、数多くの主張の展開から、分裂、集散を繰り返し、多党化したのである。しかしそれは、自然の流れでもある。そして、多党化した諸政党は、より大きな政治的勢力をつくるために、比較的近い主張の範囲で、同盟allianceを組むことになったのである。
 
 このように日本以外では、多くの左派政党が一定の勢力を持ち、一つの左派政党だけが突出した勢力を保持するということは稀である。日本では、社会党の崩壊以来、後継党の社民党は国政議会で辛うじて全滅を免れている程度であり、新社会党も極めて小さいままである。日本共産党を除く、それ以外の左派政党は、国政議会に議席を有していないのである。維新は自民党より右であり、中道の立憲民主党や国民民主党は中道左派ではなく、れいわ新選組は、明確な方針を持っていない。
 日本共産党が近い将来、民主集中制を放棄することはないだろう。この党の高齢化は著しく、どうしても変化には現状肯定の「保守的」な壁が高いからだ。つまり、方針の大きな変更はなく、現状の逓減状況は変わることはないだろう。しかしそれは、他の左派勢力が伸長しない限り、左派全体が低迷のまま進むことを意味している。
 左派とは、イタリアの政治・歴史哲学者ノルベルト・ボッビオの言うとおり(ボッビオ「右と左 政治的区別の意味と理由」参照)、社会主義者や共産主義者だけではなく、社会的不平等の解消を何よりも優先する政治的立場とする勢力のことである。その勢力の低迷は、現状の社会システムが作り出す社会的不平等によって、社会階級の下層に位置する人びとや生活苦に陥る人びとを始め、あらゆる不平等に苦しむ人びとを解放する政治的勢力が低迷し続けることを意味する。それは、社会的不平等に苦しむ人びとにとっては、まさに悲劇であることは間違いない。



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