夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

ひとり参加の集会&デモの楽しみ方 

2014-04-12 00:35:40 | 政治

 4月8日(火)夕方、日比谷野外音楽堂で開かれた「解釈で憲法9条を壊すな! 4・8大集会」にひとりで参加した。

 午後5時45分頃、地下鉄霞が関駅で降りる。どこの出口が、集会場所である日比谷野音に最も近いかを知るには、そこに行く人に着いて行けばいい。この場合、集会ののぼり旗やプラカードを持っている人は適さない。それらを持参している人びとはたいてい組織に属しているからだ。組織に属している人は、集会の最終目的地に行く前に、仲間との集合場所に行く。したがって、個人参加の人を探さなければならない。しかし、これは結構簡単なのだ。集会に参加しようとしている人は、歩く姿勢からして違うからだ。その人たちはひとりでいても、背筋を伸ばし、肩をいからして歩いている。言わば、歩く姿が戦闘的なのだ。そういう人は、すぐに見わけがつく。その時も、それらしき人はいた。着いて行ったら、やはり、最短距離で野音に着くことができた。

 野音に着くと、一見席は満杯に見えたが、端の方はぽつぽつあいていた。野音の椅子は石でできており冷たいので、小さなを座布団をしく。こういう集会の参加には、かならずバッグに入る座布団は必須アイテムだ。痔が悪いというわけではないのだが、とにかくお尻が冷たいのは良くない。舞台を見ると、本番前のプレ企画と称して、市民団体の代表が演説中。ふんふんと聴いていると、次に、風刺芸人というのか肩書はよく分からないが、松崎菊也という人が出てきて、麻生元首相と安倍現首相のものまねを、徹底して皮肉り、かつ真実含む芸を披露した。アベノミックスは、阿部さんのみが、クスっと笑う、「阿部のみ、クス」だという他愛のないものだが、こういう芸人が、この芸で、テレビに出られるようになることがあれば素晴らしいことだ思う。まずありえないが。

 そのうち本番が始まり、主催者挨拶、政党の代表者の「連帯」挨拶と続く。これもまたふんふんと聞いていると、メインスピーチに大江健三郎が出てきた。79歳になると言う。スピーチの主旨は、「戦争をしないということと民主主義(すなわち、現憲法の精神)を時代の精神と感じて生きてきたが、その危険性が出てきた。次の世代に、この時代の精神を守り引き継ぐために、自分が死ぬまであと数年しかないかもしれないが、とにかく頑張りたい。きょうのデモ(示威行動)を最後まで歩きぬく」というものだ。

 大江の話を聞きながら、既に死んでしまった、小田実、加藤周一、井上ひさし、筑紫哲也といった人たちのことを想う。人間は晩年になると、つまらない打算が必要なくなるので、丸くなるどころか、徹底して先鋭化し、自身の本性をさらけでだすものだと、つくづく想う。大江も、死んでいった人たちも、やはりそうなのだと。

 大江の話しが終わると、また、市民団体の代表や日弁連の人が出てきて、挨拶。同じようなことを、くどくど言うなあと、決して口には出さないことを思いつつ、野音全体を見渡して、のぼり旗や腕章、鉢巻を眺め、どんな組織の人たちが集まっているのか、見極める。全労連傘下の労組、日本共産党、社会民主党、緑の党、生協、日弁連の地域支部、都教組、9条の会地域支部、仏教・カトリックの宗教団体などの旗がひるがえっている。これで、大体の集会の傾向が分かる。主催の賛同団体一覧を見れば、組織名は分かるのだが、その人たちがどのくらい集まっているのかは、実際に見てみないと分からない。

 舞台に上がった人の挨拶でも触れられていたが、集まっているのは、60歳以上が7割というところか。敬老会を思い出すが、違いはやたらと元気そうな年寄りが多いということだ。若い人が少ないのは、様々な理由があるのだろうが、お上にたてつくことがかっこいいという時代が終わっていることを痛感させられる。とは言っても、若い人が少ないこと自体は予想どおりだが。ついでに、個人参加であろうと推察される人はほんの僅か。これも、まあ予想どおり。

 集会が終わり、デモ行進に移る。コースは国会請願と銀座方面のふたつに分かれている。別にどちらでもいいので、組織に属していないのをいいことに、勝手に野音から出て、デモの先頭集団に紛れ込む。前の方に、大江健三郎らしき老人を見かけたが、そもそも老人が多いので、単に似ている人かもしれない。デモの隊列の先頭をふさぐように、警察車両が並び、何やらスピーカーで叫んでいるが、よく聞き取れない。すると、警察のスピーカーに対抗するように、主催者側のスタッフがハンドマイクで、「きょうのデモは、5列縦隊でお願いしま~す。前にどんどん詰めてくださ~い」などとやる。出発前には、必ず、警察によって少し待たされるのだが、それにイライラした人が、「平和的なデモを、警察は規制するのか。おかしいじゃないか」などと大声で叫ぶ。「そうだ、そうだ」と周りも応じる。大声を出した人は、見るからにその昔の、よき時代(デモが好きな人にとっては)が忘れられない人だ。警察も負けじと、スピーカーで道路交通法がどうしたこうした、とか言っている。シュプレヒコールも始まった。この辺は、ほんの僅かだが、騒然とした雰囲気に包まれる。ちょっとだけ、アドレナミンが放出されたのを感じる。

 デモの隊列の適当なところに紛れ込んだら、銀座方面に向かうものだった。まあ、コースはどっちでもいい。ところが、出発して10分もたたないうちに、「いっけね」と呟くことになった。出発前に、トイレに寄るのを忘れていたのだ。昼間、気温が上がったせいで、水分を取り過ぎた。最近、過活動膀胱のきらいがあり、行きたくなると我慢ができない。デモ隊の隣の人が話しかけてくるのを、「そのとおりだと、思いますよ~」と、相棒の水谷豊の口調を真似して答えていたのだが、そんな余裕はなくなった。「ちょっいと、失礼、ごめんなすって」と、手刀を切って、人をかき分け、隊列を離れた。とにかくトイレを探すのが至上命令だ。

 用を足した頃には、デモ隊はかなり離れた場所に行ったようだ。何しろ、都会ではすぐにトイレは見つからない。どこをどう歩いたか分からなくなるくらい、探し歩いた。シュプレヒコールが遠くにかすかに聞こえる。歩き疲れたせいか、喉も乾いてきた。こうなれば、デモに戻るより、本日の締めくくり、集会の成功のために祝杯を揚げなければならない。これが、最大の楽しみ。目の前には、どうぞいらっしゃいませと言っている焼き鳥屋の看板が見えた。

 翌日の新聞で知ったのだが、主催者発表の参加人数は5,000人ということだった。野音の席数が立ち見を入れて、3100人。席もぎっちりは詰まっていないこと、入れきれずに、野音の外にも人が数百人いたことを考慮すると、実際には3,000人ぐらいだろう。その昔の主催者発表は、実際の人数の数倍だった。控えめになったと言うべきか、意味のないはったりはやめようとなったのか分からないが、これはいい傾向だ。とにかく、数千人が集まったのだから、集会は成功したのだ。祝杯を揚げても、さしつかえない。もっとも、南京虐殺はなかったとする歴史修正主義者の論理にしたがえば、事実がその主張を下回る人数ならば、ないことになるのだから、5,000人はいなかったということは、集会自体がなかったことになるが。

 集会&デモに、ひとり参加は反原発から始まって10回ぐらいになるだろうか。なぜ、組織に入らないのかと時々言われる。しかし、その答えは、自分にとってはかなり明確だ。ひとつは、自分自身の核となる思想信条に、確たるものを築くことができず、曖昧さが未だにぬぐえないからだ。そしてもうひとつは、現存する日本の組織の思想的な条件の一定の幅に、自分の考えが入らないからだ。おそらくは、死ぬまで、確たる思想信条は構築できないだろう。そして、自分にとって承服できる論理を持った組織は現れないだろう。しかしそのことは、政治に対する、より正しい言葉で言えば「世界」に対する、それらを考える意欲を失わせることを意味するわけでは決してない。

 

 

 

 

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