国会での審議中の安保法案は、参院に回り、状況が変わらない限り成立する公算が高いと考えられる。状況が変わらない限りとは、与党が法案成立を強行しても、次の国政選挙で負ける筈はないという判断が覆らない限り、という意味である。与党推薦の憲法学者の違憲発言で、反対する論陣にいくらか勢いがついてはきているが、右派メディアの読売・産経新聞と系列テレビ局、極右雑誌等の影響力は過少評価すべきではないし、反対派のデモも数十万人規模でないと、国会への圧力としては弱い。例え、いくらか自公に対して成立強行により負のイメージがつき、内閣支持率が低下しても、次の国政選挙で自公に対抗できる政党がなく、政権は安泰だという見通しがあれば強行な採決に踏み切れるからである。
1.何が変わったのか?
そもそも、なぜこのように安倍政権が戦争準備にひた走ることが可能になったのか? 何がどう変わったのか? その答えとして、恐らく最も多いであろう見解を、東大の藤原帰一が書いている。「その(安倍強行路線以前の)背景には日本の政治状況があった。一方では社会党や共産党が、安保条約と米軍基地そのもを否定する立場を表明した。他方、吉田茂首相以後のいわゆる『保守本流』は日本の経済成長を第一の政策目標とし、日本防衛のために米軍に頼ることをには積極的でも日米共同の軍事行動には否定的であった。米軍協力の範囲は憲法に規制するという政策は、護憲を掲げて同盟に反対する左派と同盟に頼りつつ経済成長を優先する保守本流によって支えられた。」そして、現在の「片務的な同盟から双務的な同盟への転換が叫ばれた背景には、米国が日本防衛から離れてしまうという懸念が」や、「中国が軍事力を拡大し」たことが挙げられる(朝日新聞時事小言 2015.5.26)と言うのである。つまり、安倍政権の以前の自民党の安保政策から突出した要因は、米ソ冷戦の終結、アメリカの相対的衰退、中国の台頭等により、日本を取り巻く状況の変化したからだと言うのである。
「保守本流」が「日米軍事行動には否定的であった」とするのは、憲法改変が自民党の党是であることなどから、大いに疑問だが、古参自民党員の安倍批判発言等もあるので、そういう意見が自民党内には少なくなかった、と理解すればいいだろう。また、日本を取り巻く状況の変化も確かにあると言える。しかし、決定的な変化は反対する側の勢力が衰退したことである。「保守本流」の本心がどこにあったにせよ、憲法改変の自民党の党是が、過去においては具体的な道程にまで上ることがなかった。憲法の解釈改憲など不可能だったのだ。なぜならば、そういったタカ派的姿勢を見せれば、次回の選挙において負けかねないからである。この選挙とは国政とは限らない。1960年代後半からの「革新」自治体を思い出せば、それは明らかだろう。東京、大阪、京都、神奈川、埼玉等の「革新」知事は社共共闘の結果だったのである。反対する側の勢力がある程度の大きさ、強さがあれば安倍政権は強硬な姿勢には出られない。それができるようになったのは、政治状況が変わったからなのである。端的に言えば、安倍政権の政策に反対する側としての、日本における左派の弱体化によるのである。
安倍政権の政策に反対する側には、大きく分けて社会民主主義を掲げる勢力と共産党、そして、藤原の言説には抜け落ちているが、民主主義の観点を第一に考える日弁連や学会、沖縄の米軍基地に反対する市民運動等の、ひっくるめて言えば多くの市民団体の勢力の三つがある。その中で、社会民主主義を掲げる勢力である社会党が存在しなくなったということが、実際には最も大きな変化だろう。これは、第一に国会での勢力でも明らかだ。現在の社民党は数議席足らずの極小政党であるが、かつての社会党は3/1近くの議席占有率を有し、自民党批判の最大勢力であったのだ。現在の野党第一党である民主党は、安倍政権の安保政策には賛成派と反対派が入り混じり、明確な態度で臨んでいる訳ではないので、社会党の代役には決してならない。さらに維新の党は、石原慎太郎や橋下徹の言動で分かるとおり、安保政策では自民党と変わりはない。また、共産党の力が旧社会党の勢力を飲み込んだほどの大きさになっている訳では決してない。さらに、社会党が存在しないということは、もう一つの問題、即ち労働組合が弱体化したことをも意味している。実際、社会党の解党は、最大の支持母体であった総評が解体したことと密接に関連している。総評から移動した多くの単産が加盟している連合は、政治問題には関わらない方針をとっている。連合は、企業の利益を優先し、そのおこぼれを労働者が頂戴するというトリクルダウン理論に洗脳されており、それ以外の運動はまったく期待できない。もし、総評が存在していれば、恐らくはゼネストを構えてでも抗議活動を実施しただろう。
勿論、左派の弱体化は、日本だけのことではない。先進国において第二次大戦後大幅に上昇した労働分配率は、1980年代以降下がりつづけている。これは、グローバリゼーションによる、低賃金労働者の流入と低賃金労働による商品の流入によってもたらされた結果であるが、それに対抗する労働者の側の力の弱さの結果でもある。そしてそれは、先進国内部で、さらに世界的な規模での労働者の分断の結果でもある。なぜなら、労働者は団結することなしに、その力を現すことができないからである。新保守主義のサッチャー政権がが1979年に、レーガン政権が1981年に発足し、ソ連が1991年に消滅する。(ソ連については、様々な見解があるが、少なくとも自国において先進国の資本の自由な活動を許さなかったという意味で、先進国の資本にとっては敵である。それは、「レーニン最期の闘争」を敗北させた反労働者国家であり、偽装された社会主義であったとしても、先進国の資本にとっては敵なのである。)これらの象徴的な出来事は、左派の弱体化以外の何者でもない。
左派の弱体化とは、単に議会において議席数が減ったというような意味だけではない。(ヨーロッパの左派政党は選挙で勝ったり負けたりを繰り返している。)もっと大きなことは、左派それ自体の右傾化である。左派の中での最も大きな勢力である社会民主主義諸派において右傾化が顕著なのである。ドイツ社民党、フランス社会党、英国労働党、これら政権与党にもなる政党は、ケインズ主義による経済モデルを選択しているし、その意味では右派と区別がつかず、もはや新自由主義と対決する姿勢は見られない。(オランドとメルケルにEUの経済政策で、差はほとんどなくなっている。)もはや彼らは、当初から掲げてきた大きな目標のひとつである「社会的公正」よりも、経済成長を優先させているのである。
こういった左派の弱体化、退潮の流れがが日本でももたらされたのである。勿論それは、世界の、そして日本の政治的経済的状況の変化がそうさせたのであり、感染症のように伝染したということではない。日本の左派の弱体化の中で、特徴的なのが社会党の消滅であり、その社会党がそっくり抜け落ちた部分を補う勢力が、見当たらないぐらい小さいものでしかないという政治状況が安倍政権の強行路線を許しているのである。
2.戦争を止めるために何が必要なのか?
?安保法案を推し進める安倍政権側から聞こえてくる声に、「憲法学者の言うとおりにしていたら、日本の安全と平和は保たれていたか疑わしい」(自民党高村副総裁、新聞報道による)というものがある。立憲主義に反する姿勢が根底ににあり、大きな問題である。しかしこれは、反対派が違憲を主な根拠にして抵抗しているの対し、立憲主義という民主主義の問題も大きな要素だが、そもそも安全保障の問題に反対派が答えを出していないのではないか、という指摘でもある。では、実際にはどうなのか? 反対派は国の安全保障に関して、きちんとした考えを提示していないのか?
日本平和学会というものがある。この団体は「将来日本が再び戦争加害者になるべきでない」(同会設立趣意書)という立場で研究を重ねているのであるが、団体自体ほとんど知られていない。著名な方では軍事評論家の前田哲男や国際政治学者の故坂本義和が、軍事力非行使の立場から研究、提案を行っている。また、日本共産党も平和外交で友好関係を築くことで日本の安全を守ると主張している(赤旗に複数回掲載)。そのほか、多くの反対派がそれぞれの見解を提示している。しかし、逆の立場では国際政治・関係論からも、純粋な軍事論関係からも圧倒的に多数の研究が行われているのが現状なのである。(ここで言う逆の立場とは、安倍政権の政策をすべて容認しているという意味ではなく、基本的な認識を共有しているということである。)例えば、防衛大学では安全保障研究の専門分野があるし、民間でも平和・安全保障研究所、東京財団、笹川平和財団、日本国際問題研究所等、財団法人の形式で多くの研究機関が存在する。まさに、多勢に無勢というありさまである。当然のように、安倍政権側には、権力と莫大な資金があるからであるが、実際にはこれが現実である。安倍政権側が、国家の安全保障の問題に反対派は答えを出していないというのは、反対派は平和主義を希望として主張しているだけで、その裏付けとなるものを提示していないという意味で解釈すれば、その部分については正しいと言わざるを得ない。これはどのようなことかと言えば、社会党の非武装中立論で「日本は自らが紛争の原因を作らない限り、他国から侵略される恐れはない」(石橋政嗣)と主張したが、その裏付けとなるものがないという意味であるが、実際にないのである。それを社会党の立場で研究する専門家が極端に少なかったからである。今であれば、事実上の仮想敵国であったソ連の、公開されている共産党政治局議事録やロシア軍参謀本部の精査・研究をすれば、ある程度裏付けはできる筈である。ソ連が、軍事力が弱ければ日本に軍事侵攻したというような資料があったのかないのか。しかし、そのような研究は見たことがない。あるとしても、極めて少ないものだろう。奇妙なことに、逆の立場の方からは、例えば、キューバ危機は、ソ連がキューバに核戦力を持ち込まなければ、米軍のソ連への先制攻撃が予想されると、ソ連が判断したことによるものだという研究が成されている(デール・C・コープランド、 野口和彦 「パワーシフト理論と日米開戦」より)。要するに、反対派には実証的な研究が不足しているのである。だから、反対派は「国際政治を何もわかっていない。軍事に関しては素人」と言われるのである。
(逆の立場の研究が的を射たものかと言えば、それほどでもない。例えば、彼ら「軍事専門家」の研究は、戦争の起こる決定因のうち、一定の歴史的枠内での政治的経済的状況でしかあり得ないものを、おうおうにしてあたかも普遍的なものように扱うという愚をおかしている。国家間の紛争は、おのおのの歴史的発展時期の、それぞれの政治的経済的構造や制度に大きく依存しているということが軽視されている。それゆえに、資本主義の発展度合や帝国主義、植民地主義、ファシズムといったことが顧みられず、主に国家間の現象化している「パワー」にのみ観点が置かれるのである。)
安倍政権の戦争準備に反対する勢力の実証的研究が少ないことから、本来中立的な「軍事専門家」や市井の人びとに至るまで「外国に攻められたらどうするのか?」という疑問が出るのだ。そういった疑問に対しては、具体性を持った説明をしなければならない。いわゆる「戸締り論」に対しても、反対派の反論は極めて抽象的、かつ観念的である。家庭と国家は同じレヴェルで論じられないという。当然のことだが、その反論の中に、具体的な実際に起こった紛争事例はまったく出てこない。例えば、これには2008年のロシア・グルジア紛争の事例が役に立つ。勿論これにも、西側のロシア悪者説が根底にあり、事実が捻じ曲げられて報道されている点はあるのだが、実際に起きたことは、グルジア側が先制攻撃し、ロシアが反撃したということである。ロシアが国境に大部隊を終結させ、グルジアを挑発した。それに、グルジアが軍事力で反応した。双方とも、国家間の問題を軍事力で解決するという姿勢があったためである。これには、グルジア領南オセチアに住むオセチア人(ロシア領内北オセチアに住む民族と同じ人びと)が、グルジア政府によって抑圧されてるというロシア側の判断があり、過去においてソ連という同一国家間での、極めて特殊な状況下でのことである。このことから、次のことが言える。軍事力で解決しようとする方針が、武力衝突を生む。国家間の衝突は、その置かれた固有の状況で起こるのであり、普遍的な国家の関係とみなすことはできないということである。つまり、どういうことか? 何の理由もなく、「戸締り論」者が言うような「外国から攻められる」などということは決してない、という証左である。
中国脅威論に対しても、日米韓は既に圧倒的な軍事力を有しており、むしろ中国や北朝鮮側からは日米韓の軍事力こそが、それこそ脅威であることを指摘しなければならない。それには具体的な兵器を挙げて説明するぐらいのことをしなければ、脅威と感じている人びとには届かない。北朝鮮のミサイルをマスメディアは喧伝する。しかし、韓国側のミサイルシステムの方が、技術的に遥かに優れ、圧倒的に軍事的優位に立っていることを多くの人びとは知らないのだから。
世論をどう動かしていくのかとは、一種の情報戦である。それには抽象的観念的なことを繰り返していても、市井の人びとには届かない。真実がどこにあるのかは、とても捉えづらいことだ。だからこそ、ありとあらゆるレヴェルで、分かりやすく、具体性を持った情報を提示しなければならないのだ。考えられるすべての情報を提示する、そのことが少しでも真実に近づく道だからだ。
?安倍政権の政策に反対するデモでは、参加人数の上では日本共産党、またはこの党と支持協力関係にある団体(例えば、全労連傘下の労組)の方が多いが、それには属さない数多くの市民団体と無所属市民も参加している。この市民団体や無所属市民は、一定の政治的主張を持つが、無党派勢力と言っていい。だがしかし、ここで考えなくてはいけないのは、この無党派とは一体いかなる意味を持つのか、ということである。
マスメディアでは、無党派層の存在は既成の政党の魅力がないためであり、イメージとしては肯定的なニュアンスで捉えられている。まるで、既成の政党にすべての責任があるかのように描かれる。しかし、これほど愚かな話はないだろう。既成の政党に魅力がないと考えるならば、既成の政党を支持できないと考えるならば、新しく政党をつくらねければならないからだ。議会制を採用している限り、武力による権力掌握を考えているならば別だが、議会で多数派を形成しなければ、政治は先へは進まないのだ。そのためには、積極的であれ、消極的であれ、支持政党を選ぶか、新しく政党をつくらなければならない。そういう努力を無党派は充分にしていると言えるのだろうか?
ギリシャの現政権党のシリザ(急進左派進歩連合)は、2004年に左派政党の連合体として結成されたものである。ギリシャでは、中道右派・左派のそれまでの政権党に、極右政党、極左のギリシャ共産党等が存在していたが、それにも飽き足らず結成されたものである。急進(英語でradical)という名がつくが、ギリシャ共産党より急進度合は穏やかである。2014年の欧州議会選挙で突然第4位に躍進した、スペインのポデモス(我々はできる、という意味)も2004年に結党された政党であり、現在では35万人以上の大政党である(NHK,スペインTVEテレビ)。日本の政党では、民主党23万人、共産党31万人、社民党1.7万(読売新聞2014年)であるから、その大きさが分かる。フランスで国民議会に現在議席を有する政党で、右派と伝統的左派を除くと、PG左派党2008年,PRG急進左派党1973年,MRC共和国市民運動2003年、EELVヨーロッパエコロジー・緑2010年に結成されている。ドイツでは、DIe Linke左の党が2007年に結成されている。これらの政党は、既成の政党からの分派と市民運動・労働運動との合体であり、ここでの「左」とは共産主義者、社会主義者のみを指すものではなく、現状より、平等、社会的公正、市民的政治的自由(経済領域の自由ではない)を求めて連帯する者たち、金持やエリートの側ではなく民衆の側に立つ、というような意味である。その他のヨーロッパ諸国でも、民衆の側に立つ新しい政党が続々と出て、議会に進出している。中南米の多くの左派政権は、大衆運動の結果として政権である。典型的な例としては、「ゲバラの理想を現実のものに」という旗を掲げるボリビアのモラレス政権は、先住民運動・農民運動・労働運動と一体化した議会闘争によるものである。モラレスの与党Movimentos al Sosialismo(社会主義運動)は、政党であり、運動体でもある。だから、党partidoとは名乗らない。大衆運動と議会闘争が同時に行われているのだ。(ルモンド・ディプロマティーク、スペインRTVEドキュメンタリー等による。)なぜ、このようなことが日本ではないのか?
日本では地方議会に僅かにそのような小政党が見られるが、国政レヴェルではない。それには選挙制度の違いや供託金が高すぎるといった個別の理由があるのかもしれない。しかし、もっと大きな理由は議会軽視であり、「議会嫌い」とも言うべきところにあるのではないか? それは、議会選であまりに自民党一党支配が続いたための、諦念にあるのではないか? また、選挙に勝利するためには、小勢力は連合を組まなければならないが、意見の違いによる批判が敵対視と同様になる日本的政治的風土によって、それが困難になっているのではないか? それとも、議会闘争を否定する大衆運動中心主義にあるのか? その辺のことは根拠が薄く判然とはしない。
いずれにしても、国会における勢力のうち、社会党が抜けた穴が埋まらないのは確かだ。その穴埋めが、内部で意見の違いが大きすぎる民主党ではできないことは、その凋落ぶりで明らかだ。それには、共産党、社民党とさらに別の、民衆の側に立つ政党(左派の)が必要なのだ。共産党、社民をが支持できなければ、別の強力な国会に議席を持てる政党をつくらなければならない。戦争ができる「普通の国」とは別の、資本の論理とは別の(alternativeの)、金持やエリートとは無縁の民衆の側に立つ政党をつくらねければならないのだ。
今後、自公政権は、急に目立つようなことはせず、じわりじわりと自衛隊の海外活動を増やして行くだろう。すぐに中東地域で軍事作戦を展開するなどということはなく、少しずつ後方支援部隊を増強するというようなやり方をするだろう。アジア地域では、米軍との共同訓練から、監視活動などの地味な共同作戦を行う。目立った行動をとらなければ、マスメディアもそれほど騒ぐことはない。しかし、そういった行動は、確実に米軍との一体行動に近づくことであり、いわゆる「テロ」組織に攻撃される危険性は増大する。一度、自衛隊が「テロ」組織から攻撃を受ければ、世論は攻撃された自衛隊員に同情的となる。自衛隊員が殺傷されることにでもなれば、マスメディアはなぜ反撃しないのかと煽るだろう。そうなると、憲法に違反するというような主張はかき消されてしまう。自公政権としては、改憲の好機でもある。そして日本は、戦争ができる「普通の国」となるのである。