夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

進次郎新総裁で自民は総選挙圧勝。日本の政治は”喜劇”を繰り返す。

2024-09-08 11:07:00 | 社会


 「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(注)は、カール・マルクスの言葉だが、日本の政治は、一度や二度でなく、何度でも愚かな喜劇を繰り返す。

(注)正確には、「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。ただし、彼はこう付け加えるのを忘れた。はじめは悲劇として、二度目は笑劇として、と。」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。

自民党総裁選は「進次郎で決まり」
 自民党総裁選は、9月12日告示、27日投開票が行われる。メディアによれば、10人以上が立候補が見込まれ、その中でも有力なのは、石破茂、河野太郎、高市早苗、そして小泉進次郎等だという。また、日本テレビは、自民党党員・党友の支持者を調査し、1位は石破茂、2位は小泉進次郎と伝えている。
 しかし、総裁選後に新首相国会指名があり、速やかに解散総選挙が行われることを考えれば、選挙の顔として最もふさわしい人物を新総裁に選ぶのが、自民党として最も適切と考えられる。勿論、その人物とは小泉進次郎である。
 自民党は「裏金問題」等で内閣支持率でも最低を記録し、選挙に勝つためには、「新しい」自民党をイメージさせなければならない。過去を振り返れば、どんな人物が新首相になっても、支持率は上昇するのだが、(麻生太郎内閣ですら、当初は48.6%もあった。)今回は特に、「今までとは違う、生まれ変わった自民党」を訴えなければならない。石破茂や河野太郎では、旧態依然としたイメージが拭いきれず、選挙向けとしては、新鮮さと若々しさを兼ねた小泉進次郎しかいない。
 
 野党の立憲民主党も、代表選が行われており、野田佳彦、枝野幸男が有力視されている。しかし、67歳の野田、60歳の枝野は、過去の政治家であり、刷新性は皆無。あまりにも人材不足であることを露呈しているだけである。これでは、小泉進次郎に立ち向かえるわけもない。
 小泉進次郎は、早期解散を公言しており、その解散総選挙では、自民党は圧勝できるだろう。

日本の選挙の現実
 本来選挙とは、政党の政策を中心に、有権者は、政策として何がふさわしいのか、それは適切なのか、或いは、その政策が自らの利益になるのかを考慮して選択するものである。しかし、現実の日本の選挙では、政策など二の次、三の次である。
 実際、野党の政策など知っている者は、ごく一部の者に過ぎないだろう。新聞を読めば分かると反論されるかもしれないが、新聞には野党の主張は選挙時に形式的に載るだけで、普段は世の中、何が起きているのか、新聞社の世界観に合わせて書かれているだけである。相当な熱心さを持ち合わせていなければ、野党の主張・政策など、詳しく読み、把握することなどできない。そもそも、新聞を読む層は、もはやかなりの少数派である。
 新聞より多くの人びとが見聞きするテレビでは、ワイドショーなど、いわゆる情報番組は、面白おかしい視聴率の取れる内容(コンテンツ)ばかりで、野党の主張・政策など報道することはめったにない。野党に言及するのは、ニュースで選挙時に、形式的な「公平性」から、主張・政策を列挙するぐらいである。
 与党の方は、現に政策を実行しているのであり、賛成・反対はあるが、何をする政党なのかは、理解しやすい。
 
 日本の選挙は、世界的は極めて稀の個別訪問禁止が前提になっているので、政党は選挙時には、街頭演説と選挙カーが主力にならざるを得ない。しかし、既成の与野党の街頭演説など、明らかな支持者か、或いはヤジを飛ばす目的の反対者しかまともには聞いていない。選挙カーなど、うるさいばかりで、むしろ、反発を覚える者の方が多いだろう。
 
 実際は、多くの人にとっては、野党がどんなものなのかは、よく分からない。イメージとしては、立憲民主党は、何だか分からず自己崩壊した民主党の残党に過ぎず、共産党は、旧ソ連や中国などの国のような政治を行う変質的な人の集まりであり、残りの維新も国民民主党も、自民党の二軍チームのようなものである。
 自民党は、コンクリートとデジタルによる開発で利益誘導できる強固な支持層を持っており、さらに裏金を含むカネで、後援会・支持者を増やすこともできる。
 この現実からは、与党が圧倒的に有利な状況しか生まず、世界的には異常な、自民党の長期政権を作り続けているのである。
 
「都知事選、石丸伸二善戦」と仏メランションのヒント
 7月の都知事選では、立憲民主党の蓮舫を抑えて、相対的には無名の石丸伸二が第2位の得票数を挙げ、マスメディアを驚かせた。
 石丸は、公約では、「政治再建」「都市開発」「産業創出」 を掲げていたが、どうやってそれを達成するのかは、さっぱり具体性はなく、それが「善戦」の理由などではないことは明らかだ。この人物の政治スタンスは、霧の中で不鮮明なのである。
 石丸は、街頭演説で人びとの関心を集め、それがSNSで拡散され、集票につながる戦略をとった。
 それを、デイリー新潮が「石丸氏は都内で精力的に街頭演説を行っており、その様子はYouTubeなどで動画が紹介されています。実は石丸氏の演説には“型”があり、最初は街の様子などまず聴衆の笑いを取ります。次に三菱東京UFJ銀行で勤務していたことに触れ、ニューヨークで為替のアナリストとして働いていた経歴を披露。『都知事候補として最も経済に精通している』とアピールします」(6月29日) と書いている。
 「軽い話題から入り、まず聴衆の笑いを取り」とは、まるで受け狙いの芸人の手法である。さらに、「石丸氏は6月24日に三菱東京UFJ銀行の本店前で街頭演説を行い、『都立高校の生徒会長に100万円の“ばらまき”を行う』との新しい公約を発表した。」 「この公約は注目を集め、スポニチアネックスが記事を配信すると、SNS上などで拡散しました 」(同)という。これらは、明らかにポピュリズム的手法に他ならない。
 世界に目を向ければ、現在、西側で最大の左派勢力が、「不服従のフランス」LFIであるのは間違いない。7月のフランス国民議会選挙で、極右と中道派を抑え、新人民戦線NFPは躍進したが、その中核となったのが、LFIである。このLFIと他の左派との違いは、集会でもハリウッドなようなイルミネーションを使ったド派手な演出で人びとの注目を集める手法を多用することである。何よりも、このLFIの指導者、ジャン・リュク・メランションは、「政治と経済の指導者たちを一掃する全面的反乱を訴え、既成の左派と保守を新自由主義の共謀者、金権政治への奉仕者として告発する」(佐賀大学 畠山敏夫)スタンスのポピュリズム的手法で人びとの注目を集めることに成功している。
 
 大量の情報が人びとを包み込むが、肝心な重要なことは、ほんの僅かにしか、人びとに届かない。マスメディアは、商業性から自由になれず、カネと権力に都合のいい情報、もしくは受け狙いの情報しか流さない。そこから派生するネット空間の情報も、マスメディアの流す「域」を出ることは難しい。その状況においては、人びとの注目を、何が何でも集めるというポピュリズム的手法しか、現状に抗する勢力には、残されていないのである。そのことを石丸伸二もメランションも示しているのである。

 話しを小泉進次郎に戻せば、小泉は、自民党の「汚い」イメージを払拭できる「よく分からないが、若いし、変えてくれそう」という素質を持っている。それで、古めかしいイメージしかない立憲民主党や共産党を圧倒できるのである。旧態依然のイメージしか与えない野党は、惨敗するしかない。やはり、日本の政治は「何度でも愚かな喜劇を繰り返す」のである。
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西側の「二重基準」は なぜ生まれるのか?(2)

2024-09-01 10:57:00 | 社会

TBSニュースより

 8月9日の長崎の原爆投下から79回目にあたる「原爆の日」の平和式典に、
英、米、ドイツ、フランス、イタリア、欧州連合(EU)は、大使の出席を拒否した。理由は、式典主催の長崎市がイスラエルを招待しなかったことに対し、「イスラエルをロシアと同列に扱った政治的判断があった」から、というものだ。
 しかしこれは、相も変らぬ、米欧の「二重基準」を世界に示したに過ぎない。さすがに、アメリカの対ロシア・中国外交政策には無批判の朝日新聞も、「米欧 いびつな正義露呈」(8月10日)という東大の遠藤乾教授(国際政治)のコメントを全面に出したほどだ。遠藤は「パレスチナ自治区ガザにおける過剰な殺戮を踏まえれば、イスラエルをロシアと同様に招待しないという判断は成り立つ」としているが、そもそも、「政治的判断」だと欧米は批判しているが、ロシア・ベラルーシを招待しないということも「政治的判断」なのである。米欧は、論理的に、まったく成立しない「批判」をしているのである。イスラエルが殺害したパレスチナ民間人は、ロシアが殺害したウクライナ民間人よりも遥かに多いことを考えれば、論理的にも倫理的にも破綻した、批判というよりも難癖のようなものを米欧は押し付けてきているのである。

国民は政府のイスラエル擁護を支持していない
 このように、欧米政府が「二重基準」を改める様子はまったく見えないが、それが国民全体の意思なのかと言えば、そうではない。イスラエルのパレスチナ人攻撃に話しを戻せば、欧米では、イスラエルの蛮行を糾弾し、政府のイスラエル支援に抗議するデモや集会が頻繁に行われているように、日本などに比べて、政府のイスラエル擁護を厳しく批判する国民はかなり多い。それは、欧米政府がイスラエルに軍事支援を行っており、欧米、特にアメリカ製の兵器でパレスチナ人の大虐殺が行われているからである。バイデンは、パレスチナ人の死を悼み、人権を口にするが、軍事支援をやめるどころか、逆に増大させているのである。イスラエルを停戦に導くには、軍事支援をやめると言えば、それで充分なのである。イスラエルは欧米の軍事支援が途絶えれば、軍事行動が大幅に制限されるからである。
 バイデンの後を継ぎ、民主党の大統領候補になったカマラ・ハリスも、ガザの状況について「私たちはこの悲劇から目をそらすことはできない。苦しみに無感覚になることは許されない」とバイデンよりも、パレスチナ寄りの言葉を口にするが、「私はイスラエルの防衛と自衛能力に対し、明確に揺るぎなく積極的に関与している。それが変わることはない」(以上8月29日CNNインタビュー)と、イスラエルがパレスチナ攻撃を正当化する「イスラエルの自衛維」を「断固支持する」姿勢は、変えていない。
 ハリスが、バイデンよりもガザの窮状を口にするのも、民主党支持者の中にはパレスチナ連帯気運が強いので、大統領選を意識してのことだが、民主党であれ共和党であれ、両党の主流派の基本はイスラエル擁護であることに変わりない。
 アメリカの世論調査では、イスラエルがガザ地区で行っている軍事作戦について「支持しない」と答えた人が55%と半数を超え (2024年3月ギャラップ)、「イスラエルへの軍事援助がパレスチナ人に対する軍事作戦に使用されないよう米国は条件を付けるべきであると答えた人は53% (2024年8月シカゴ国際問題評議会 )と、アメリカ政府の政策と一致していない。
 このことは、国策に国民の意思が反映されていないことを如実に表している。

国策に国民の意思は反映されていない
 アメリカのバーニー・サンダースは、「ロシアなどと同様に、アメリカやその他の国も寡頭政治が行われている。一握りの資産家、大金持ちに都合のいい政治が行われている」と、たびたび発言している。実際、「自由民主主義」を標榜する西側諸国でも、富める者はさらに富み、おうおうにして中産階層は下層に転落し、貧しい者は増え続けるという現象は、数十年以上前から進行している。どこの「自由民主主義」国でも、経済が活性化すれば、国民は豊かになれる(トリクルダウン)と称して、政治は産業の振興策に莫大な税金を注ぎ込む。結果は、一部の者が莫大な利益を上げ、国民に回ってくる、そのおこぼれは僅かであり、国民から吸い上げた、大資本・大金持ちの金融資産は膨れ上がり、重労働は加速され、本来あるべき福祉予算が削減されているので、国民の生活は疲弊するばかりである。これらは、新自由主義と呼ばれる事象なのだが、「自由民主主義」国の自由は、1941年にフランクリン・D・ルーズベルトが掲げた「人類の普遍的な四つの自由」の中の「欠乏からの自由」は、完全に忘れ去られている。


「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい政治」が「二重基準」を生み出す
 この「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい政治が行われている」ことと、西側諸国の「二重基準」は、実は、同じ現象なのである。欧米政府のアラブ世界に対する「玄関口」であるイスラエル擁護は、欧米の国家の政治的経済的利益を守るためなのだが、その国家の利益は、国民の大多数を占める庶民階層の利益とは無縁の、「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい」利益に過ぎないのである。端的な例を挙げれば、イラクの独裁者を葬り去ったイラク侵攻では、その後のイラクに派遣されたアメリカの行政支援部隊は、徹底してイラク経済を「自由化」し、欧米資本に利益を与える役割を担ったのである。それは、欧米政府の言う「自由民主主義」国家の利益は、大資本、大企業の利益に結びつくことの証左である。

 ロシア・ウクライナ戦争とイスラエルのパレスチナ攻撃で、西側諸国の軍事産業、国際石油資本は、莫大な利益を上げている。これらの潤沢な資金は、アメリカ議会の産業代表のロビー活動にフルに使われ、外交政策に強い影響力を及ぼす同時に、企業系シンクタンクの財源となり、支配的知的情報にも大きな影響を与え続けている。
 そのことに加えて、多くのマスメディアも、「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい」政治のプロパガンダ機能から離れることができない。それは、
マスメディアが利益なくして存続できないことから、経済構造の一部として成立しているので、広告主の意向を無視できないなど、現存する政治経済システムから完全に自由にはなり得ないからである。

 現実に欧米では、バーニー・サンダースを始め、英国前労働党党首ジェルミー・コービン、「服従しないフランス」のジャン・リュック・メランションや社会主義者、多くの急進的左派や平和運動家は、イスラエルへの軍事支援をやめるよう政府に要求している。それは勿論、「二重基準」をやめということなのだが、「二重基準」をやめさせることは、「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい」政治をやめさせ、庶民階層の生活を向上させる政治に変えろ、ということと同じことなのである。
 
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