夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。」 なぜ、そのようなことが言えるのか?

2015-10-17 15:38:38 | 政治

  これは、某清涼飲料水会社のテレビ、新聞等へのコマーシャルコピーである。なぜ、「世界一」と言えるのかという根拠に、この会社はこのコピーの後の文章で、「甘い」「コクがある」等、「日本語には味わいをあらわすための多彩な表現」があることと、「和食がユネスコ無形文化遺産」になったことを挙げている。日本語に多彩な表現があるとして、日本語以外の言語には「味わい」に関する多彩な表現がないという主張をしている訳ではない。また、ユネスコ無形文化遺産の「食」に関しては、フランス料理等ほかに4っつもある。つまり、当然のように「世界一」という根拠はないということだ。根拠がないことは明らかなのに、なぜこのようなコピーを流すのか?

 この手のコマーシャルが流されるのは、「日本は優れている」という自画自賛のテレビ番組が(少し下火にになってはいるが)放映されていることと、無縁ではあり得ない。勿論、自分の国に自信と誇り持つことは、自然なことであり、批判されることではない。しかし、自信と誇りを持つことと、「世界一」だと優越性を主張することとは別なことだ。このことは、自信と誇りを失いつつあることの裏返しでもあるとも言える。他者から優れていると言われなくなったから、自分で言うしかないのではないかと揶揄されれても仕方がない。ちょうど「日本の美徳」とは正反対の「恥ずかしい行い」であるとも言える。日本は優れているということを、また日本人の味覚が繊細であることを否定しているのではない。確かに、優れているのかもしれない。しかし、どんなに優れていると思っているとしても、自らそれを声高に主張することは「恥知らず」な行為だろう。。

 しかし、問題はそれだけではない。それは、「日本人」を「大和民族」に、あるいは、「ゲルマン民族」に、「アーリア民族」に置き換えてみれば、ことの重大さが分かる。ある民族が、他の民族よりも優れていると主張しているからだ。民族ではなく、「日本人」という曖昧な表現(一般的に使われる昔から日本に住んでいる人びとというような意味の)を使用しているとしても、日本人以外は、日本人と比べれば、味覚において繊細ではないと言っているのだ。フランス人もアメリカ人も中国人も、味覚の繊細さにおいては、日本人より劣ると言っているのだ。確かに、「繊細だ」で、切られているのではなく、「思う」とつなげ、個人の意見だと逃げられるようにはなっている。しかし、「思う」に主語はないので、これを作った某清涼飲料水会社が思っていると解釈するのが自然だが、それより寧ろコマーシャルということを考えれば、この文言は日本人全体の共感を得るものだという前提で作られ、あたかも主語は日本人全体であるかのように作られていると考えられる。そこには、「みんなもそう思うはずだ」という意味が込められているのだ。この文言が反発される恐れがあると予想されれば、製作会社は絶対に採用しないだろう。製作会社は、日本社会全体に共感を得るに違いないという確信をもって作っている。それは、既に共感を得られるという「空気」が日本社会全体に流れているということだ。

 こんなコマーシャルを日本以外で流せるのかと言えば、不可能に違いない。逆に、日本で海外メーカーが、「日本人」を「フランス人」に、あるいは「中国人」に、あるいは「韓国人」に、替えて流したら、日本人は反発し、総スカンを喰らうのは想像に難くないからだ。それこそ、極右勢力は海外メーカーのビルに街宣車を繰り出すだろう。それを考えれば、日本社会全体に流れている「空気」の正体が分かる。勿論、それはナショナリズムである。

 このコマーシャルコピーが4月から流されて、今までほとんど反発されたことがない。批判的な反応は、ネット上で一部の人びとが、「自画自賛は恥ずかしい」という感想を漏らしているぐらいだ。それは、この「空気」のようなナショナリズムが日本社会全体に流れている証左だろう。またそれが、安倍政権の支持率が一定以上下がらないこととと関係しているのではないか。そう考えてもおかしくはない。現憲法を事実上改変する政策に邁進する政権を支えているのは、こういった通常ほとんど意識されない、「自画自賛」をしてもほとんど反発されない、意識の底辺を流れているとも言うべきナショナリズムではないのか。

 「戦争は嫌だ。しかし、他国から攻められたら反撃するしかない。そのためには、反撃できる準備も少しは必要だ。」これが、多くの日本人の意識だろう。しかしこの論理には、なぜ「他国が攻めてくる」のか、という冷静な疑問が欠落している。その答えに極右の多くは、例えば、櫻井よしこは「悪辣な国」(中国を指す)だからという(国家基本問題研究所 2015.8.7朝日新聞広告)。他国を「悪辣な国」という前提には、実は自らは正義である、優越しているという意識が隠れている。それは、ナチスが「アーリア民族」の優越性を「科学的に」立証しようとしたことを考えれば、分かるだろう。自らの優越性があるから、ユダヤ民族は劣等なのである。劣等だから共産主義者と同様に社会に害悪を流す。だから、絶滅させねばならない。この一連の意識と、いかなる分野であれ、自らが世界一だと主張することは、同じ次元に属するものだ。こういった「空気」のようなナショナリズムが、最悪の場合に戦争を引き起こすと言っても過言ではないだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする