12月14日、衆議院議員選挙の投開票が行われた。マスメディアの言うように、「大義なき」、意味不明の解散だが、結果は、これもまたマスメディアの予想どおり「自公」の勝利に終わった。変化は、「維新」その他の「第三極」が後退し、共産党がいくらかか議席を伸ばした程度だ。共産党が議席を伸ばしたと言っても、1970年代のこの党の議席数(1972年38議席)にははるかに及ばない。結局、多くの問題を抱えたままで、総選挙は終わったのだ。
1.憲法第7条第3項を用いた、総理大臣による衆議院解散権の違憲の疑いは消えていない
相も変わらずマスメディアは、総理大臣による衆議院の解散を「伝家の宝刀」などと呼び、読売新聞にいたっては「解散の判断は、首相の専権事項である」(2014.11.19社説)と断定している。では、いつから、「専権事項」になったのか?
1952年吉田茂内閣は、憲法第7条により衆議院を解散した。その時点で衆議院議員であった苫米地義三(とまべちぎぞう)が憲法違反であるとの裁判を起こしたが、1960年6月8日最高裁大法廷判決は、「高度の政治性」を理由に、違法性の判断を回避し、司法審査の対象にならないとした。所謂「統治行為論」であり、愚かにも、三権分立のうち、司法が自らの権能を縮小化したもののひとつである。その愚かさはここでは問わないが、合憲とも違憲ともしていないということは記憶されるべきだ。その後、第7条による衆議院の解散は後を絶たない。そして、いつの間にか、合憲とも違憲ともされていないものが、何の疑問もなく「伝家の宝刀」と呼ばれるようになった。ちょうど、自衛隊の違憲訴訟が、「統治行為論」により司法判断がなされなかったことが、いつの間にか、集団的自衛権はさておき、個別的自衛権のすべてが合憲であるかのようになってしまったことと同じように。
憲法第7条は、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認により」「行う」と定めたものである。その第3項に、衆議院の解散がある。だが、第1項には、「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」とあるのだ。「内閣の助言と承認」だけで、衆議院の解散が行えるならば、「憲法改正」の「公布」までも、「内閣の助言と承認」だけで行えることになってしまう。どんな愚かな人間でも、「憲法改正」の「公布」と、「内閣の助言と承認」の間にさまざま条件、多くの手続があると考えるだろう。国事行為が、形式的で儀礼的なものに過ぎないと捉えるのが自然なことの理由のひとつだ。したがってそれと同様に、衆議院の解散が、無条件で、「内閣の助言と承認」だけで行える、つまり総理大臣の鶴の一声で行われると考えるわけにはいかないのだ。言い方を変えれば、衆議院の解散が、「内閣の助言と承認」によって行われるのは、「国民のため」のそれなりの理由、それなりの必要性,つまり衆議院を解散しなければ内閣の職務の執行が阻害されるということがない限り、違憲であるとの疑いは免れないだろう。平たく言えば、総理大臣は好き勝手に衆議院を解散していいなどとは、憲法上決してならないのだ。
マスメディアは、解散に、「大義」のあるなしなどという曖昧な表現ではなく、違憲の疑いが残ると表現すべきなのである。
2.相対的多数派が絶対的多数派になる選挙制度
総選挙の結果について、マスメディアは概ね「自公の大勝」と表現しているが、一部では自公の得票率が過半数に届いていないのに、議席数で3分の2を超えてしまうという小選挙区制に対する疑念をも載せている(日経新聞12月15日等)。さらにネット上では、自民党の全有権者の絶対得票率が16.99%に過ぎないこと、2013年の参院選より比例で得票数を減らしていることなどから、阿部政権は民意の信任を得たとは決して言えない、という指摘が数多くなされている。絶対得票率を持ち出すのには疑問があるが(論理的には、選挙権を行使しない者の意見は分からないので)、日本の選挙制度が民意を正確に反映していないということは、間違いない。
同じ小選挙区制でも、フランス型の選挙制度では、第1回投票で過半数、かつ有権者数の4分の1を越えた候補がいなければ、上位2名の決選投票となる。この制度は多数決の原理として、整合性があるものだ。例え、49%の得票率で1位だとしても、51%の意見は1位の候補に反対である可能性が否定できないからだ。今回、自民党の小選挙での得票率は48.1%に過ぎない。このことは多くの選挙区で第2回投票があれば、野党の候補が勝利する可能性を示している。なぜならば、共産党に投票した者の多くは自民党には投票しないと容易に想像できるからだ。このように、比例代表であれば勿論であるが、小選挙区制であっても、制度によって結果は大きく異なってしまう。仮に、完全比例代表制であれば、自民158+公明65=223議席で過半数割れ、さらに連立相手を求めなければならなくなる。
国立国会図書館の資料(調査と情報No.721)によれば、世界199か国のうち、多数代表制(多くが小選挙区制)91か国、比例代表制が72か国、混合制が30か国、その他6か国であるが、近年の選挙制度の改正は、多数代表制から混合制または、比例代表制へと例が多いという。その意味では、2大政党制なる幻想に基づく日本の小選挙区制は、世界の傾向からは逆行しているとも言える。恐らく、アメリカに追従したのであろうが、今日、世界中で多様な政党が存在し、英国ですら、保守、労働の2大政党制は自民党の出現により崩壊しているのである。むしろアメリカの民主、共和の2大政党制は世界的には例外なのである。単純小選挙区制は、二つの政党のうちの勝者が過半数を超えるということがない限り、過半数に達しない相対的な多数派に過ぎない政党が、絶対的多数派になるという矛盾を抱える。言ってみれば、マジックであり、日本の場合、そのマジックによる「自公の大勝」なのである。