衆院選と自民党総裁選のテレビ報道は、圧倒的に差があった。テレビは、自民党総裁選は「加熱ぎみ」であり、衆院選は投票後の結果は全局で報道したが、そこに至る選挙の過程は、極めて「地味」なもので、せいぜいニュースで党首の選挙演説を流す程度のものだった。ワイドショーは、各局が全総裁選候補を順繰りに出演させ、言いたい放題を言わせていた。今日は河野、明日は岸田、という具合に主演させ、機嫌を損なわないように、「忖度」した質問をぶつけるという内容である。それはほとんど彼らの宣伝と言っても過言ではないだろう。その反対に、衆院選では野党の党首が出演したのは、羽鳥慎一モーニングショーぐらいで、それも個別ではなく、全員ひとまとめで顔を出させたのである。
今回維新が議席を大幅に増やしたが、維新の三羽がらす、松井、吉村、橋本は、ワイドショーの常連である。特に橋下徹は、直接、維新の宣伝をしているわけではないが、その考えは、当然のことだが、維新の考えと同一である。それを毎日のようにテレビで発信しているのだから、維新の主張が、浸透しないわけがない。
また、各党がテレビCMを流したが、「くそ真面目」な立憲や共産党のものなど、まともに観るのは、その固定的支持者だけだろう。面白くなければ、多くの視聴者は、同意もしないし、好感は持たないのである。同様に、自民党も維新も「くそ面白くもない」CMだったが、これらの政党の方は、普段からテレビに出ているので、影響はないのである。(公明党は、宗教政党なので、特殊、例外である。)
人は得られた情報からしか、物事を判断できない。その社会的情報は、マスメディアを通じて以外にはない。インターネット内のほとんどの情報は、ニュースサイトを見れば分かるように、もともとの情報発信は、マスメディアである。だからGAFAが、新聞・テレビに情報料を支払うべきだと問題になっているのである。SNSも多くの場合、そのマスメディアの情報に基づいて、あれやこれやと発信しているに過ぎない。
分かりやすい例が、アフガニスタン情勢である。アフガニスタンで何が起こっているのかは、ほとんどメディアからの情報に頼る以外にない。したがって、タリバンの非人道的行為の記事が多く報道されれば、タリバンは「悪」と人びとは、判断するのである。(実際に、西側主要メディアはそれらの記事を大量に流し、中村哲医師の証言にある、タリバンが、北部同盟の窃盗、強盗、強姦、殺人から、農村部の住民を守り、一定の民衆の支持を得ているということなどは、小さめにしか報道されていない。)
日本では、新聞、テレビとマスメディアの情報源があるが、新聞はある程度支持政党が固定しており、かつ、購読者も減少している。やはり、最も一般大衆の情報源は、今のところ、テレビなのである。
そのことは、総務省の「主なメディアの利用時間と行為者率」調査でも明らかである。2019年のテレビ(リアルタイム)視聴行為者率が全年代81.2%なのに対して、新聞購読行為者率は全年代23.5%に過ぎない。特に、新聞購読行為者率は、20代3.3%、30代9.9%と若年層ほど低く、かつ、年々下がり続けている。概して言えば、大多数の日本人はテレビを観るが、新聞は読まないのである。
テレビは、支持政党の固定化などなく、あたかも公平であるかのように報道される。また特に、政治にいくらか興味を示し、「真面目」に選挙に行く層と、ワイドショーの視聴者層は重なっているので、その影響力は絶大である。
自民党の総裁選候補については、テレビ各局は忖度して否定的な放送内容にはならない。だから、自民党全体の好意度を上げる。その逆に、ワイドショーでも収賄疑惑が報じられた甘利明は、落選の憂き目に遭うことになったのである。
結局のところ、テレビ露出度の大小で、選挙の勝敗は大きく左右される。それが、如実に現れた選挙結果となった。野党は、正しいことを言っているのだから、いつか勝利できる、と思っているのかもしれない。しかし、どんなに民衆のための「正しい」ことを主張していても、それが民衆に伝わらなければ、千年たっても、選挙には勝てない。現実の「自由民主主義」とは、そのようなものなのである。