夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

新型コロナ(COVID-19)おかしなことだらけ➃「未だに少数検査で良いと主張する一部の専門家」

2020-03-30 14:00:42 | 政治
 テレビに出演する大半の専門家は、未だに日本政府の方針である少数検査で良いと主張する。これは、政権批判を避けたいテレビ局が日本政府の方針を追認しているためである。これらの専門家が少数検査で良いという理由に挙げているのは、1「現に、多くの重症患者や死者が欧米のように出ていない」、2「日本の医療体制は国民が掛かりやすく、異常な患者が多数出れば、すぐにその情報が広く知れ渡る」、3「80%が軽症者なので、自宅療養で良い」、4「検査による多数の感染者が判明し、医療施設に行くと、院内感染もあり、医療崩壊を起こす」というものだ。
 どれも事実に間違いがあるわけではなく、一応の理屈は通っている。だから、まがりなりにも専門家が主張するのである。しかし、これらすべては今のところは大丈夫というものでしかない。1の「現に、出ていない」、2「異常な患者の情報がない」とは、実は2月頃の欧米の状況である。欧米では、2月の段階では、イタリアを除き多数の死者が出てもいないし、通常とは異なる肺炎の患者が多数出ていたわけではない。2月に出ていなかったが、3月には大量に感染の拡大が判明したのである。検査体制が未整備なままでは、重症患者と死者が大量に出てから、ようやくその事実が分かるというとてつもない手遅れになるのは、必至だろう。
 3「80%が軽症」には違いないが、20%は重症化するのである。その20%は検査なしの状態で自宅にいれば、初期段階の治療は不可能だ。イタリアの情報によれば「発症から死去まで平均8日間」(CNN3月22日)と報告されている。発症後できるだけ早く治療を開始しなければ、死者は確実に増えることは明らかだ。
 4「医療崩壊を起こす」にいたっては、現在の医療キャパシティー(能力)に応じてしか患者の治療はできないので、あぶれた患者は知ったこっちゃない、という暴論に等しい。ローマ時代の医師は100%治る病気しか診療しなかったというというのが通説だが、その時代の医師と同じである。患者が多ければ、医療キャパシティーを上げるのが現代の考えである。
 少数検査で良いというのは、今のところ感染者は欧米のように多くはないから大丈夫だと言っているだけであり、もし感染拡大が起きても、または、起きる直前だとしても、それが起きてから対処すれば良いというものだ。それは「泥棒を捕らえて、縄をなう」という考えであり、災害のためにできる限りの備えをするという考えに完全に反している。だから、世界中の専門家の圧倒的な多数意見は、「できる限り多くの検査を実施すべきだ」なのである。
 


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新型コロナ(COVID-19)おかしなことだらけ③「感染者と感染確認例はイコールではない」

2020-03-24 13:11:56 | 政治
 日本の感染確認例が3月22日現在で1,069例となった(クルーズ船を除く)。このことを日本のテレビも新聞も感染者が1,069人になったと表現する。厚生労働省はどう書いているかと言えば、「例」と使いながらも、「感染症の感染者は**人」と書いている。はっきりと書けば、これは完全にフェイクである。事実は、感染が確認された症例が1,069なのであり、感染者ははるかに多くいると想像されるからである。日本の厚生労働省もマスメディアも、平気で嘘を書いており、誰もそのことを指摘しない。
 感染確認例は、中国語で「病例」、英語ではconfirmed case(s)であって、海外メディアはすべてこのような表記になっている。決して、infected peopleなどとは表記しない。これは当然なことであって、例えば、確認例には陽性の者が陰性となり退院し、その後の再度陽性になった者も2例と数える。感染した人は1人だが、2例と数えるのだ。そもそも、既に完全回復した者は感染者ではないが、確認例の中に含まれる。それを感染者と言うのは、昨年インフルエンザに罹った者もインフルエンザ感染者とするようなものだ。確認例を感染者と言い換えるのは、宇宙の星の数を肉眼で数えて3,000個なら、宇宙の星の数は3,000個だというようなものだろう。
 確認例を感染者と表現しても、検査して陽性になった者の数だと誰でも分かるはずだと、日本のメディアは言うだろう。しかし、事実に即して言うなら、確認例のはずの「感染者」が独り歩きし、あたかも、現在日本での感染している人数のように扱われることがあるのだ。
 政府の専門家会議の発表がそれである。この専門家を自称する集団は平気で確認例を感染者と表現している。「新規感染者の増加を抑えらえれいる」と真顔で言い放つのだ。この集団の言う「新規感染者」とは、濃厚接触者と海外からの往来者(帰国者)、それに医師が強硬に検査を要求する者だけ検査し、陽性反応を示した事例のことである。発熱し、疑いのある者は検査をされていない。これでは、なぜそれだけが、「新規感染者」などと呼べるのか、まったく分からない、非論理的、非科学的なものと言わざるを得ない。検査をしていない感染者は、それ以外に数倍はいる可能性があるにもかかわらず、である。その非論理的な数字に基づいて、「急激な感染拡大を示す状況は認められていない」などと言っているのだ。
 確かに、この「新規感染者」を統計学的なサンプルだと考えれば、ある程度の傾向だと考えることもできる。しかし、サンプル数が少なければ、また、サンプルに作為的意図が入れば、信頼度の高い統計的推論もできないのは明らかだ。
 また、専門家会議の一人岡部信彦が「急激な感染拡大を示す状況は認められていない」という根拠に、「原因不明な肺炎での死亡が増えたという話は聞いていない」からと言っている(朝日新聞 3月19日、25日)。しかし、インフルエンザに起因する死亡も医師がインフルエンザで死亡したと報告しなければ、分からないのだ。だから、WHOは超過死亡という概念で、実態に近い死亡数を把握しようとしている。現場の医師がCOVID-19によると疑わなければ、通常の肺炎による死亡と扱われる。「原因不明な肺炎での死亡が増えた話を聞いていない」と言うが、岡部信彦は川崎市の健康安全研究所の所長でしかない。全国で調べたわけでもなく、ただ単に岡部の耳に入っていないというだけで、何の根拠にもならないのだ。
 日本での検査数は韓国の10分の1と、諸外国と比べ著しく少ない。百万人あたりの検査数ではイタリアの15分の1(オックスフォード大学、Our World in Dataによる)に過ぎないのだ。このような少ない検査数による「感染者」が実態を表わすとは、科学者なら考えないだろう。
 アメリカの例で言えば、3月4日までの1日の感染確認例が数例だったものが、その後徐々に増え、3月15日には1日に1,000例を超え、3月23日現在では、累計で33,000例にまで増加した。これは、3月4日までは感染者がいなかったものが、その後突然、感染者が増加したというのではない。感染者は確認される以前からいたのである。突然確認例が増えたのは、検査を大幅に増やしたからである。当たり前のことだが、検査を日本と同じように増やさなければ、確認例は増えることはない。逆に言えば日本でも、アメリカ並みに検査数を大幅に増やせば、確認例も爆発的に増える可能性は否定できないのだ。
 WHOは「test,test,test」と徹底した検査が必要だと言う。直接的の目的は、検査で感染者を特定し、感染経路を遮断するためであるが、感染の実態を正確に把握するためでもある。それに真っ向から逆らっているのが、専門家会議なのである。
 検査数が少なければ、確認例も少ない。感染者と感染確認例を同一に扱えば、感染者は少ないと言い放つことができる。しかし、実態は不明としか言いようがない。
 恐らくそのことは、専門家会議もなかば気づいているのだろう。だから、「オーバーシュート」なる海外ではほとんど使われない言葉を使用して、今後、爆発的感染拡大が起こる可能性はある、と言わざるを得ないのだ。実態が不明だから、何が起こるか分かりません、というのが彼らの本音なのだと思われる。
 専門家会議といっても、政府の一部の機関でしかない。政府は検査数をアメリカ並みに増やすという方針はとっていないので、その範囲でしかものを言えないのだ。残念ながら、お上の方針には逆らえない下級公務員の役割しか担えないのである
 
 
 

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新形コロナ(COVID-19) おかしなことだらけ②「中国式を模倣せざるを得なくなった欧米諸国」

2020-03-22 16:55:00 | 政治
 中国本土以外の感染確認者が中国本土を超えた。その中でも欧米の感染の拡大がとてつもなく早く、膨大な数に及んでいる。WHOが感染拡大を1月に警告したにもかかわらず、3月に爆発的感染拡大が起こる2か月間、欧米はせいぜいアメリカが中国に対する入国制限を行ったぐらいで、ほとんど何もしなかった。そのことが、これほどまでの爆発的感染拡大を招いたのは疑いのないことだ。それとは逆に、最も迅速に対応したのが、シンガポール、台湾、香港で、1月の段階で国境でのスクリーニング(感染の疑いのある者を洗い出す)を実施し、感染の疑いのある者の入国制限を実施した。それが効果があったと考えられ、これらの地域では、充分な検査数があり、確認例が少ないことがそれを証明している(日本は検査数が少な過ぎて、感染の実態は不明)。その他のアジア諸国も欧米より早く何らかのquarantine検疫を実施している。
 ではなぜ、欧米は2か月もの間、ほとんど何もしなかったのか? それについて、WHOの元研究員のTikki Pangestu は、「中国は非常に遠く、欧米では感染は起こらない」という認識があったためだと言う(英BBC3月19日 上記の国の動きも英BBCの記事を参考にした)。つまり、遠い世界の話で自分たちには関係ないだろうという甘い認識があったということだ。
 しかし、この「中国は非常に遠い」という言葉の中には、物理的に遠いという意味の他にもう一つの意味が考えられる。アジア人をコロナと呼ぶようなことであり、人種が異なるという意味だ。認識の片隅に、COVID-19は中国人、アジア人の病気という馬鹿げた心理が働いていたのではないか。白人・黒人にとって、アジア人はよく分からない人たち、別世界の住人たちという意識があるのは以前から指摘されているが、それが今回災いしたのではないか。
 さらに言えば、「欧米では起こらない」という認識の中に、中国の政治体制の問題が潜んでいる。欧米メディも政府も、武漢での感染初期に中国政府が隠蔽したと非難している。それは「一党独裁」国家だから「隠蔽」し、感染拡大を防げなかったというものだ。これは、「民主主義国家間では戦争は起こらない」という言説のようなもので、逆に言えば、「自由民主主義」国家である欧米では感染拡大は起こらないという論理につながりかねない。そもそも、「隠蔽」は事実のようだが、それは何のためだったのか? 結局のところ、この「隠蔽」が国内での共産党批判を呼び起こしているのだ。自身の批判を大きくするために、「隠蔽」するという自殺行為を行ったのか? そんな馬鹿げたことがある筈はない。「隠蔽」で困難を余儀なくされたのは、共産党自身なのである。むしろ、アメリカ映画のように、武漢のウイルスも人間も空爆して焼き払い、何もなかったことにするというのなら、まだ理解できる。何があったのかは想像に難くない。無能な武漢の党官僚たちは、ことの重大さが理解できなかったのである。だから、官僚の事なかれ主義に基づき、面倒なことは隠し、挙句に医師を逮捕したのである。勿論、この武漢の党官僚たちは解任されている。
 イタリアの場合も同じようなもので、感染拡大の発端となった病院での医師がCOVID-19であることを疑わないというミスをおかしたのだ(BBC,AFPの記事による)。言ってみれば、武漢の党官僚たちも重大な疾病であるという疑いをもたなかったというミスをおかしたのだ。
 「一党独裁」でも「自由民主主義」でも、ウイルスは区別なく感染する。ミスがあれば、感染拡大は防げない。当たり前のことだが、自分たちの世界とは違うという心理が働いたのは否めないだろう。
 COVID-19は欧米の感染確認例も中国を抜き、自分たち自身の問題になった。結局、欧米はsocial distance社会的距離政策など、「一党独裁」国家中国式強硬策をとらざるを得なくなった。市中に軍隊まで配備するという「独裁」国家の戒厳令のように。
 
 
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新形コロナ(COVID-19) おかしなことだらけ① 「なぜ武漢市民は餓死しないのか?」

2020-03-20 16:44:23 | 政治
 COVID-19の防疫によって、武漢市が完全封鎖されて2か月近くになる。その間、行政に携わる以外の市民は完全に軟禁状態に近い自宅待機を余儀なくされ、買い物もできない。また、湖北省全域での生産活動も停止している。欧米の外出禁止は買い物など生活に必要最小限の場合は外出が許されるが、武漢では、一般市民の一切の外出が禁止されている。では、市民の食糧、生活必需品はどうしているのか? 
 多くのメディアで、中国政府は湖北省に医療物資、医療従事者を始め、食糧、生活物資等を大量に送り込んでいると報道されている。しかし、その先、各家庭にはどうやって物資は届くのか? 通販業者が配っているのだろうか? 
 その答えは、武漢にとどまっているフランス公共放送France2が放送していた。(中国国営放送も同様の内容を放送していたが) まず、行政の命令により、業者が全国から物資を市内のスーパーマーケット等に届ける。それを、市内で移動の自由を許された者、誰かと言えば、末端の大量の中国共産党員で、ボランティアとして全家庭に配布するというものだった。中国では、共産党は西側の政党とは異なり、実施的には行政機構の一部である。したがって、ボランティアという表現だが、実際には行政の活動として行われていると考えられる。食料や物資は無料なのかと思えばそうではなく、国営放送によれば、政府援助により、格安であるということだった。
 とにかく、各家庭に食料は届き、餓死はしないという仕組みはで出来ているようだ。

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