夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

被団協が平和賞を受賞したが、核さえ使わなければ戦争は許される?

2024-10-14 09:38:02 | 社会

 日本被団協がノーベル平和賞を受賞した。被団協は、核被害者の立場から、世界の核廃絶に向けて粘り強い運動を続けてきた。そのことが評価され、平和賞としての価値あるものと認められたのだから、それ自体は、非常に喜ばしい。しかし、この受賞は「おめでとう。良かったね」だけでは済まない、数多くの問題を、現実にはさらけ出している。

「物議をかもすような選択を避けた 」
 英BBCは、「パレスチナ人を支援する国連のパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が有力候補として検討されていると、広く取りざたされていたが、 物議をかもすような選択を避けた 」という見方があることを紹介している。どういうことかと言えば、欧米政府の大半は、ガザで虐殺を行っているイスラエルを擁護しており、UNRWAにはハマスと繋がりある人物が混ざっているとして、UNRWAにノーベル平和賞を与えるなとという署名が集まる動きがある。UNRWAはパレスチナ人救助活動を行っており、UNRWAを支持することは、イスラエルを敵視するパレスチナ寄りだと見做され、批判されるので、
「物議をかもすような選択を避けた」ということである。
 確かに、この指摘は的を射ている。被団協の平和賞受賞は、現実に起きているロシア・ウクライナ戦争にもイスラエルのガザ、西岸地域、レバノン、イラン、イエメンの攻撃には、何の影響も与えないからだ。これらの現に起きている戦争に影響を与えるような平和賞ならば、どちらの立場に立つかで、賛成・反対が起こり、「物議をかもす」のは避けられないからである。

現実の世界は、核戦力の増強に動いている
 この受賞に対して、首相の石破茂は、被団協の田中熙巳代表委員に「祝意」を表す電話をかけた。勿論、アメリカの核兵器の日本との「核共有」論者の石破の「祝意」は単なる儀礼であり、本音は核廃絶などまったく眼中にないのは明白である。日本政府が、核兵器を包括的に法的禁止とする初めての国際条約である核兵器禁止条約TPNWを批准しない姿勢を変える気はまったくないのである。
 世界の保有核兵器弾頭数は、1980年代の7万発から2023年で1万2千発と冷戦期と比べると総数は大幅に減少している。しかしこれは、「冷戦時代の兵器の廃棄が進んだことにより、核弾頭の総数は減っているものの、運用可能な核弾頭数は年々増加し続けている」( ストックホルム国際平和研究所 ダン・スミス所長 )であって、特に、近年の中国の核弾頭数増加に対抗してアメリカは核兵器の近代化・強力化を推し進めており、この核兵器の総数に現れない強力化は世界核兵器保有国の共通した動きとなったいる。

核兵器は通常兵器の延長線上にある
 核兵器も使用が人類史上最悪の、桁違い被害をもたらすのは言うまでもない。核兵器は、通常兵器にはない核汚染、放射能被害を与え、戦争が終わった後もその傷痕は消え去ることはない。その被害者である団体が、核兵器の恐ろしさを粘り強く世界に訴え続けることは大きな意味を持つ。しかし、現実には、核兵器は通常兵器の延長線上にあるのは、核保有国が強大な通常兵器所有国であることを見ても明らかである。核兵器を保有するが、通常兵器は弱小などという国にはない。それは、敵と見做す相手国の武力に対し、武力によって自国を防衛するという「抑止」という論理から離れられず、通常兵器だけでは「抑止」できないので、核兵器の保有が必要という論理に陥るからである。
 プーチンは、NATO諸国がロシアより通常兵器で戦力が上回るので、NATOのウクライナ軍事支援に「核の脅し」をかけているのである。冷戦期に、NATOはソ連の戦車部隊を中心とする強力な通常兵器の攻撃には、核兵器使用も辞さないという姿勢を公言していた。それらは、通常兵器よりもさらなる強力な「抑止力」として、核兵器があるのを意識してのことである。
 冷戦期の後半には、「緊張緩和」の気運が高まり、レーガン・ゴルバチョフ会談によるINF(中距離核戦力)条約の署名など、核軍縮の動きが見られた。それは、武力による対決を否定し、外交交渉による軍備管理・軍縮,地域紛争,人権問題の解決を選択した結果である。冷戦の終結後、核兵器禁止条約NPT
2017年7月に国連総会で賛成多数で採択され、2020年10月に発効に必要な50か国の批准に達したため、2021年1月22日に発効した。 それは、多分に非核兵器保有国である西側・中ロ以外のグローバル・サウスに代表される国々の力が増したことの影響でもあるが、何よりも、冷戦終結後の軍事力によらない国際問題の解決の気運の高揚によるところが大きい。

 このように、核兵器は決してそれ自体で独立した存在ではなく、核兵器は通常兵器の延長線上にあり、通常兵器の縮小の動きがなければ、核兵器の使用禁止は有り得ない。通常兵器の縮小、すなわち軍縮は、「緊張緩和」、対立する国家ないし勢力どうしが、外交交渉によって武力によらない問題解決を探る手段以外に道はない。それは、世界大戦や冷戦期の人類の教訓でもあるはずだ。その教訓を人類は忘れ去っているのだ。

ガザの市民は、核ではなく通常兵器で殺されて、幸せ?
 被団協は、No More Hibakusha 、No More Hiroshiama Nagasaki と叫び続けるが、必ずNo More Warという言葉も忘れない。被団協自身は、核による被害が通常兵器よる戦争の延長で引き起こされるのを理解しているからだ。被団協の箕牧智之代表委員が、受賞後「パレスチナ自治区ガザ地区で、子どもが血をいっぱい出して抱かれているのは、80年前の日本と同じ、重なりますよ 」と言ったのは、核兵器の被害者も通常兵器の被害者も惨たらしく殺されることには変わりはないという意味を持つ。広島・長崎で原爆で殺された市民も、東京大空襲で焼き殺された市民も、惨たらしく殺されたことには変わりはないからだ。

 この代表委員の言葉に、イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使は 「不適切」と非難した。これは、ジェノサイドを正当化して憚らない自国の政権によって任命された大使の発言としては自然なものだろう。しかし、世界最強の核戦力を保有するアメリカ大統領のバイデンが、10月13日、「核なき世界」の実現に向けた決意を強調し、被団協の平和賞の受賞決定に祝意を示したことほど矛盾した行為はない。ガザの悲惨な状況で言えば、イスラエルの民間人殺害に懸念を口にしながらも、その虐殺に使用された武器の大半を提供している人物なのである。アメリカは、イスラエルへのガザ侵攻後も同国への軍事支援の縮小などまったくしていないのだ。これは、殺人犯に銃やナイフを提供しなかがら、人殺しは良くない、と言っているようなものである。
 バイデンは、世界を「民主主義対権威主義」で二分し、ことさら対立を煽り、武力による対峙を招く世界に誘導した。勿論、バイデンだけでなく、プーチンは愚かにも戦争を選択し、習近平も武力による解決に軸足を置いており、こぞって軍事力拡大に乗り出している。また、ヨーロッパ諸国もインドやアジアの多くの国も、「防衛力の強化」と軍事力拡大を正当化している。軍事力拡大からは、核兵器だけを除外することはできない。その武力による国家間問題の解決という姿勢は、核兵器の廃絶の方向性とは正反対を向いているとしか言いようがないのである。
 
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石破軍事オタクと野田どじょう男の「昔ながら」の対決

2024-10-09 11:35:27 | 社会

日テレNewsより

 10月1日、石破茂は首相に就任し、9日に衆院解散、27日総選挙投開票の意向を表明したので、政局は、完全に総選挙モードに突入している。さっそくマスメディアは、与党の石破と野党第1党の野田の対決と報じている。しかし、この光景は、「昔ながらのおっさん」が「昔ながらのやり方」で「対峙している感」が拭えない。
 
石破の「独自性」は、軍事オタクとしゃべりが遅いだけ 
 石破は4日所信表明演説を行ったが、「失われた政治への信頼を取り戻すとともに、納得と共感をいただきながら安全安心で豊かな日本を再構築する」ときれいごとを言い、「ルール」や「日本」「国民」など5項目の「守る」を掲げたが、具体性のない 建前論に過ぎず、何ら新しいものはない。それはまさに、「昔ながら」の自民党で行きます、と言っているようなものだ。
 石破は、『国防』(新潮社)をはじめ、軍事関連の著書も多数出版しており、防衛大臣時には、大臣室に戦闘機や軍艦など多数の兵器模型で飾るほどの軍事オタクであるのは、自らも認めている。総裁選で争った他の候補との大きな違いは、軍事オタクであることとしゃべりが異常に遅いことだけでなのある。

石破の危険性
 石破は、国会での所信表明演説では、自民党内部からの批判を恐れ、総裁選で主張したことは一切封印し、岸田政権の3年間を「幅広い分野で具体的な成果が実った」と称賛し、経済政策でも岸田政権を引き継ぎ、「デフレ脱却」を最優先に、「賃上げと投資がけん引する成長型経済」を実現すると自民党内に対して、  当たり障りのないことだけを並べた。そして、議論を巻き起こしかねない「アジア版NATO」そのものの言及は避けた。
 しかし石破は、「国家安全保障戦略等に基づき、わが国自身の防衛力を抜本的に強化」 するという軍事力拡大路線を強調することは忘れなかった。実際、これこそが石破の「独自性」だからである。

「アジア版NATO」
 10月2日、外務大臣の岩屋毅は、「『嫌韓・嫌中』などと言っていたのでは日本外交は成り立たない」と述べたが、これは自民党内でも、中国を完全敵視し、敵対関係を推し進めることに反対する意見が一定程度あることを示している。しかし石破は、徹底した軍事力増強主義者であり、アメリカのシンクタンク、ハドソン研究所に「日本の外交政策の将来」と題した寄稿文では、「中国や北朝鮮、ロシアに対する抑止力を確保するため、NATOのアジア版を創設」を主張し、「核の共有や持ち込み」についても具体的に検討すべきだとまで言っているのである。 
 これがアジア版NATOの提唱なのだが、これは完全に中国を念頭に置いたものであるのは言うまでもない。それは、いつでも中国と戦争できる軍事体制を作ることが主眼であるからである。このアジア版NATOの提唱には、石破が選任した上記の岩屋外相も「直ちに設立難しい」と述べたのを始め、「ポエティック」(東大・遠藤乾)と懐疑的な評論がほとんどである。しかし、「アジア版NATO」は、石破が初めて言い出したことではなく、アメリカの対中国戦略の一環から出たものなのである。

「アジア版NATO」構想はアメリカの対中国戦略の一つ
 現実に「アジア版 NATO」への関心が高まったのは、2020年7月のアメリカ議会公聴会において、ビーガン国務副長官が NATO を引き合いに「インド太平洋地域が強力な多国間枠組みに欠く」とし、アジア・太平洋地域での軍事協定を含めた国際協力での中国に対する圧力強化を主張したことからである。これに対し、中国の王毅中国外交部長が「米国はインド太平洋版の新たなNATO 構築を企図」と批判したのである。
 「アジア版NATO」の実現性は、1954年に結成された東南アジア条約機構Southeast Asia Treaty Organization: SEATOが機能しなかった過去も踏まえ、対中国には、アジア諸国の対応は様々であり、アメリカ国内でも極めて懐疑的である(防衛研究所NIDSコメンタリー2020年11月5日)。アメリカの実際の戦略は、日米豪印のクワッド以外は、米日、米韓、米比など二国間軍事同盟を基軸としており、クワッドですら、インドは対中国・対ロシアではアメリカと対応は一致しておらず、アジアでの集団安保構想は実現性は極めて低いことをアメリカ自身が認識している。
 しかし、石破が掲げる対中国を念頭に置いた軍事同盟の強化は、アメリカ政府にとっては、これほど都合がいいことなない。対米従属ではなく、むしろ日本から進んでさらなる軍事力の増強を推し進めるものだからである。
 現在のNATO諸国は、対ロシアのウクライナ支援とNATO自体の強化の方針を示しており、さらなる軍事力の増強、つまり軍事費の増額に迫られている。冷戦の終結で役目を終えたはずのNATOは、実際にはロシアの目の前まで突き進み、ロシア側の脅威となった。それが、プーチンのウクライナ侵攻という狂気の選択を生み出したのは、客観的な事実である。善悪で言えば、軍事侵攻は誰が考えても「悪」であり、法的な意味でも、ウクライナがロシア領内を攻撃する意図も軍事的行動もなかったのだから、(あくまで、ウクライナのキエフ政権と親ロシア地域の紛争は、ウクライナ内の国内問題である。)国際法違反は明白と言える。しかし、それでもNATOの東方拡大は、ロシア・ウクライナ戦争の最大の外的要因であるのは変わらない。
 NATO諸国の中でも、特にヨーロッパ諸国は、経済不況に加えて軍事費の増大に喘いでいる。経済の鈍化は、ロシアからのエネルギー供給が途絶えたことが最大の要因で、それが物価高騰を産み、需要が減退する中での賃金コストの上昇により、不況の永続化が続いている。その結果、税収は縮小するが、軍事費だけが増大していくという構造は、フランスのように年金開始時期を遅らせるなど、社会福祉は後退させざるを得ない状況に陥っているのである。
 日本は、軍事費の対GDP比率が平均して2%を超えるNATO諸国に比べれば、対GDP比率は1.1%と低いが、アメリカの要求どおり軍事力拡大路線を続ければ、いずれNATO諸国並みの2%となるのは間違いないだろう。それは、例え戦争が起きなくても、財政赤字はさらに増し、社会福祉がアメリカ並みの低水準国家の姿である。

「昔ながら」のどじょう男に期待はできない
 石破に対抗する立憲の野田佳彦は、「どじょうはどじょうの持ち味がある」と 自らをどじょうに例えたが、政策は「中庸の政治」という看板を掲げ、立憲を「中道保守」に路線変換させ、支持者を保守層に広げるという方針をとっている。安保法制は「すぐに変えない」と言い、原発も容認、そして何よりも「日米同盟を基軸とするこれまでの政策の基本を踏襲」と自民党の軍事拡大路線を全面肯定しているのである。
 
 野田は、政策として
◆企業・団体献金や政策活動費を禁止するための政治資金規正法の再改正
◆国会議員の世襲制限
◆被選挙権年齢を衆院18歳、参院23歳に引き下げ
◆国会議員定数の削減
◆防衛増税は行わない
などを掲げた。
 しかしこれは、自民党が改革案として掲げたとしても、何ら不思議ではない。これでは、自分たちは「保守党」として、自民党と政策はほぼ同じだが、自分たちの方が「良き保守」だと言っているようなものである。
 そもそも、野党が右傾化して自民党にすり寄り、保守票のおこぼれを狙うのは、はるか昔からのやり方で、社会党に対抗した民社党に始まり、今でも、国民民主党はこの路線上にある。維新も保守ポピュリズム的手法を使っているが、基本的にはこの路線上にあると言える。これらの政党の低調さは、自民党に政策を近づければ党勢は拡大するというのは幻想であることを証明している。「昔ながら」のやり方で選挙に臨む野田に期待するのは、だいぶ無理がある、としか言いようがない。
 
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「自由民主主義国」のイスラエルは、やりたい放題。誰も止められない。

2024-10-02 13:23:34 | 社会

国連前で、イスラエルの虐殺とアメリカの軍事支援に反対する抗議デモ(AP2024/9/25)

 イスラエルは、9月23日以降レバノン各地を空爆し、アルジャジーラによれば、レバノン人を1000人以上を殺害し、死者のほとんどは一般市民の民間人であり、その中には、100人以上の子供が含まれている。9月27日には、アメリカ製地下貫通弾バンカーバスターを使い、ヒズボラ本部を空爆し、最高指導者ハッサン・ナスララ師を殺害したと公表した。

 イスラエルは、アメリカ製最新鋭兵器を主力として空爆しているので、ハマスやヒズボラの弱小軍事力では、まったく歯が立たず、戦争というよりも、国際刑事裁判所ICCが言うように、イスラエルによるジェノサイドという方が実態に近い。まさに、イスラエルのやりたい放題がまかり通っているのである。そして、この「やりたい放題」のイスラエルを支援しているのが米欧というのが、現実の構図なのである。
 
 ヒズボラ側もイスラエル領へのロケッ弾・ミサイル攻撃の強化で対抗するので、恐らく近々、イスラエル軍は地上部隊をレバノン領内に侵攻させるだろう。その時は、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が危惧するように、レバノンもガザ同様の大虐殺が予想される。

 実際、このイスラエルの軍事力行使は、米欧の支援なくしては、不可能なのは明らかである。ジョー・バイデンは、口先では停戦を呼びかけているが、4月に950億ドルの対イスラエル軍事支援法案を成立させ、9月26日にはイスラエル軍は、アメリカ政府から87億ドルの軍事援助を確保したと公表している(ロイター)。このように、バイデンにイスラエルへの軍事支援を停止する考えはまったく見られない。戦争の拡大が危惧されるナスララ師殺害には、「正当な措置」だと言い出す始末である。ナスララ師殺害は、この空爆で民間人が20人以上が巻き添えで死亡しているにもかかわらず、である。だから、上記写真のように、「アメリカ政府は軍事支援を停止せよ」と要求する抗議デモが頻発するのである。アメリカ議会でも、バーニー・サンダースを始め、左派はたびたび、軍事支援停止の演説を行っているが、バイデンは対応を変更する意思をまったく見せていない。
 
「自由民主主義国」イスラエル
 米欧がイスラエルを支援するのは、バイデンの言う「自由民主主義対権威主義の戦い」のイスラエルが「自由民主主義」の陣営にいるからである。「自由民主主義」の国は、例えジェノサイドを行おうと擁護されるのである。
 確かに、この地域の国の中では、イスラエルは俄然「自由民主主義」的制度を有している。イスラエル政府は反対するジャーナリストを攻撃するが(アルジャジーラは、ガザでも西岸でもイスラエル政府に閉鎖させられた)、原則的には言論の自由は保証され、野党も存在し、自由選挙も行われる。
 対するアラブ側は、パレスチナではガザ地区でも西岸地区でも国政選挙は10年近く行われていないし、アメリカが敵視するイランは、大統領の上位にイスラ教シーア派指導者が君臨する。と言っても、親米のサウジアラビア、UAE、ヨルダンなどは、イスラム教スンニー派の王制が敷かれており、野党どころか政党そのものが禁止されている。「民主主義」も何もあったものではないが、勿論、ここには欧米「二重基準」が適用され、親欧米なら、「民主主義」かどうかは問題にされない。
 
「自由民主主義」は戦争を正当化する道具
 多くの報道によれば、イスラエルはレバノンへの地上侵攻を近々、開始する。2006年のイスラエルの軍事侵攻は、ヒズボラ強力な抵抗に遭い、ヒズボラと同盟関係にある武装勢力の壊滅という目的は達成できずに、イスラエル軍は半年ほどで撤退した。したがって、今度の地上侵攻は、その轍を踏まない作戦が練られているだろうが、ヒズボラも同盟関係のイエメンフーシ派も徹底して抗戦し、イランも軍事作戦を開始するのは間違いない。
 アメリカは中東に、既に空母「エイブラハム・リンカーン」を中心とする空母打撃群や戦闘飛行隊を派遣済みであり、さらに9月23日には、追加の部隊を増員する方針を発表している。これは、主にイランとの軍事衝突に備えて行われているが、イスラエルへの軍事支援を強化することが主眼である。
 これらは、「自由民主主義国」のイスラエルを防衛するという目的で行われる。バイデンだけでなく、EUのウルズラ・フォンデアライエン委員長も、度々、イスラエルの正当な自衛権を断固支持する発言している。逆に言えば、パレスチナ自治区にもレバノンにもイランにも、正当な自衛権は認めないということである。
 バイデンは世界を「自由民主主義国」と「権威主義国」に分割したが、イスラエルは、イスラエル経済と、西側各国内でのユダヤ人の政治的影響力がそうであるように、西側「自由民主主義国」の経済・政治システムに完全に組み込まれている。だから、イスラエルは「自由民主主義国」なのである。
 「自由民主主義国」側にいれば、どんな残虐行為をしたとしても擁護され、軍事支援を受けられる。それが、米欧「自由民主主義」の論理なのである。
 対ロシアのウクライナへの軍事支援も、「自由民主主義」を守るためと言って行われる。中国に対するアメリカを中心とする軍事同盟の強化も、「自由民主主義」を守るためと言って行われる。そして、イスラエルの戦争を支援する米欧は、ここでも、「自由民主主義」のためとして戦争を正当化するのである。
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進次郎新総裁で自民は総選挙圧勝。日本の政治は”喜劇”を繰り返す。

2024-09-08 11:07:00 | 社会


 「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(注)は、カール・マルクスの言葉だが、日本の政治は、一度や二度でなく、何度でも愚かな喜劇を繰り返す。

(注)正確には、「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。ただし、彼はこう付け加えるのを忘れた。はじめは悲劇として、二度目は笑劇として、と。」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。

自民党総裁選は「進次郎で決まり」
 自民党総裁選は、9月12日告示、27日投開票が行われる。メディアによれば、10人以上が立候補が見込まれ、その中でも有力なのは、石破茂、河野太郎、高市早苗、そして小泉進次郎等だという。また、日本テレビは、自民党党員・党友の支持者を調査し、1位は石破茂、2位は小泉進次郎と伝えている。
 しかし、総裁選後に新首相国会指名があり、速やかに解散総選挙が行われることを考えれば、選挙の顔として最もふさわしい人物を新総裁に選ぶのが、自民党として最も適切と考えられる。勿論、その人物とは小泉進次郎である。
 自民党は「裏金問題」等で内閣支持率でも最低を記録し、選挙に勝つためには、「新しい」自民党をイメージさせなければならない。過去を振り返れば、どんな人物が新首相になっても、支持率は上昇するのだが、(麻生太郎内閣ですら、当初は48.6%もあった。)今回は特に、「今までとは違う、生まれ変わった自民党」を訴えなければならない。石破茂や河野太郎では、旧態依然としたイメージが拭いきれず、選挙向けとしては、新鮮さと若々しさを兼ねた小泉進次郎しかいない。
 
 野党の立憲民主党も、代表選が行われており、野田佳彦、枝野幸男が有力視されている。しかし、67歳の野田、60歳の枝野は、過去の政治家であり、刷新性は皆無。あまりにも人材不足であることを露呈しているだけである。これでは、小泉進次郎に立ち向かえるわけもない。
 小泉進次郎は、早期解散を公言しており、その解散総選挙では、自民党は圧勝できるだろう。

日本の選挙の現実
 本来選挙とは、政党の政策を中心に、有権者は、政策として何がふさわしいのか、それは適切なのか、或いは、その政策が自らの利益になるのかを考慮して選択するものである。しかし、現実の日本の選挙では、政策など二の次、三の次である。
 実際、野党の政策など知っている者は、ごく一部の者に過ぎないだろう。新聞を読めば分かると反論されるかもしれないが、新聞には野党の主張は選挙時に形式的に載るだけで、普段は世の中、何が起きているのか、新聞社の世界観に合わせて書かれているだけである。相当な熱心さを持ち合わせていなければ、野党の主張・政策など、詳しく読み、把握することなどできない。そもそも、新聞を読む層は、もはやかなりの少数派である。
 新聞より多くの人びとが見聞きするテレビでは、ワイドショーなど、いわゆる情報番組は、面白おかしい視聴率の取れる内容(コンテンツ)ばかりで、野党の主張・政策など報道することはめったにない。野党に言及するのは、ニュースで選挙時に、形式的な「公平性」から、主張・政策を列挙するぐらいである。
 与党の方は、現に政策を実行しているのであり、賛成・反対はあるが、何をする政党なのかは、理解しやすい。
 
 日本の選挙は、世界的は極めて稀の個別訪問禁止が前提になっているので、政党は選挙時には、街頭演説と選挙カーが主力にならざるを得ない。しかし、既成の与野党の街頭演説など、明らかな支持者か、或いはヤジを飛ばす目的の反対者しかまともには聞いていない。選挙カーなど、うるさいばかりで、むしろ、反発を覚える者の方が多いだろう。
 
 実際は、多くの人にとっては、野党がどんなものなのかは、よく分からない。イメージとしては、立憲民主党は、何だか分からず自己崩壊した民主党の残党に過ぎず、共産党は、旧ソ連や中国などの国のような政治を行う変質的な人の集まりであり、残りの維新も国民民主党も、自民党の二軍チームのようなものである。
 自民党は、コンクリートとデジタルによる開発で利益誘導できる強固な支持層を持っており、さらに裏金を含むカネで、後援会・支持者を増やすこともできる。
 この現実からは、与党が圧倒的に有利な状況しか生まず、世界的には異常な、自民党の長期政権を作り続けているのである。
 
「都知事選、石丸伸二善戦」と仏メランションのヒント
 7月の都知事選では、立憲民主党の蓮舫を抑えて、相対的には無名の石丸伸二が第2位の得票数を挙げ、マスメディアを驚かせた。
 石丸は、公約では、「政治再建」「都市開発」「産業創出」 を掲げていたが、どうやってそれを達成するのかは、さっぱり具体性はなく、それが「善戦」の理由などではないことは明らかだ。この人物の政治スタンスは、霧の中で不鮮明なのである。
 石丸は、街頭演説で人びとの関心を集め、それがSNSで拡散され、集票につながる戦略をとった。
 それを、デイリー新潮が「石丸氏は都内で精力的に街頭演説を行っており、その様子はYouTubeなどで動画が紹介されています。実は石丸氏の演説には“型”があり、最初は街の様子などまず聴衆の笑いを取ります。次に三菱東京UFJ銀行で勤務していたことに触れ、ニューヨークで為替のアナリストとして働いていた経歴を披露。『都知事候補として最も経済に精通している』とアピールします」(6月29日) と書いている。
 「軽い話題から入り、まず聴衆の笑いを取り」とは、まるで受け狙いの芸人の手法である。さらに、「石丸氏は6月24日に三菱東京UFJ銀行の本店前で街頭演説を行い、『都立高校の生徒会長に100万円の“ばらまき”を行う』との新しい公約を発表した。」 「この公約は注目を集め、スポニチアネックスが記事を配信すると、SNS上などで拡散しました 」(同)という。これらは、明らかにポピュリズム的手法に他ならない。
 世界に目を向ければ、現在、西側で最大の左派勢力が、「不服従のフランス」LFIであるのは間違いない。7月のフランス国民議会選挙で、極右と中道派を抑え、新人民戦線NFPは躍進したが、その中核となったのが、LFIである。このLFIと他の左派との違いは、集会でもハリウッドなようなイルミネーションを使ったド派手な演出で人びとの注目を集める手法を多用することである。何よりも、このLFIの指導者、ジャン・リュク・メランションは、「政治と経済の指導者たちを一掃する全面的反乱を訴え、既成の左派と保守を新自由主義の共謀者、金権政治への奉仕者として告発する」(佐賀大学 畠山敏夫)スタンスのポピュリズム的手法で人びとの注目を集めることに成功している。
 
 大量の情報が人びとを包み込むが、肝心な重要なことは、ほんの僅かにしか、人びとに届かない。マスメディアは、商業性から自由になれず、カネと権力に都合のいい情報、もしくは受け狙いの情報しか流さない。そこから派生するネット空間の情報も、マスメディアの流す「域」を出ることは難しい。その状況においては、人びとの注目を、何が何でも集めるというポピュリズム的手法しか、現状に抗する勢力には、残されていないのである。そのことを石丸伸二もメランションも示しているのである。

 話しを小泉進次郎に戻せば、小泉は、自民党の「汚い」イメージを払拭できる「よく分からないが、若いし、変えてくれそう」という素質を持っている。それで、古めかしいイメージしかない立憲民主党や共産党を圧倒できるのである。旧態依然のイメージしか与えない野党は、惨敗するしかない。やはり、日本の政治は「何度でも愚かな喜劇を繰り返す」のである。
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西側の「二重基準」は なぜ生まれるのか?(2)

2024-09-01 10:57:00 | 社会

TBSニュースより

 8月9日の長崎の原爆投下から79回目にあたる「原爆の日」の平和式典に、
英、米、ドイツ、フランス、イタリア、欧州連合(EU)は、大使の出席を拒否した。理由は、式典主催の長崎市がイスラエルを招待しなかったことに対し、「イスラエルをロシアと同列に扱った政治的判断があった」から、というものだ。
 しかしこれは、相も変らぬ、米欧の「二重基準」を世界に示したに過ぎない。さすがに、アメリカの対ロシア・中国外交政策には無批判の朝日新聞も、「米欧 いびつな正義露呈」(8月10日)という東大の遠藤乾教授(国際政治)のコメントを全面に出したほどだ。遠藤は「パレスチナ自治区ガザにおける過剰な殺戮を踏まえれば、イスラエルをロシアと同様に招待しないという判断は成り立つ」としているが、そもそも、「政治的判断」だと欧米は批判しているが、ロシア・ベラルーシを招待しないということも「政治的判断」なのである。米欧は、論理的に、まったく成立しない「批判」をしているのである。イスラエルが殺害したパレスチナ民間人は、ロシアが殺害したウクライナ民間人よりも遥かに多いことを考えれば、論理的にも倫理的にも破綻した、批判というよりも難癖のようなものを米欧は押し付けてきているのである。

国民は政府のイスラエル擁護を支持していない
 このように、欧米政府が「二重基準」を改める様子はまったく見えないが、それが国民全体の意思なのかと言えば、そうではない。イスラエルのパレスチナ人攻撃に話しを戻せば、欧米では、イスラエルの蛮行を糾弾し、政府のイスラエル支援に抗議するデモや集会が頻繁に行われているように、日本などに比べて、政府のイスラエル擁護を厳しく批判する国民はかなり多い。それは、欧米政府がイスラエルに軍事支援を行っており、欧米、特にアメリカ製の兵器でパレスチナ人の大虐殺が行われているからである。バイデンは、パレスチナ人の死を悼み、人権を口にするが、軍事支援をやめるどころか、逆に増大させているのである。イスラエルを停戦に導くには、軍事支援をやめると言えば、それで充分なのである。イスラエルは欧米の軍事支援が途絶えれば、軍事行動が大幅に制限されるからである。
 バイデンの後を継ぎ、民主党の大統領候補になったカマラ・ハリスも、ガザの状況について「私たちはこの悲劇から目をそらすことはできない。苦しみに無感覚になることは許されない」とバイデンよりも、パレスチナ寄りの言葉を口にするが、「私はイスラエルの防衛と自衛能力に対し、明確に揺るぎなく積極的に関与している。それが変わることはない」(以上8月29日CNNインタビュー)と、イスラエルがパレスチナ攻撃を正当化する「イスラエルの自衛維」を「断固支持する」姿勢は、変えていない。
 ハリスが、バイデンよりもガザの窮状を口にするのも、民主党支持者の中にはパレスチナ連帯気運が強いので、大統領選を意識してのことだが、民主党であれ共和党であれ、両党の主流派の基本はイスラエル擁護であることに変わりない。
 アメリカの世論調査では、イスラエルがガザ地区で行っている軍事作戦について「支持しない」と答えた人が55%と半数を超え (2024年3月ギャラップ)、「イスラエルへの軍事援助がパレスチナ人に対する軍事作戦に使用されないよう米国は条件を付けるべきであると答えた人は53% (2024年8月シカゴ国際問題評議会 )と、アメリカ政府の政策と一致していない。
 このことは、国策に国民の意思が反映されていないことを如実に表している。

国策に国民の意思は反映されていない
 アメリカのバーニー・サンダースは、「ロシアなどと同様に、アメリカやその他の国も寡頭政治が行われている。一握りの資産家、大金持ちに都合のいい政治が行われている」と、たびたび発言している。実際、「自由民主主義」を標榜する西側諸国でも、富める者はさらに富み、おうおうにして中産階層は下層に転落し、貧しい者は増え続けるという現象は、数十年以上前から進行している。どこの「自由民主主義」国でも、経済が活性化すれば、国民は豊かになれる(トリクルダウン)と称して、政治は産業の振興策に莫大な税金を注ぎ込む。結果は、一部の者が莫大な利益を上げ、国民に回ってくる、そのおこぼれは僅かであり、国民から吸い上げた、大資本・大金持ちの金融資産は膨れ上がり、重労働は加速され、本来あるべき福祉予算が削減されているので、国民の生活は疲弊するばかりである。これらは、新自由主義と呼ばれる事象なのだが、「自由民主主義」国の自由は、1941年にフランクリン・D・ルーズベルトが掲げた「人類の普遍的な四つの自由」の中の「欠乏からの自由」は、完全に忘れ去られている。


「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい政治」が「二重基準」を生み出す
 この「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい政治が行われている」ことと、西側諸国の「二重基準」は、実は、同じ現象なのである。欧米政府のアラブ世界に対する「玄関口」であるイスラエル擁護は、欧米の国家の政治的経済的利益を守るためなのだが、その国家の利益は、国民の大多数を占める庶民階層の利益とは無縁の、「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい」利益に過ぎないのである。端的な例を挙げれば、イラクの独裁者を葬り去ったイラク侵攻では、その後のイラクに派遣されたアメリカの行政支援部隊は、徹底してイラク経済を「自由化」し、欧米資本に利益を与える役割を担ったのである。それは、欧米政府の言う「自由民主主義」国家の利益は、大資本、大企業の利益に結びつくことの証左である。

 ロシア・ウクライナ戦争とイスラエルのパレスチナ攻撃で、西側諸国の軍事産業、国際石油資本は、莫大な利益を上げている。これらの潤沢な資金は、アメリカ議会の産業代表のロビー活動にフルに使われ、外交政策に強い影響力を及ぼす同時に、企業系シンクタンクの財源となり、支配的知的情報にも大きな影響を与え続けている。
 そのことに加えて、多くのマスメディアも、「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい」政治のプロパガンダ機能から離れることができない。それは、
マスメディアが利益なくして存続できないことから、経済構造の一部として成立しているので、広告主の意向を無視できないなど、現存する政治経済システムから完全に自由にはなり得ないからである。

 現実に欧米では、バーニー・サンダースを始め、英国前労働党党首ジェルミー・コービン、「服従しないフランス」のジャン・リュック・メランションや社会主義者、多くの急進的左派や平和運動家は、イスラエルへの軍事支援をやめるよう政府に要求している。それは勿論、「二重基準」をやめということなのだが、「二重基準」をやめさせることは、「一握りの資産家、大金持ちに都合のいい」政治をやめさせ、庶民階層の生活を向上させる政治に変えろ、ということと同じことなのである。
 
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