夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「アフガニスタン 西側政府とメディアは、戦争は間違いだったと、いつ認めるのだろう?」

2021-08-27 12:27:46 | 政治
 
奪取した米軍の装備で、米兵が硫黄島に星条旗を立てたことを真似るタリバン兵

 タリバンがカブールを掌握して、10日以上が経過した。カブール空港とその周辺では、タリバンの迫害・報復を恐れ、脱出を望む多くの市民で混乱している。西側政府は、自国民と協力者のアフガニスタン人の救出に全力を注いでいる。日本政府も自衛隊機を飛ばすなど救出に懸命になっている。
 この差し迫った救出劇は、バイデン大統領がタリバン側と約束した米軍撤退期限8月31日を延長しないことを表明したため、さらに困難を極めることになった。バイデンの決定は、タリバンとの約束を守らないことがタリバン側の強硬姿勢を強めることになり、今にもまして危険な状況に陥るという判断によるものだ。
 その最中、26日にカブール空港付近でISとみられる自爆攻撃があり、CNNによれば、アフガニスタン人60名以上、米兵12名以上が死亡した。タリバンのカブール掌握以降、西側メディアの記事は、危機的な退避状況、タリバン掌握後のカブール市内の変化などを主に報道してきた。この攻撃は、アフガニスタンの危機的状況を象徴するものとして、さらに懸念を強めることになり、報道もそれを強調するものになるだろう。
 そしてこの「懸念」は、中国・ロシアがアフガニスタンへの影響力を強めることなどを含めて、概ね西側政府の意向を反映している。確かにこの「懸念」は、ISなどタリバンと敵対するイスラム主義者が勢いを増す可能性もあり、もっともなものだ。しかし、西側政府もメディアも、これら「懸念」を全面に出すことで、最も肝心なアフガニスタンに対する軍事介入の是非を論じることを避けている。何がこの危機的状況を生み出したのか、その議論を避けている。
 そのようなメディアの報道姿勢の中で、西側主要メディアの一つ、英紙ガーディアンは、次のようなオピニオンコラムを載せている。


 
 「誰が、アフガニスタンのカオスに責任があるのか? 戦争のチアリーダー(応援団)を覚えておこう」というものだ。
 このオピニオンには、以下のような内容が書かれている。
〇英米メディアは、現実的な目的や出口戦略なしで開始し、アフガニスタン人の生活も権利も顧みなかったたブッシュやブレアの責任を問わない。
〇対テロ戦争の悲惨さを考える上で、メディアが果たし「チアリーダー」としての役割を含める必要がある。
〇戦争に反対する者を、英米のメディアは攻撃的に批判し、(例えば、英紙テレグラフは、反対者をオサマ・ビンラディンの手先としてリストを掲載した。)、批判された者は殺害の脅迫まで受けた。
〇(英BBCも含め)メディアの中で、サダム・フセインが大量破壊兵器を所持していると主張し、侵略を正当化した嘘に異議を唱える試みは、愛国的な興奮にかき消された。
〇その理由について、メディアは(血が飛び散るような)スペクタクルを好み、戦争ほどそれに適したものはない。
〇また英国の場合、長い間、国の利益は金持ちの利益と混同され、金持ちの利益は植民地の略奪品とそれを供給した軍事行動に依存してたことがある。 
〇メディアは、民間人が虐殺され、占領軍によって(支援した政府高官の)汚職が許可されている現実(100%アフガニスタンに当てはまる)を軽視。
〇 女性の権利の擁護を今問題にするが、開戦したブッシュはそれに反する超保守主義者・宗教原理主義に支援されていた。
〇戦争に反対する者は、狂信者としてマークされ 、「過激派」とされた。肯定する者は「穏健」・「中道」と見做された。
〇以上のことが、忘れ去られている。
 
 実際に、西側主要メディアは、戦争に関しては、このオピニオンに書かれているとおりである。それは、「リベラル」なニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストも、アメリカの戦争に反対したことなどなかったことでも分かる。日本のメディアは、国際問題はほとんど海外メディアの受け流しなので、概ね、西側メディアの一員と言っていい。
 しかし、高級紙として知られるガーディアンに、このようなコラムが載ることは、メディアの変化である。それは恐らく、第二次世界大戦後のアメリカの戦争がすべて、多大な犠牲を払いながらも敗北するか、悲惨な状況を引き起こしだけに終わっている現実があるからだろう。それは、アメリカにもベトナムにも犠牲だけが多大で、惨めな敗北を喫したベトナム戦争も、国家の行政機構を破壊し、ISなど強硬なイスラム復古主義者に「活躍の場」を与えたイラク戦争などでも明らかだ。アフガニスタンもそれらと同様に、アフガニスタン人とっても、アメリカ人にとっても、すべての人びとにとっても、何もいいことがなく終わるという結末を迎えたのだ。そのことに、西側メディアもやっと気づき始めているのだ。
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「アフガニスタン。結局、アメリカは逃げ出すしかなかった」

2021-08-18 10:36:04 | 政治
            8月15日カブール大統領府の執務席に座るタリバン幹部(アルジャジーラによる)

 カブール陥落
 2021年8月15日、タリバンは、米情報機関の首都カブールも90日以内に陥落するという見通しよりも遥かに早くカブールに侵攻し、事実上アフガニスタン首都を掌握した。バイデン大統領が、在カブールの大使館員等のアメリカ政府関係者を退避させるため、5,000千人の兵員を派遣することを発表し、アメリカを含め各国政府関係者や多くのカブール市民が脱出の唯一の手段であるカブール空港に殺到するさ中のことである。
 これより前、アフガニスタン政府のガニ大統領は、報道によれば多額の現金とともに国外に逃亡した。アフガニスタン政府軍も完全に無抵抗で、戦闘が行われた形跡はなく、政権の平和移譲がなされた形になっている。アルジャジーラによれば、タリバンのナイーム広報官は、 アフガニスタンにおける戦争は終了したと述べ、統治と政権の形態はまもなく明らかになるとの見通しを示したという。 今後アフガニスタンは、彼らの主張する「イスラム首長国」となるのは間違いない。

 英紙ガーディアンはこの模様を<The fall of Kabul: a 20-year mission collapses in a single dayカブール陥落:20年のミッションが1日で崩壊>と書いている。確かに、そのとおりだ。しかし、この「ミッション」は始めから、「崩壊」するように運命づけられていたのである。
 
 米国のアフガニスタン攻撃は、2001年の9.11事件の首謀者とみなした、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの引き渡しを求めたのに対して、当時のタリバン政権がそれを拒否したことを口実にして行われた。アメリカが主導する形で国連安全保障理事会では国連安保理決議(1368号)が採択され、NATOは集団的自衛権を発動し、米英をはじめとする連合軍が10月7日から攻撃を開始した。その圧倒的な軍事力の行使の結果、タリバン政権は2ヶ月で崩壊し、暫定行政機構が発足、ハミド・カルザイが大統領に就任した。 しかし、タリバンはアフガニスタン全土で抵抗を続け、じわりじわりと支配地域を拡大し、2014年に大統領がアシュラフ・ガニに変わっても、その勢いは止まることはなかったのである。

 タリバンは最大民族パシュトゥン人の組織
 国際政治学者で放送大学名誉教授高橋和夫の著書「国際政治」によれば、タリバンは、アフガニスタンの人口の40%を占める最大民族のパシュトゥン人の組織であり、そのパシュトゥン人は20世紀初頭のアフガニスタン国家の成立以来、政治の実権を握ってきたという。そして、カルザイ自身はパシュトゥン人だが、欧米に支援されたカブール政権は、タジク人、ハザラ人、ウズベク人などの混成で、事実上、最大民族のパシュトゥン人は排除されていたというのだ。(以下の記述も、概ね「国際政治」から準拠した。)
 大統領選や議会選も行われたが、それは、政府軍の武力に守られた選挙であり、その議員や政府高官はパシュトゥン人以外の旧軍閥(例えば北部同盟など、タジク人、ウズベク人,ハザラ人の軍閥)や反タリバンで戦闘を行った少数派民族の部族長などの旧来からの支配層であり、庶民階層出身者など皆無だった。
 このことが、タリバンがアフガニスタンで力を持ち続けた大きな理由の一つである。パシュトゥン人や、その他の民族でも庶民階層から見れば、タリバンの価値観に賛同しないとしても、生活は困窮するばかり、自分たちの民族や階層を排除した政権に反感を持つのは当然である。

 3度の軍事進攻
 振り返れば、アフガニスタンは多民族国家で、1926年にアフガニスタン王国が成立しても、それ以前の多くの王朝と同様に、その支配は首都と一部の都市に過ぎず、全土の統一性はないに等しいものだった。もともと山国であり、盆地ごとに様々な民族、部族、宗派が支配するという国なのである。さらに、周辺にはロシア、インド、パキスタン、イランなど激しく対立する大国に挟まれ、英国などの列強も帝国主義勢力もその支配圏を争い、権益が複雑にからみ合う状況に置かれていた。そのアフガニスタンに西洋勢力は、アメリカを含め3度軍事進攻している。1度目は、19世紀後半、英国はロシアの影響力を排除するため、2回にわたりアフガニスタン制圧を試みている。しかし、この時も、英国はパシュトゥン人による激しい抵抗を受け、失敗したのである。
 
 2度目の西洋勢力の進攻は、1979年ソ連による。それ以前に、アフガニスタン政府は、アメリカがパキスタンに軍事援助をしていることから、対抗上、ソ連に急接近していた。多大な軍事援助と人的交流があり、1978年にはクーデター等による親ソ政権が成立していた。しかし、この政権も支配は首都と一部都市のみで、「社会主義」に反対する多くのイスラム勢力と敵対するようになる。そこで、この親ソ政権はソ連に介入を要請した。そこでソ連はアフガニスタンが西側の影響下に入ることを恐れ、軍事介入に踏み切ったのである。そして、東西冷戦の中で、敵の敵は味方という論理の下、アメリカはイスラムゲリラに対し、直接、またはパキスタンを通じ、大量の兵器を供給したのである。それが、イスラムゲリラを強大化させ、後々、アメリカ側の脅威となるのだが、その時は、ソ連はイスラムゲリラの強靭な抵抗の前に、1989年に撤退せざるを得なかった(ソ連自体が崩壊寸前だった)のである。
 このイスラムゲリラの中で急速に勢力を拡大し、1996年にカブールを制圧したのがタリバンである。タリバンは、もともとパキスタンに逃れたイスラム教徒の神学生を主体とする勢力である。親米のパキスタンは、アメリカの莫大な援助をいいことにアフガニスタンを親パキスタン化するために、タリバンを支援した。また、多くのイスラムゲリラも他民族で構成されていることから、内紛が絶えなかった(所謂軍閥もそれぞれ対立していた)が、タリバンは最大民族のパシュトゥン人が主体で結束しやすいことも、最大勢力になった要因でもある。

アメリカはアフガニスタンから逃げ出すしかなかった
 今回のタリバンの攻勢に、政府軍はほとんど無抵抗だったが、それも当然である。タリバンは、アメリカがイスラムゲリラに直接・間接に供給した高性能の武器弾薬を大量に所有している。また、欧米に支援された政権にアフガニスタン国としての統一性などなく、生活の困窮から、カネで雇われたに過ぎない政府軍兵士が生命をかけて政権を守ることなど考えられないからである。
 
 バイデン大統領の撤退のやり方に、前任者のトランプは、「米史上最大の敗北の一つ 」(AFP)と非難し、右派系のウォール・ストリート・ジャーナルも社説で「タリバンによる権力奪取を事実上容認した 」と批判した。また、英国のベン・ウォレス国防相はも撤退を「誤りだ」と批判した。勿論、それにはカブール空港での、脱出の模様の大混乱が大きく影響している。
 しかし、上記のようなことを分析すれば、欧米に支援された政権を維持するのには、未来永劫にわたって米軍の駐留が必要で、アメリカの戦争が終わることがないのは、明らかである。その意味では、バイデン大統領が、トランプの米軍撤退政策を継承し、「アフガニスタンはアフガニスタン人が守るべきだ」と言い、戦争を終わらせるために撤退を早めたのは正しい。タリバンとの交渉で、彼らが和平を口にしながら守らず、「稲妻のように早く」カブールを占領したとしても、である。それは、遅かれ早かれ必ず訪れることだからである。
 結局、もとの木阿弥に戻ろうとも、アメリカはアフガニスタンから逃げ出すしかなかったのである。それも、もとの黙阿弥どころか、旧政権にアメリカが供給した大量の武器がタリバン側にわたり、さらに強力になったタリバンを残してのことである。

  この戦争による犠牲は、さまざまな推計があるが、17万人から24万人が死亡し、その内、一般市民は4万人から7万人となっている。アメリカ兵だけでも、2,400人以上が死亡している。これは、アメリカが軍事介入しなければ、死なずに済んだ者の数である。また、戦争に費やした経費は1兆ドル以上に上る。スラム復古主義者を勢いづかせるのは、その背景に絶対的な貧困がある。その貧困を欧米の文化のためだとすることで、イスラム過激主義者は復古主義を喧伝するのだ。アフガニスタンが最貧国であること考えれば、理解できることだ。その半分でも、純粋な経済援助として使用すれば、アフガニスタン国民の生活は上向き、タリバンなどが大きな力を持つことにはならなかっただろう。(実際に、医師中村哲はアフガニスタン国民の生活向上のため尽力し、敬愛された。)

ではなぜ、軍事行動という愚かな選択をアメリカはしたのだろうか?
 軍事評論家の田岡俊次は、アメリカが繰り返す軍事介入の失敗の理由を「大きな要因は、情報分析能力、あるいは分析姿勢に問題があるため、と考えられる」。「得た情報の分析が楽観にすぎたり、判断が偏りがちだったりすることが多い」 (DIAMONDonline7月15日)ためだという。 確かに、その点は否定できない。今回のカブール陥落も、アメリカ情報機関は90日以内としたが、実際には数日でタリバンは侵攻したのである。そもそも、タリバンがどのようなものか正確に把握していれば、軍事介入の選択肢は排除されただろう。タリバンは、武力で壊滅に近い状態にすることが可能だったIS(Islamic State in Iraq and the Levant )イスラム国とは、大きく異なるのである。
 最大の違いは、ISは世界中からの寄せ集めで、地元住民とはまったく異なる人間の組織であり、1日も早くいなくなって欲しい存在だが、タリバンは、アフガニスタン最大民族の組織なのである。ISは、地元住民にとっては、どこから来たのか分からないよそ者が残虐行為を含めたが好き勝手なことする組織だが、タリバンは、アフガニスタン住民の一部であり、むしろよそ者は、アメリカを始め外国の軍隊の方である。タリバン戦闘員以外の民間人に対しても空爆を行う(例え、誤爆だとしても)など好き勝手なことをするのは、外国軍の方である。その外国軍に支援された政権を嫌悪するアフガニスタン住民がいるのは、当然のことである。
 
 しかし、情報分析の問題よりも、アメリカが軍事介入を繰り返すのは、そこにネオコン流の軍事優先信仰があるからだろう。自由民主主義の錦の御旗をかざし、軍事力で他国の政権を転覆させることが正当だとする、その思想である。アメリカの「自由民主主義」に沿わない者は、邪悪evilで、排除すべきであり、そのための軍事力行使は正義であるというものだ。あるいは、目的の達成は軍事力以外では不可能だとするものである。その「信仰」が、第二次大戦以降、突出して数多くの戦争をする国アメリカを動かしているのである。また、そのような戦争をアメリカ国民の多くは支持するのである。
 
 マスメディアの戦争「貢献」
 その国民の支持には、マスメディアが大きく「貢献」している。アメリカにおける戦争報道は、ベトナム戦争での比較的自由な従軍記者による報道から、1991年の湾岸戦、2003年のイラク戦争での管制報道に大きく変化した。それは、ベトナム戦争の従軍記者が戦争の残虐性を写し出したことで、反戦機運が世論を喚起したことから、米軍主導の多国籍軍は自由な従軍報道を許さなかった。その変わりに、軍が撮影した攻撃の様子をメディアに提供し、それが大量に報道されたのである。その映像は、上空からのピンポイント爆撃など、直接人間が殺害されるシーンは一切なく、ビデオゲームと比べても、残虐性は皆無に作られている。また、軍は広告代理店を使い、イラク兵が未熟児を保育器から取り出すところを見たという少女まででっち上げ、メディアに流させたのである。
 
 タリバンについても、マスメディアは実態以上に残虐性や女性差別が強調されている。
 長年アフガニスタンで生活援助にあたった中村哲医師は、「タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです」と言う。また、女性差別についても「タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている『隠れ学校』。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している」 (以上、日経ビジネス2019.12.4)と言い、マスメディアが伝えるタリバン像とは著しく異なる。
 また、欧米が支援する政権が、アフガニスタンで初めて女性の教育を実現したというのは、マスメディアの真っ赤な嘘である。初めて女性の教育を実現したのは、1970年から80年代の、親ソ政権の主に人民民主党の社会主義者たちである。それは、ソ連では西側よりも早く男女同権が実現していたこを考えれば分かる。そのことは勿論、スターリン的支配による強権体制の中で、多くはない社会主義的要素の一つであるが。いずれにしても、男女平等を強硬に推進する社会主義者の政権が、イスラム主義者たちを大いに怒らせたのである。
 このような報道姿勢が、アメリカの戦争を正当化するのに大いに「貢献」しているのは間違いない。
 
 残された「問題」
 第一に、アフガニスタンには、カブール空港の大混乱で分かるように、タリバン政権から迫害される恐れがある市民たちが、多数残されている。その人びとを救助する責任が、欧米や中ロを含めた関係国にある。初めにすべきことは、何よりもこれである。
 
 第二には、イスラム復古主義者、ジハード主義者たちが勢いを増すことである。タリバンが、かつてアルカイダと親密な関係にあり、兵力と資金提供を受けていたのは事実である。それは、闘争スタイルが異なるとはいえ、復古主義という共通点を持つからである。タリバンが、多くの国でテロリストと呼ばれる国際的ジハード主義者と再び親密な関係にならない保証はない。
 
 また、アフガニスタン周辺のみならず、中東やアジア地域でのイスラム主義者を精神的に勢いづかせる契機になる恐れもある。
 第三には、徹底した復古主義に基づき、近代的な人権を無視し、特に、女性差別を強行する懸念である。

 タリバンの変化
 このような問題が大いに懸念されるのだが、唯一の希望は、タリバン自体の変化だろう。17日、タリバンの幹部である報道担当のザビフラ・ムジャヒドは、記者会見であくまで「イスラムの枠組みの中で」 だが、「我々の社会で女性はとても活発に活動することになる」 と述べ、女性の権利を尊重する姿勢を見せた。また、「アフガニスタンの国土を、他者の攻撃には使わせない」とも述べた。さらに、「内部にも外部にも敵は欲しくない」と融和姿勢を示したほか、政府治安部隊の兵士や外国政府と協力したアフガニスタン人には恩赦を約束した(BBC8月18日)。 
 
 この記者会見を額面どおりに受け取るわけにはいかないが、彼らは彼らなりに、多くのことを学んでいるのは間違いない。タリバンが20年前戻れば、再び国際的に孤立し、欧米の強大な兵器による攻撃を受けかねないことである。軍事的に強大な国は、今でも世界のどこかで、敵と見做す勢力を空爆している現実があるのである。アメリカを怒らせば、地上軍は派遣されないとしても、いつでも空爆される危険があるのである。それらのことを、タリバンが理解できない筈はない。タリバンは、自らを守るために、融和的にならざるを得ないのである。
 
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