クリミア半島において、ロシア軍の制圧下で住民投票が行われ、96%の高率でロシアへの編入が支持された。このことをもって、プーチン政権はロシアへの編入手続きを開始した。その前後の状況はマスメディアが報道しているので、詳しくはここで記述しない。
この状況に際し、マスメディアに多くの「識者」が登場しさまざま意見を述べているが、ほとんどがロシアの領土拡張を非難し、ウクライナの国家分裂を危惧するというものだ。欧米もロシアの行動は、国際法違反だとしてしている。しかし、これらの主張に完全に欠落しているものがある。それは、クリミア半島の人々の意思である。
最も多くの「識者」の意見は、プーチン政権がロシアの領土を拡張するために、クリミア半島に軍隊を投入し、軍事的に制圧して領土を拡大したのは非難されるべきだ、というものだ。これは米欧(欧米という言葉が普通だが、力関係から言って、米欧と記す方が現実に即している)の主張と同じものだが、日本も米欧に属している(日本政府の外交は米国の腰巾着に終始している)ので、「識者」なるものも、日本のマスメディアもこういう主張をするのは驚くにあたらない。しかし、マスメディアが報道している映像の中に、重要な問題が隠れている。ウクライナのキエフで、新政権を支持する人々が声高に叫んでいるのは、「クリミアはウクライナのもので、ロシアに渡すな」というものだ。新政権を支持する米欧政府も、クリミアをロシア領土に編入するのはは、ウクライナの主権侵害だと非難している。ここで、この言い分が正しいかどうかが問題なのではない。問題なのは、これらの言い分にはクリミア半島に住む人々の意思が完全に無視されていることだ。「ロシアに渡すな」とは、何を渡すなと言っているのだろうか? 領土はものに過ぎない。しかし、その上には人間が住んでいるのだ。人間を、ウクライナのものだとか、ロシアのものにするなだとか、言っているのだ。あたかも、クリミアに住む人間には意思がないかのように。オバマがロシアに経済制裁を科すと演説した。しかし、この演説で、まったく言及されていなかったものがある。言うまでもなく、クリミア半島に住む人間の意思だ。
米欧は、ロシアの軍事制圧下で行われた住民投票は無効だと言う。確かに、正当性には疑問があり、結果をそのまま信じることはできないかもしれない。しかし、多くの住民がロシアに編入されることを望んだということまで、否定することはできないだろう。なぜなら、ウクライナの新政権も、米欧も、住民投票それ自体に反対していたからだ。ロシアの軍事制圧下では正しい結果が得られないと主張するなら、選挙の国際監視団を入れたらいい。クリミア自治政府は、監視団を招いたが、米欧の監視団体は拒否した(監視団体は市民によるものだが、考え方は米欧と同じである)。つまり、どんな状況で住民投票をやっても、米欧に不都合な結果しかでないのが分かっているから、住民投票自体に反対したのだ。マスメディアの流す映像で「わたしたちは(アイデンティティは)ロシア人で、国籍がウクライナになっているだけ」と素直に語る市民の言葉を、銃剣でおどかされているからだとは到底言えないなだろう。これは日本国内で、市民団体が住民投票を要求するのを、地方議会や市長が反対するのとまったく同じ構図だ。議会や市長は、自分たちに都合の悪い結果が出るのが分かりきっているので、住民投票それ自体に反対するのだ。住民投票の結果が、かれらの意見に近いものと予想されれば、反対する理由はない。ウクライナの新政権と米欧が、住民投票自体に反対したのは、(住民投票が不当だと主張するのは)、住民の意思を明らかにすることに反対しているのである。なぜなら、住民の意思がかれらには不都合だからだ。そのことは、ロシア軍が展開していてもしていなくても、クリミア半島の住民の多数派はロシアへの編入を望んでいることを、ウクライナの新政権と米欧自身ですら認めていることの証明である。国連安保理は、住民投票は無効だという決議をロシアの拒否権にあい、否決された。確かに、この住民投票それ自体は論理的には正当性がない。しかし、実施された住民投票が無効であること、住民の多数がロシア編入を希望していることとは別なことなのだ。国連安保理の多数派が、この住民投票が無効であると主張するなら、クリミアの人々の民意を問う別の方法を模索しなければならないだろう。
ロシアも自分の都合のよいことしか言わない。クリミア半島の歴史がどんなものであれ(長い間、ロシア・旧ソ連に属していた)、プーチン政権に領土拡張の野心があることは、ロシア軍を展開させたことからも明らかだ。クリミア半島への軍事進攻は最大限に非難されるべきだ。しかし、自分の都合のよいことしか言わないという理由では、米欧も批判されるべきなのだ。選挙によって選ばれた親ロシア派の大統領を、親欧米派のデモ隊が力によって包囲し、大統領は逃亡した。まがりなりにも、選挙で合法的に選ばれたのは逃げた大統領なのであり、議会に大統領を選ぶ権限はなく、改めて、大統領選は行われていないにもかかわらず、米欧はすぐに支持を表明した。これが逆に、大統領が親欧米派で、デモ隊が親ロシア派だとしたら、欧米は新政権を認めるのだろうか? 日本で、反原発のデモ隊が首相官邸に突入したら、ロシアに対し経済制裁を表明した阿部政権は、デモ隊を称賛するのだろうか?
ここであることを想像してみる。もし、日本の領土以外の地域で(たとえば韓国の島で)、「自分たちは事情があって国籍は異なるが、意識としては日本人である。かつては日本の領土であったこともあり、住んでいる地域を日本のものとしたい。それはこの地域の多数の人の意見であり、その人数は百万人を超える」ということが、それが信じるに足るものであったとしたら、日本政府は、国際法に違反するからといって、何もしないことがありうるのだろうか? 確かに、軍隊を投入するのは論外である。しかし、その地域を日本領土とする何らかの努力は自然なものだろう。それが、ロシアに限っては、駄目だと言っているのである。
米欧日は武力による領土の略奪だと言い、ロシアは人民の自決権(国連憲章第1条第2項)を尊重しろと言う。両者とも国連憲章を持ち出しているが、米欧日は人民の自治権には触れず、ロシアは武力の行使(第2条第3、4項)見て見ぬふりをしている。結局のところ、ロシアも米欧も日本政府も、自分の都合の悪いことは無視して、都合のよいことを主張しているだけだ。そこで置き去りにされているのは、問題になっているところに現に存在している人々だ。「自分たちのことは自分たちで決める」という民主主義の大原則が、クリミア半島にはない、そんな自由は住民にはないというのが、米欧日や軍隊を投入したロシアの言い分なのである。
民族主義者を含む(その中の「スヴォボダ」自由党はネオナチという報道もある)政権が暴力的に(革命だとしても、自由民主主義が最も嫌う、「暴力革命」である)誕生したら、ロシアに親近感をもつ人々が、自分たちのアイデンティティ、すなわち、ロシア民族主義を呼び覚ますのは目に見えている。ボスニア内戦の端緒のひとつが、ドイツのクロアチア承認が早すぎたために、特にセルビア側が、過去のナチと協力関係にあり、セルビア人を虐殺した「ウスタッシャ」を思い起こすことになったことと、構図は似ている。
いずれにしても、米欧日が認めようと認めまいと、クリミア半島は事実上ロシアに編入されるだろうし、ウクライナ東部ではそれに続く動きが出るだろう。それを、マスメディアに登場する「識者」が、プーチンの戦略だというのは問題を矮小化している。実際に起きているのは、ロシア領土内外のロシア民族主義の高揚であるからだ。それは、プーチン個人の意図とは別のことであり、その意図をはるかに超えているからだ。したがって、最大限の配慮がなされるべきは、そこに住むロシア人以外の少数派の権利である。
Aという国家において、少数派のBという民族が迫害され、Bという独立国ができる。しかし、Bという独立国にもCという少数派がおり、迫害されると感じ、独立を求める。さらに、Cという地域にもDというさらなる少数派がいて、迫害されると恐れる。その周辺の国は、自分の利益になる政権が正当なものだと主張する。これが、実際に起きていることだ。
その土地がいかなる国に属するものであっても、そこに現に存在する人間が尊重されるべきなのだ。多数派も少数派も同様の権利において、人権と、その地域の意思決定権(自決権)がもっとも尊重されるべきなのだ。それが、第二次大戦後の国連憲章の精神ではなかったのか。