夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

新型コロナ(COVID-19)⑫「日本で抑えられているのは国民が政府を信用していないから」

2020-05-24 15:46:46 | 政治
 米国の外交専門誌「フォーリン・ポリシー」電子版は5月14日、「日本の新型コロナウイルス感染対策はことごとく見当違いに見えるが、結果的には世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つであり」「(対応は)奇妙にもうまくいっているようだ」と伝えた。 確かに、感染確認数も死亡数も欧米に比べてはるかに少ない。検査数が異常に少ないので、専門家会議の尾身茂が言うように、実際の感染者は10倍、20倍なのかは分からない。しかし、死亡数はこの数字の10倍などとは考えられない。日本では、肺炎死亡者は年間1万人程度いるが、この中に医師が気づかずに紛れ込んでいるにしても、多くてもそれは1割以下で、数か月間では数百人程度だと考えられる。つまり、今のところ、コロナウイルスによる死者は、公式発表より多いとしても千人程度だと推定される。この数字は、アメリカ9万人以上、英国、イタリア3万人以上と比べれば、30から60分の1であり(欧米も死亡数は実際にはもっと多いと海外メディアは指摘している)、非常に少ないと言える。
 ワシントンポストは日本を悪い意味で「他国に対して教訓」になると書いた(4/28)。この意味は、上記の「奇妙にも」と同じで、拙劣な日本政府の対策のことである。ワシントンポストは、日本政府の対策は「不十分な検査」と「全面的な封鎖を渋り、経済的損失を最小限にとどめようとする」ものであり、それが感染拡大予防の「障害になる」と書いた。それにもかかわらず、推定される感染者も死亡数も欧米に比べて著しく低い、それが「奇妙」だと海外メディアは言うのだ。
 日本が今のところ、比較的うまく抑えられている理由については、様々な説が飛びかっている。たとえば、BCGワクチンが有効だったのでないか、という説がある。これについては、日本ワクチン学会が4月3日に「科学的に確認されたものではなく、現時点では否定も肯定も、もちろん推奨もされない」としているが、むしろ、この説は、BCG接種の実施と感染拡大の国または地域が、詳細に見れば、相関がないのは明らかであり、酒のつまみ程度の話である。このように、どれも納得できるもはない。
 米コロンビア大学の研究チームは、アメリカで1週間早くロックダウンを始めていれば、新型コロナウイルスによる死者数を3万6000人少なく抑えられていたはずだという推計を発表した(BBC日本版5/24)。この推計の意味するところは、人と人との接触制限は、早ければ早いほど、予防効果が大きいということである。実際、欧米に比べて東アジアは被害が小さいが、これは予防措置を東アジアが欧米よりも1か月近く早く実施したこととも符合する。対策が成功した例として挙げられる台湾、韓国政府は1月には既に動き出していたのだ。それに対し、欧米が外出制限等禁止措置をとったのは3月中旬である。
 では、日本ではどうだったのか。2月3日に横浜港に寄港したクルーズ船ダイアモンドプリンセス号での政府の不手際による感染拡大の様子を、日本国民全員は見ていた。さらにその前から、中国での感染拡大を、日本国民全員が不安に駆られながら注視していた。そのことから、実際には、国民は予防に動きだしていたのだ。政府がああしろ、こうしろ言う前から、国民は動いていた。人との接触をなるべく避け、マスクをし、手を丁寧に洗う、このことを1月の段階から国民はやり始めていたのだ。それ以外に説明のつくことは、考えられない。
 結局のところ、日本で「奇妙にうまくいっている」理由は、「チコちゃんに叱られる」風に言えば、「国民が政府を信用していないから」ということになる。どだい、布のマスクを配るのに2か月もかかる政府を信用しろというのは無理である。政府は信用できない、だから、政府が何を言おうと言うまいと、自分たちで感染を予防しなければならない。それが、国民による自主的な予防措置、つまり日本での「自粛」の真の意味なのである。

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(COVID-19)おかしなことだけ⑪「専門家会議は政府・厚労省の注文どおりの答えを出す機関」

2020-05-04 09:26:32 | 政治
1.専門家会議とは
 専門家会議とは、正式には「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 」という。内閣に設置された新型コロナウイルス感染症対策本部の下で、医学的な見地から助言を行うことがその任務である。もとより、アメリカCDCのような独立性はなく、単に内閣の下にある諮問機関に過ぎない。諮問機関には、法令によって設置される「審議会等」があるが、その数は20018年12月現在でも国のもので110もある。多くは、「専門家」といっても、政府の意向に沿う「専門家」を集めただけで、「専門家の意見を聞いた」というお墨付きを与えるだけの機関である。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議もその中のひとつに過ぎない。
2.日本の対策の特徴
 日本のコロナ対策は、PCR検査制限とクラスター追跡だけを中心とするという特徴を持っている。勿論、社会的距離を保つという国民に対する要請は初期から行われてきたが、そのことは世界共通である。しかし、上記二つは、WHOの方針にも反し、世界で類を見ない。クラスター追跡は重要だが、少数検査ではクラスター自体が多くは発見されず、効果は薄い。米紙ワシントン・ポスト(4月28日付)は 「悪い意味で他国への教訓」になると書いたが、その批判は上記二つの方針についてである。しかしその方針は、どこから来たのだろうか。
3.背景
 自公政権は長期にわたり、公務員数の削減をはじめ、公的部門の削減にいそしんできた。典型的な新自由主義的な政策である。当然、それは医療分野にも及ぶ。保健所数は1995年に845箇所だったものが、2019年には472箇所になっている。人口千人当たりの病床数も減少しつつあり(現在の病院病床数と長期療養病床数自体は諸外国と同程度)、さらに今後、国公立病院の統廃合による病床数削減を目指している。つまり、いっそうの医療の公的費用削減を推し進めているのである。それは、多大な財政赤字を抱えて、景気浮揚策など経済を援護する目的以外には国費を使いたくないという意思の現われでもある。それに加えて、景気浮揚策としてオリンピック・パラリンピックを実施したいという事情もあった。
 安倍首相は緊急事態宣言の時発表された緊急経済対策を108兆円と大見得を切ったが、内実は通常の経済政策が大半を占めているに過ぎず、そのうち医療体制整備には1500億円程度の予算額である。このことからも、従来の医療体制の公的部門を削減する方針は変えていないのが分かる。
4.検査制限しか選択肢はなかった
 現実の医療体制は、広範なPCR検査を実施できるほどの体制は整っておらず、また、感染者を収容できる医療設備もまったく不十分な状況で、それらを整えるには莫大な国費を投入しなければならないし、多くの公務員が必要となる。それを避けるには、検査を制限し、感染確認数を増やさない方法しかない。検査をしなければ、確認できないのだから、感染者にはカウントされない。カウントされないものはないと見做せばいいのだ。これにはオリンピック・パラリンピックを控え、感染者が多いと困るという事情も大いに働いたと思われる。日本以外では、感染確認数conformed casesという表現されているのを、単に「感染者数」とすることで、あたかも感染者全体数を表しているように見せかける(厚労省は恥知らずにも、そう表現してえいる)。このやり方は、その時の医療キャパシティー(能力)に合わせて、感染者数を作り出せばいい、ということだ。また、「37.5度以下の発熱」は4日間家にいろ、と言えば、軽症者は検査なしのまま回復する可能性が高い。その中の不運な重症者だけ、入院させればいい。これについては、3月10日国会で専門家会議副座長の尾身茂は、「4日間」の基準についての共産党の小池晃の質問に「PCR検査のキャパシティも考慮した」とはっきりと答えている。こうやって、キャパシティ以内に患者数を抑えれば、医療体制の整備は必要ない。
 この本末転倒の理屈を補うために考え出されたのが、「医療崩壊」を防ぐためには、検査は少数にしなければならない、という日本以外では口にすることもできない奇妙キテレツな理屈である。主に産経新聞等の右派メディアから流されたものだが、8割は軽症なのだから、感染確認もする必要がなく、自宅にいればいいという。そうすれば、病院に行かずにすむので「医療崩壊」は起きないという。ここでは、その間の感染拡大の可能性も、残りの2割の重症者のことも忘れ去られている。さらには、感染者は初めから軽症と重症にすみ分けされているわけではない。初期に軽症と思われても急激に重症化する例も多い。「医療崩壊」を起こさないために、日本以外で行われたのは、韓国やドイツを見ればわかるように、軽症、中程度、重症に分けた医療整備の拡充である。どちらが適切なのかは、言うまでもない。
 医療キャパシティー拡充の必要のない方策としては、クラスターだけに特化した追跡とその先の感染抑止がある。これは、濃厚接触者と帰国者優先の検査制限方針には矛盾しない。クラスターだけを強調すれば、それ以外の感染可能性は重要視されない。検査数を増やす必要があるとも言われずに済む。
 また、国民に対する行動制限の要請だけは早い時期からしなければならない。これは感染拡大を防止するためには、最も欠かせない要素であり、日本での行動自粛(禁止であれ、自粛であれ、社会的距離を保つことには変わりはない)は欧米より1か月ほど早く、そのことが欧米ほどの悲惨な状況を回避できた理由と考えられる。しかしそのためには充分な補償が必要とされるが、それについての言及は、専門家会議の役割ではない。
 これが、専門家会議が考えた政府・厚労省の注文どおりの答えである。
5.その後の変化
 4月の終わりから、中国はもとより、韓国をはじめ東アジア地域では、感染確認数が大幅に減っている。また、甚大な被害をこうむっている欧米も強固なロックダウン等の行動制限により、感染ピークは過ぎつつある。それにより、日本以外では行動制限の緩和に向けて議論が活発に行われるようになった。いわゆる、出口戦略の議論である。
 しかし、日本では相変わらず、感染確認数が思うように減っていかない。確かに、5月1日の専門家会議の提言でもあったように、検査が少数でも同じやり方でやっているのだから、感染傾向は把握できる。また、実行再生産数(一人が何人に感染させるかを表す。1を下回れば感染は減少していく)が全国で1以下になった、というのも疫学上の数理モデルとして成り立つ(ただし、この数理モデルを算出するのにも少数検査のデータを使用しているので、信頼性は下がる)。しかし、これで済むものなら、世界中で検査の拡充は行われていない。莫大な費用と労力を投じても、検査数を増やす必要があるのだ。日本ではいまだに1日5000件程度だが、ドイツでは1日20万件、英国でも10万件を目標に検査数を増やしているのだ(英国では既に1日10万件の検査を実施している)。
 それは、感染が減少傾向にあったとしても、実際の感染がどこまで広がっているのか分からないと、出口戦略が立てられないからである。実際の感染者は1万人なのか、10万人なのか、100万人なのか、或いはもっと多いのか、それが分からないと、できる限りの正確な根拠での行動制限緩和ができないからだ。また、実際の感染者を可能な限り見つけ出し、その感染経路を絶たないと拡大の危険性が残るからだ。さらに、慶応病院や神戸市民病院で行われた抗体検査では、市民の数パーセントに抗体が検出されている。日本のPCR検査での陽性確認数より、桁違いに多くの感染が広まっている可能性があるのだ。
 検査数を増やす必要性は、さすがに専門家会議も認めているし、国会での政府答弁でも「増やします」と答えざるを得ない。しかし、「ピークは過ぎた」と言える諸外国並みの検査数まで増やすのは、莫大な費用と、今までの政策の方針転換なくしてはできないので、実質的に現政権では不可能である。
6.マッチ1本の灯りで、真っ暗闇を進む日本
 WHOのテドロス事務局長は、検査の必要性について「目隠しされたままでは、火事とたたかうことはできない」と言った。日本の場合で例えれば、少数検査というマッチ1本の灯りで真っ暗闇を進まねばならない。このままなら、見つけ出されない感染者が、完全に消火しきれない火事のように、くすぶり続けて残ることになる。検査数もいくらかは増えるので、だらだらといつまでも確認数は出続けるだろう。しかし、補償も充分とは言えない外出制限要請に、国民もいつまでも耐えることはできない。結局、真っ暗闇で何も見えないまま、感染が収束したかどうかの根拠も極めて曖昧な形で緩和措置をとらざるを得ないのだ。そして、多くの海外メディアからは、またも「悪い意味でも、他国への教訓」と書かれるに違いない。
 
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