『女は装飾をもって生まれ』
『装飾をもって死ぬ』
『装飾』とは『美』なのか、『飾る』ことなのか。
そしてそれは本物なのか偽物なのか。
墓の中まで持っていくのであれば、それは本物と言えるでしょうね。
自分を良く見せたい心理は女性だけのものではありませんが、その心理と、本当の自分を表現することは相容れない事なのかもしれません。
もちろんファションショーで披露されるデザインは、デザイナーにとって自分を表現した『自分』そのものでしょう。
しかしそれを着るユーザーが何のアレンジもせずにそれをそのまま身につけた時、本当の自分を表現したことになるのでしょうか。
もちろん『そのデザインが好き』という信号は発信できるでしょうが、、、。
既製品を嫌って、一点ものを購入する人がの心理は、同じものを着ている人と街ですれ違いたく無いというものでしょう。
派手なものであればあるほどその心理は大きくなります。
Gパンと無地のTシャツの組み合わせならそんな心配は要りませんが、それは私の目指すところの究極のファションですから着こなしは一番難しいですね。
サッカー選手や野球選手が同じフニフォームを着ていても、そのプレイで背番号含めたその人が着ているフニフォームという信号に特別なファッション性を覚える時、そのフニフォームのレプリカがバンバン売れるのです。
それはそのフニフォームのデザインに魅力があるのではなく、その人のプレイに選手としての魅力があるからです。
それが長い年月をかけて色々なプレイヤーが脚光を浴び続けるところに、プランド力が生まれるのです。
Gパンと白いTシャツを着ていても、その人の内面からにじみ出てくるもので差別化されるようになりたいものです。
それは装飾では無いでしょう。
『装飾とは弱いものがいじめられないために、目立たない程度の中流を目指す防衛本能であり、虚飾とは少し強いものが凄く強い者や、中流の者が富裕層だと見られたい欲求を満たす詐欺的な攻撃行為である』
装飾を持って生まれる女性は、本能的に生まれ持った自己防衛の手段として装飾本能があると言えるのではないでしょうか。
装飾と虚飾の違いは、天と地ほどもあるのです。
装飾は内面がにじみ出てくるまでの鎧でもあります。
それでも軽くて動きやすい機能的な足軽ファッションが、私は好きです。
それでも背中に自分の旗を大きく立てていたいのです。
それは戦場では威嚇であり、平時では虚飾となるのです。
今は平時(笑)
旗は引っ込めておきたいものです。
さて、今回で漱石シリーズは最終回です。
漱石シリーズ発行今回をもって最終回です。