悠翠徒然

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『海底二万哩』

2016-05-24 09:11:38 | Weblog
ジュール ベルヌのSF小説をハリウッドが1954年に映画化したのですが、子供の頃にテレビで見たきりだったのを、今回たまたま見ることができました。

60年以上前の映画なのに、特撮の出来がとても素晴らしくてビックリ!

素晴らしい~

東宝が1963年に作ったSF映画『海底軍艦』が大好きなのですが、これにも原作があります。

原作は読んだことないのですが、映画の流れは『海底二万哩』とかなり似ています。

ま、原作『海底二万里』も読んではいないのですが、、、、

『海底軍艦』が『海底二万哩』のクオリティを目指して作られたことは間違いないと思います。

そこに『海底二万哩』への尊敬の念があったことで、『海底軍艦』は日本映画でしか表現できない独特の異彩を放っているのです。

映画って、いいですよね~






本日の一文字

2016-05-24 07:48:48 | Weblog


王羲之の『也』を臨書してみました。

じっくりとした筆運びで、紙に墨をにじませながら書いてみました。

最終画のアールを意識して書かないとうまくおさまりません。

『也』はその使われ方から、多くの書家が書いてきた文字の一つです。

字典で比較してみると、とても面白いですよ。

画数も少なくさっと書けるので、字典に載っている全ての『也』を制覇するのもいい稽古になると思います。

篆書、隷書、草書、行書、楷書、それぞれがそれぞれの書き手によって自由自在に書き分けられている事に気づかされると思います。

枠から外すことができる人は、枠の中ではじけることもできるでしょう。

自由自在にもそれなりの基礎が備わっている必要があるのですね。




本日の名言

2016-05-24 07:00:12 | Weblog


『優秀な芸術家は模倣し
偉大な芸術家は盗む』

ピカソの名言です。

書道の世界では、模倣である臨書が基本とされています。

その臨書にもいくつか段階があって、それぞれ深化の過程に従って分けられているのですが、偉大な芸術家に求められることは『盗む』ことなのかもしれません。

何を盗むか、ですって?

それは先人の技術や知識ではありません。

対象物そのものからその精神や本質を盗むのです。

絵画であるならば、それが静物画であろうと人物画であろうと、風景画であろうと宗教画であろうと、対象からその精神や本質を盗むのです。

本人も気づかないうちに盗むのです。

では書道では何を盗めば良いのでしょう。

それは文字が対象であるなら、その成り立ちや多くの意味を知った上で、そこから想像できる物全てから精神や本質を盗むのです。

俳句や短歌、詩や名言などの文章であるなら、作者の人となりを調べ、その人を想像しながら盗むのです。

盗んだ物をどう再構築していくかは、人それぞれです。



アンドリューワイエスの『クリスティーナの世界』です。

とても幻想的な絵画作品で、この作品を初めて見たときからずっと心に残っていました。

心象心理を描いた作品かと思っていたのですが、モデルがあるとのこと。

近所に住んでいた下半身麻痺の女性が、這いながら草原を進んでいく光景を目にした作者が感動し、その感動を絵に残しておかねばならないとの使命感から書いたそうです。

鮮やかピンクのワンピースを着た女性が、自宅であろう少し草の枯れた草原の小高い丘に建つ家を目指して這っていく姿に、妙な気持ちにさせられます。

髪は乱れ身体はやせ細り、目指す家は不気味で黒い。

本当に自宅なのかどうか、、、、

その家に続く二本の轍が彼女の求める人生の道なのかもしれません。

せめてその轍に辿り着かせてあげたい。

手を差し伸べてあげたい気持ちになるのです。

でもその轍はどちらの家に続いているのでしょうか?

右なのか左なのか、それともどの家にも続いてはいないのかも、、、、

丘の上に登ってみなければ、その先がどうなっているかなんてわからない。

そこに何が待ち受けているかはわからないけれど、這ってでも丘の上に登って行きたい衝動に駆られる。

先のことは分からないけれど、命ある限り、這ってでも丘の上を目指す彼女の姿に、人間の本質を感じることができます。

私にとってこの作品はそこが魅力なのです。


今回『盗む』を小さくするか大きくするか、はたまた普通の大きさでしめるか悩みました。

口に出してみました。

大きな声にすると、聞くものとの間に不要な壁が生まれ、普通だとその内容が分からないのに、多くの人を頷かせてしまうように感じました。

小さくすると、わからない多くの人は頷かず、笑うでしょう。

お茶目でしょ、ピカソ(笑)

売れる天才芸術家と、死後売れる天才芸術家の差はそこにあります。

聞かれたから答えただけなのでしょうが、そこにはピカソオリジナルな考え方が浮かんでいます。

私の勝手な解釈ですから、これまた批評家に叱られちゃうかもしれませんね(笑)