王羲之の『趣』を臨書してみました。
ちょっとだけアレンジ加えてしまった感じの仕上がりです。
自分が面白いと感じてこれまでやってきた事はどんな事なのでしょう?
個々に分けると、それぞれの時代の趣味だったり、マイブームだったりというくくりであげる事は出来ます。
音楽や映画の鑑賞、オーディオマニアになった時期もありましたし、カメラや8ミリにはまってプラモデル使ったジオラマや、兄弟やいとこに出演してもらって自主映画を撮った事もありました。
乗る事も大好きですが、バイクをバラしたり組み立てたりもしました。
車のドライブも大好きですし、筑波サーキットや富士サーキットをアクセル全開で走った事もあります。
ギターを習得しようと頑張ってみたものの上手くならずに断念し、ドラムに転向したらこれにはまってお金もらうまでになったりしました。
小説家になろうとして原稿用紙を買い込み、勢いつけて書き始めるのですが、翌日それを見直すとその稚拙さに腹が立ち、原稿用紙をぐしゃぐしゃに丸めてまた書き直すことを繰り返しているうちに、書く事の情熱が消えてしまう、、、
結局、原稿用紙をぐしゃぐしゃに丸めたかっただけだったのかも(笑)
サッカー部に入ってもレギュラーになれず、剣道部でもレギュラーになれず、気持ちが萎えて断念、、、
若い僕は、才能の無い自分から逃げ出したのでしょうね。
ものになった事はほとんど無かったなぁ~というのが実感です。
耳の良いオーディオ評論家になりたかったし、自由な感じを漂わせるカメラマンや映画監督になりたかった。
有名なサッカー選手にも強い剣士にもなりたかった。
かっこいいギタリストとしてステージに立ちたかったし、プロドライバーとして世界のコースで活躍したかった。
そして、地味でもいいから物書きになりたかった。
あ、地味な物書きは、今ここで実現しているのかも(笑)
逆に周りより才能があったのに、全く興味が湧かなかった事もありました。
絵を描く事は得意でした。
料理を作る事も得意でした。
人を笑わせる事も得意でした。
でも今考えると、それぞれの道は競争も多いイバラの道です。
選ばなくてよかった(笑)
だって、今やっていませんから。
つまり、私の場合、才能があったとしてもなかったとしても、興味がわかない事を仕事にする事は出来ないと言うこと。
次に、長続きしないことも仕事には出来ないと言うこと。
私はドラムを叩くことが好きなのか?
筆で文字や文章を書くことが好きなのか?
好きです。
でももっと興味深く好きな事がある事に気がつきました。
それは人が集まる場所を提供して、そのそばにいる事。
絵を志していたら美術館や画廊に、料理を志していたなら料理屋さんか料理学校に、お笑い芸人を目指していたら、演芸場にいたでしょうね。
場合によっては作っていたのかもしれません。
ドラムを叩く事から、バンドが練習できるスタジオをつくり、録音できるレコーディングスタジオをつくり、ステージで発表できるライブハウスをつくり、CDを発売できるレーベルをつくり、楽曲を管理できる出版社も作ってきたのです。
そこには多くのバンドマンが集まってきます。
バンドの演奏を聴きに多くのファンが集まってきます。
そんな場所を提供したかったのです。
そしてそこのそばにいる事が幸せです。
そばにいられる感覚を養うためにも、今でもドラムを叩いているのかもしれません。
叩きすぎは、手や指には良く無いですけどね(笑)
書道教室も、書道を愛する人や書道を必要とする多くの人たちが集まってきます。
子供達の汗と墨の匂いでむせっかえるような教室の空気がたまらなく懐かしい(笑)時もあれば、
真剣に紙に向かう塾生諸君のエレガントな姿勢がとても眩しい時もあります。
そんな場所にいられる幸せを日々感じています。
そのために日々書技と感覚を磨いているのかもしれませんね。
目的は、和翠塾の書法と書体を日本全国に広めて、多くの日本人に書道をアイデンティティとして身につけていただく事です。
そしてそのアイデンティティを持った若者たちが、必ずやこれからの日本を住みやすい幸せな国にしてくれると思うのです。
杉山悠翠としての夢はその一点にあります。
ゆえに、塾生全員に指導者になっていただきたいのです。
近所の子供達集めて書道教室開くのもよし、お子様に教えるのもよしなのであります。
生涯書道で社会と関わりながら、充実して生きている事ができるとおもうのです。
私達がその見本とならねばいけませんね(笑)
充実している事は間違いないです!
後は元気で長生きする事のみ~
『元気があれば何でも出来る!』
当たり前の事ですが、アントニオ猪木はいい事言いますね~(笑)