るるの日記

なんでも書きます

幕末・明治の変革のために転生してきた人々

2022-02-02 12:38:02 | 日記
😥【急激な近代化による歪み】
とにかく明治政府は急速な近代化政策を進めた。それは国民生活の実情を無視した急激さであった

政府は近代化のためなのか、何なのか、【少数の藩閥官僚による専制政治(有司専制)】を行っていたため、不満の声があがり、国内では政府に反対する気運が高まりつつあった
征韓派にくみして政府を辞職した板垣退助ら旧参議らは、政府の有司専制を鋭く攻撃した
江藤新平は佐賀にて不平士族に擁立された征韓党の首領となって反乱をおこした
政府の取締りは厳しくなり
反政府的言論活動を押さえた

😓【西郷隆盛自死】
急激な改革によって、封建的特権を次々に奪われた士族たちも、政府への不満は高まり、士族たちの反乱が相次いだ
1877年2月、反政府勢力の拠点と目されていた鹿児島において、私学校の生徒を中心とする不平士族らが、西郷隆盛を擁して兵を挙げ、ここに西南戦争が始まった
始めは勝敗の行方も予断を許さないほどであったが、西郷軍が熊本鎮台の攻略に失敗してから千局は政府軍に有利に傾いた。政府は8ヶ月近い歳月を費やして9月内乱を鎮圧し、西郷をはじめとする反乱軍の指導者はいずれも戦死・自殺・処罰された
政府軍の勝利、西郷軍の敗北は、新しい徴兵制による軍隊の威力を示し、政府の権力がもはよ揺るぎないものであることを明らかにした

😓【大久保利通暗殺】
1878年、不平士族一味による大久保利通暗殺事件が起きた。不平士族の新政への反抗は、政府要人の暗殺という形をとって行われた

最後まで政権の座にあり、政府の中心となって、大きな権力をふるい、日本の近代国家建設の基礎を築いた立役者である
西郷隆盛と比べると、人気は乏しく、反対派から専制政治家として激しい非難を浴びた

しかし、冷酷と思えるほど沈着冷静であり、優れた決断力と明晰な頭脳を備え、広い視野に立ち、現実主義に徹した政治的態度は、多くの反対を押しきって大胆な改革を実行しなければならない変革期の政治家にふさわしいものであった









明治政府は朝鮮に圧力をかけ、朝鮮が不平等になる条規を結ぶ

2022-02-02 11:42:03 | 日記
■幕末以来、朝鮮は鎖国をとりつづけ、明治政府の態度に怒り、日本の国交要求を再三拒否していた
日本では朝鮮に対し武力強硬方針をもって臨むべきだという征韓論が高まった
政府でも西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らの参議が征韓論を唱えた

〈方針詳細〉
西郷隆盛を使節として朝鮮に派遣し交渉にあたらせ、国交要求が受け入れられなければ兵力を送り、武力に訴え朝鮮の開国を実現させる

征韓論は同時に、政府に強い不満を抱いている士族の矛先を海外に向けさせるためでもあった
欧米列強国の著しい発展を見てきた大久保利通、木戸孝允らは日本の整備が先決であると、征韓論に強く反対。初めの方針は取り消され、西郷隆盛ら征韓論派参議は辞職


■日本がペリーにやられたことを、朝鮮に行った

1875年日本は、朝鮮に参議・黒田清隆を全権使節として6隻の軍艦を派遣。朝鮮沿岸で測量を行う。20年以上前、ペリーが日本に行ったことを朝鮮に行ったのである。艦長が江華島にボートで近づくと、島の砲台から砲撃を受け、日本も砲撃し江華島の砲台を破壊。近くの島に日本兵を上陸させ、永宗城を占領した
これをきっかけに日本は朝鮮に圧力をかけ1878年、朝鮮が不平等になる、日朝修好条規を結んだ。朝鮮は釜山・仁川・元山を開いた
朝鮮は一つの独立国として清国の属国を否定する立場に立った


明治の領土問題「樺太・千島列島交換条約」

2022-02-02 11:02:10 | 日記
■明治の外交問題
★幕末の不平等条約改正
日本の法制度の未整備と、近代的諸制度がまだ確立されていなかったため、相手にされず

★領土問題
ロシアとの間で懸案となっていた
樺太(サハリン)の領有問題

ロシアの南樺太への進出が強まり、「北海道開拓に全力を注ぐため、樺太を放棄しよう」という開拓次官・黒田清隆の主張が通り、1875年全権公使・榎本武揚は、【樺太・千島交換条約】に調印。樺太をロシアに譲り、その代償として千島列島を日本領と定めた
1876年小笠原諸島も、アメリカがそれが日本領であることを承認して解決