るるの日記

なんでも書きます

斎藤実・朝鮮総督以前の朝鮮総督は、軍人が朝鮮総督となり、武力統治と同化政策を行っていた

2022-02-05 16:46:16 | 日記
日本の植民地となっていた朝鮮では、朝鮮総督府(現役軍人)による武断的統治(武力統治)や、同化政策(力を持つ民族が弱い民族に、文化を強要)に強い反発が起こっていた

第一次世界大戦後【民族自決】(民族が独立して政治を行う)
という国際世論の高まりにも影響されて、朝鮮では民族独立を求める声が強くなった

1919年1月、(前)韓国皇帝高宗が死去すると、日本による毒殺との噂が流れ、民族感情を刺激した

2月、朝鮮の在日留学生が、東京で独立宣言を発表

3月、高宗の葬儀をソウルのパゴタ公園で行ったとき、33名の宗教家が署名した、独立宣言が朗読された
これをきっかけに各地で、独立を求める集会やデモ、ストライキ、学生たちの休校が相次いで展開された

日本は軍隊と警察を動員して鎮圧にあたった。武力鎮圧による朝鮮側の死者は7000人以上

日本政府はその後、朝鮮総督の資格を現役軍人から、文官にまで拡大し、憲兵警察を廃止
新任の斎藤実総督のもとで文化政治を実施し、灌漑施設の拡充・耕地整理などによる産米増殖計画を推進するなど、朝鮮統治に宥和的政策(敵対国の主張を尊重し、問題解決する)をとった

ドイツ敗戦→日本はドイツの権益であった山東省の権益を引き継ぐ→日本に対して中国と朝鮮は怒り爆発

2022-02-05 16:06:57 | 日記
■ドイツ負ける
第一次世界大戦は、1917年、アメリカが連合国側へ参戦した

ドイツ国内では、経済が破局し国民生活は困窮していた。そしてロシア革命の影響を受けて、労働者のストライキがしきりに起こり、革命運動が高まった
1918年11月、ドイツ帝王政治が倒れ、ドイツ側は敗北。第一次世界大戦は終わりを告げた

■ドイツへの戦争責任
1919年1月からパリで「対ドイツ講和会議」

6月、ベルサイユ条約締結
敗戦国であるドイツに対する条件は過酷だった
★ドイツは国土の一部と、すべての海外植民地を失い、巨額の賠償金支払い義務を負わされ、空軍の保有を禁止され、陸海軍も大幅な軍備制限を受けた
賠償金1921年に1320億マルク
1929年、358億マルクに減じられた
しかしそれも支払不能に陥り
ヒトラー政権成立後、ベルサイユ条約は破棄されて、うやむやに終わってしまった

■日本の利益
日本はドイツの持っていた、【山東省の権益を引き継ぐ】ことを認めさせ、赤道以北のドイツ領だった南洋諸島を、国際連盟から委任統治

【日本は人種差別禁止の取り決めを、国際連盟の規約に取り入れるよう提案したが、アメリカ・イギリスなどの大国の反対にあって採用されなかった】

■中国、日本に怒る
日本が山東省のドイツ権益を継承したことに対して、中国では激しい反対運動が起こったので、中国代表はベルサイユ条約には調印せず
★1919年、北京で大規模な学生デモ
「ベルサイユ条約調印反対」
「打倒!日本帝国主義」
「日貨排斥」日本商品ボイコット

■朝鮮、日本に怒る
朝鮮においても、1919年
独立運動が朝鮮各地に広まった
「日本の植民地支配反対」
「民族独立
「独立マンセー」

船成金・内田信也★船1隻と資本金2万円で会社開業→資産7000万円に(現在の貨幣価値て1500億円~2000億円)

2022-02-05 15:16:52 | 日記
第一次世界大戦中、民間の船舶は軍用として徴発されたので、大戦が長期化すると船舶不足は世界的に深刻化した。どんなぼろ船でも引っ張りだこで、大戦前は1トンあたり3円程度だったチャーター料は、1917年には40~45円に暴騰
船の建造価格も、1トンあたり50円程度から最高1000円近くに上昇したというから海運業者・造船業者は笑いがとまらなかったであろう

日本郵船は1914年の純益484万円が、1918年には8631万円に達し、株主に11割の配当をしている

船成金・内田信也
大戦勃発の年、資本金2万円足らず、チャーター船1隻で汽船会社を開業したが、翌々年には持ち船は16隻となり、配当は何と60割
大戦が終わった翌年には、資産はざっと7000万円(現在の貨幣価値1500億~2000億円)に膨れ上がっていた

内田は30代の青年であったが、神戸の須磨に敷地5000坪の豪邸「須磨御殿」を構え、連日のようにジャーナリズムを賑わした




【大戦景気】日本が世界第3位の海運国に【すごすぎる】

2022-02-05 14:54:47 | 日記
日本経済は第一次世界大戦をきっかけに、空前の好景気を迎え、大戦景気ブームに酔った

日本は参戦したものの、戦争被害はほとんど受けず、ヨーロッパ列強国が戦争で手一杯なのに乗じて、中国市場をほとんど独占し、さらに全世界に日本商品を売り込んだ
軍需は急増して、世界的な船舶不足のため、海運業や造船業は勢いがつき、船成金が続々生まれた
日本は世界第3位の海運国に跳ね上がり、造船技術も世界のトップレベルに肩を並べるまでになった