るるの日記

なんでも書きます

石垣積秘抄【積み方並びに規矩歌の事】

2022-02-15 18:11:38 | 日記
規矩歌とは天地開きて出来、唐も日本もこれを本とす

★諸々の匠は規矩を本としてこれより外に宝なかりし
(積み方五行を表す歌)

★積み方は、方と円きと三角を半月団の形、表す
(野面山積歌)

野面山積城にこそ築くべし
山目打込なおも積むべし
(亀甲半鶴目積歌)

鶴亀のちとせを祝う積み方は
よろず世を祈りなりけり
(金場取残し積歌

石垣の面を残した積み方は
これこそかね場残し積み也
(品々多くある中、四方積をば根元と知るべし)

本伐はよく美しく面もとる
中伐半はあらくこまかく
鏡石、所を知りて築くべし
必ず神もいますとぞ知れ

沼深は土台捨石松木にて
いかにも堅根石築くべし
積方は其の所にぞ応べし
所知らねば不相応なり





石垣積秘抄・二祥三吉の事

2022-02-15 17:21:19 | 日記
■二祥

京都、平安城のこと

桓武天皇の御草創にて、四神相応の神霊の地なり

★東に山、小川、田、沢有りを青龍

★西に大道有りを白虎

★南に大河有りを朱雀

★北に山林有りを玄武

💖この四神相応の地なり

★東西短く
★南北長く
★北高く
★南低し

💖これ繁昌の地なり

■三吉
一、石垣底石の下に、細成石を敷く

「君が代は千世にや千代にさざれ石のいわほとなりて苔のむすまで」

二、松の枝を敷き、石垣底石を積む

「君が代の久しかるべきためしにはかねてぞ植えし住吉の松」

三、角石、三角に組み立てる

三角は都形のはじまり也
これ、三吉と表す
三角は毘沙門の結びたまいし印の形也又五行の意味も有るべし


石垣積秘抄・三忌五禍

2022-02-15 16:52:43 | 日記
■石垣に三忌五禍の事

★三忌
一、石の縁を切る事

二、一本角石、四本角石を使う

三、角石など番数が四

★五禍
一、平地において小石を積み、だんだん大きな石を積む

二、角石、角脇も同上

三、石の掟の無い石を積む。尚、積み方が不相応

四、根本を弱く積む

五、作法に外れること



江戸城以外の石垣は弱く作れ

2022-02-15 16:01:41 | 日記
元和6年、大阪城請を
日本国諸大名が請け負った

加賀藩の足軽小頭
松原五左衛門組の小屋が出火
五左衛門腹切り火中に飛び込み焼死
五左衛門、天下の請場に不調法(過ちを)を恐如(恐れおののいた)為也
前田利常不憫に思い、五左衛門のせがれ黒兵衛を金沢に召、五左衛門跡代を命じた

大阪城請成就し、諸国の奉行が帰国時分「諸国の持ち場石垣を見て廻りたい」と江戸奉行申し出し、「大事の儀に候、石垣を築直す所がある」との事
山城守、この意味を見極め「石垣は強固ではなく弱く石垣を築け」という意味だと吟味。「よって諸国の石垣も栄えず苦しくもなくという趣にしろ」との極申す

改築を命じられた筑前守丁場職人は
丁場不調法(受持区域に誤り)あって築改を命じられたと勘違いした者があった

天下に対し失面目
筑前守不存知(心得ていない)
拙者両人の不調法不存知
筑前守面目失
我ら二度と対面成難く
両人切腹致と申し切腹

石垣職人が2人切腹したというのに
「まだその後に何様に我が城をも築直せと申す。切たる気色や」
筑前守様ご機嫌不大杉
奉行困り入り、山城守の「石垣は栄えず苦しくもなく(匁茂)」の吟味を返答す
筑前守さまご機嫌不大杉

御家中、人持衆以下馬廻り迄も築直され、一統漬可申候
これも城州手柄と申したり



加賀藩穴生方・後藤家4代目【20年引きこもり後、病死】

2022-02-15 14:12:11 | 日記
穴生方後藤家3代目杢兵衛病死
4代目、権兵衛(3代目の兄)跡目相続
このとき穴生役を離れる者あり。
遺書に「家業伝授不仕与相調有之
由」つまり権兵衛には家業は伝授されていない
それほど権兵衛はできが悪かった
なぜなら権兵衛は
20年引きこもりをしていたからだ
原因
増泉宮地に見事な松があった。大奉行・小幡不入殿は権兵衛に命じ、この松の木を取り払わせたところ、荒天となりアラレ降り、人足は働くことできず
その後、小幡不入殿乱心し夜中深編笠、白かたびら来て夜行
盗賊改方、その咎は小幡不入に相違なし。不入乱心していると判断
権兵衛も、松を取り出して20年引きこもりを続けた。前田綱紀、権兵衛病気につき祈願あり。神木与えたり。祈願成就せず残念千万也

後藤の屋敷にキュウリを植えることならず、、申伝


宝永3年、権兵衛病死
前田綱紀は権兵衛の筋目の者を探す。
実は権兵衛は病で引きこもる前は庭園を作ったり、また能楽に合わせて唄うのが達者で、人持衆の指南をしていた
前田綱紀は権兵衛に度々庭園の石仕事を命じ拝領物を与えた。綱紀は裸足になり、権兵衛は綱紀の草履を拝領した
綱紀はそんな権兵衛が長患いになった理由を思うと気の毒に思い、権兵衛筋目の者に50俵を与え
加賀藩穴生方相続を命じた