るるの日記

なんでも書きます

A級戦犯の裁判「被告人全員無罪」を主張した裁判官がいたが、25名有罪・7名絞首刑

2022-02-08 21:07:43 | 日記
■「好ましからざる者の追放」

昭和21年1月4日
日本政府に連絡がないまま、GHQから【公職追放令】が発表された
※戦争犯罪人
※陸海軍軍人
※超国家主義者
※大政翼賛会
などの政治指導者・軍国主義者に該当する者を「好ましからざる者」として公職から追放することを命じた
昭和23年5月までに21万人が罷免

■A級戦犯

A級戦犯とは捕虜虐待などの通常の戦争犯罪を犯した者ではない。戦争を計画・開始または遂行したと申し立てられた者、すなわち「平和に対する罪」に問われた者である

■東京裁判

戦犯容疑者は昭和20年9月から12月にかけて逮捕され、そのうち28名がA級戦犯として起訴された

昭和21年1月19日マッカーサーは極東国際軍事裁判所設置を命じた
5月3日に開廷した裁判は
昭和23年11月まで続いた

28名の被告中、
大川周明は精神障害のため免訴
松岡洋右・長野修身は死亡
残り 25名全員が有罪判決を受けた

〈絞首刑〉7名
土肥原賢二
板垣征四郎
広田弘毅
松井石根
東条英機
木村兵太郎
武藤章

昭和23年12月23日執行

この裁判は侵略戦争の計画・実行を新たに犯罪「平和に対する罪」として、戦争指導者個人の刑事責任を追及するものであった

しかし11名からなる裁判官の間には意見の対立があり、多数派判決に対し「被告人全員無罪」を主張した
インドのパル
オランダのレーリンク
らは判決に反対意見を書いている

■B・C級戦犯

通常の戦犯(B・C級戦犯)は
アジアに設置した裁判所で
5700人余りが起訴
984人死刑
475人終身刑
その審理は十分なものではなく、不正解な事実認定に基づいた判決も少なくなかった

昭和天皇を戦犯とする動きを封じるための「戦力不保持、交戦権の否認=戦争放棄」

2022-02-08 20:16:54 | 日記
戦争放棄の提案

マッカーサー回想録
1946年(昭和21)1月24日
マッカーサーを訪問した幣原首相の口から「日本は戦争を放棄し、軍事機構を持たないとする憲法の規定を設けたい」との提案があったとされるが、疑わしい

幣原首相は
「世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を永久にしない、というようなことを、はっきり世界に声明すること。ただそれだけが敗戦国日本を信用してもらえる方法だ」
と述べたにとどまる

戦争放棄を憲法に盛り込もうとしたのは、マッカーサーや、総司令部民政局長ホイットニーだった
★戦力不保持
★交戦権の否認
の言明なしには、アメリカ以外の連合国の一部が、来たるべき極東国際軍事裁判で、昭和天皇を戦犯として訴追しようとする動きを封じることは困難だと考えられていた

アメリカが「天皇は日本の象徴である」という文を考え、天皇を人間宣言をさせた【伝統文化の干渉】

2022-02-08 19:41:04 | 日記
■幣原喜重郎
昭和20年10月9日
長老・幣原喜重郎が首相就任
翌年の5月22日に退陣するまで
重要案件を実行した
マッカーサーの【五大改革指令】を実行したのだ

■天皇の人間宣言と天皇詔書の中の天皇の本音

内外で天皇の戦争責任問題が取り上げられる
GHQやアメリカは、天皇制を廃止した場合に予想される収拾しがたい混乱を避けるために、むしろ占領管理に天皇制を利用すべきだと考えた
昭和21年元旦「天皇が現御神であり、日本民族が他民族に優越するという神話を否定した詔書の発表」が演出された(人間宣言)
詔書の発生理由は
GHQが後に続く事態(公職追放・預金封鎖など)への混乱を考慮し、「天皇が国民に対して占領政策への協力を呼びかける」ためであった
詔書本文。そこには天皇自身の強い希望によって加筆された五ヵ条の御誓文の文句が引用されており、明治天皇が本来めざした「良き立憲国家」の伝統を昭和天皇が戦後に引き継ぐものである、と読み取れる

■日本国憲法の制定
昭和20年10月11日
マッカーサーは憲法の自由主義改革を要請したので、政府は憲法問題調査委員会】を発足した
昭和21年2月
試案された憲法の内容を見てGHQは驚いた【統治権を依然として天皇に置き、天皇は神聖にして不可侵であると規定していた】からだ
GHQはGHQ主導で憲法をつくりあげなければならないことを決意
憲法はマッカーサー、民政局長ホイットニー、民政局次長ケーディスらを中心に起草された
マッカーサー草案が日本側に提示
草案の骨子は2点
★象徴天皇制
★戦争放棄
GHQは「厳しい国際情勢のもとで
天皇制を維持するためには、このような画期的な憲法改正が必要なのだと内閣を説得した」
内閣は英文草案の翻訳できた部分から順次閣議にかけ、3月5日閣議決定した
翌日、草案はアメリカ政府と、極東委員会に届けられた
極東委員会は「十分検討したい」という立場をとった
アメリカ政府とマッカーサーは、日本の閣議が自ら決定した憲法を、極東委員会が検討するのは「日本国民の自由表明する意思」に干渉するものであると反論
GHQはGHQ起草による憲法草案を、このような論理で極東委員会の関与から外すことに成功した

皇族内閣だからこそGHQの命令は認めない

2022-02-08 18:38:15 | 日記
■総指令部は、皇族内閣発足させ、混乱なく終戦処理をしたい

昭和20年8月17日
皇族・東久邇宮稔彦を首班とする内閣が発足。大きな混乱もなく軍隊の武装解除や、連合国軍の進駐を受け入れ、降伏文書への調印を無事に終えた
(これは指令部が皇族を内閣にすることによって、混乱の少ない終戦処理を期待されていたからだ)

■皇族だからこその信念

しかし東久邇宮内閣は
★【一億総懺悔】
(戦争責任は国民にもある、責任転嫁?)
★【国体護持】
(今までの天皇忠心の国のあり方を守る)を唱えた

★戦犯の逮捕・処罰方針をめぐり日本政府は、容疑者の処罰・裁判を日本側で行うことを総指令部に申し入れるが、総指令部は認めなかった

★政治的・宗教的自由の制限撤廃(天皇批判自由化)に関する総指令部の指令を、積極的に実行する意思もなかったがため、内閣は総辞職した

アメリカ軍の日本占領は間接統治だったが、日本がアメリカ司令を遂行しない場合直接統治した【A級戦犯容疑者逮捕など】

2022-02-08 18:06:17 | 日記
■日本人は連合国に降伏し、連合国に占領された
連合国といってもアメリカ軍による単独占領だった

■日本は7年間GHQの統治下だった
昭和20年9月2日の降伏文書調印から
昭和27年4月28日の講和条約発行
までの7年間
【連合国軍最高司令官総司令部】
の間接統治下に置かれた


司令官はマッカーサー

マッカーサーを支えたのが総司令部
(GHQ)

■占領期間中の日本改革構想

昭和20年9月22日付
【降伏後におけるアメリカの対日方針】
が伝えられ

11月1日
【日本占領、管理のための司令官に対する、降伏後における基本的司令】
が与えられた
包括的なもの
政治的・行政的改組(組織改め)
非軍事化
経済的非武装化
賠償方針
財政・金融方針
など詳細にアメリカ側の方針が記されていた

■対日占領政策機関
★最高機関
ワシントンに極東委員会
(対日管理機関)

★下にアメリカ政府
(日本に司令を作成・伝達する)

しかし極東委員会が機能しはじめたのは、占領開始の半年後
総司令部は、改革については極東委員会の牽制を受けずに断行することができた

■間接統治

ドイツ占領とは違い、日本占領の場合、総司令部は直接軍政を敷かず、日本の行政機関を利用した間接的な管理を行った【間接統治】
しかしアメリカ側が権力を持っていたことにかわりなく、アメリカ政府は日本側が司令を満足に遂行しない場合、直接行動をとる権限をマッカーサーに与えていた

東条英機らA級戦犯容疑者の逮捕、政治犯の即時釈放、思想警察の全廃など、、

〈間接統治の流れ〉

総司令部が企画・立案した政策は、メモ・口述などの命令を通して、日本政府に伝達
その命令を法律・政令・規則などの形式に書き直して、日本政府が実施する