るるの日記

なんでも書きます

日本が急速な高度経済成長をした秘密【日本社会の同質性の高さ】

2022-02-04 16:20:37 | 日記
日本資本主義は、欧米諸国が2~300年要した過程を半世紀という短期間で達成し、発展を遂げた

このような高度成長は、政府主導による、産業育成のもと、欧米諸国から経済制度、技術、知識、機械を日本に導入し、移植することによりもたらされた
産業推進には巨額な経費が必要としたが、日本はほとんど外国資本に頼ることなく、日本国内で資金調達された

■高度成長のひずみ、ひずみを利用した高度成長(各個共通現象)

日本の急速な資本主義の形成は、その副作用として
工業と農業との格差
大企業と中小企業との格差
劣悪な労働
公害
環境破壊
などの「ひずみ」を生んだし
それらを利用して急速な経済発展を遂げた
この「ひずみ」は資本主義をめざす多くの国々に共通する現象であるが、、

♦️日本が急速高度経済成長ができた秘密

★寺子屋教育の伝統を引き継いだ学校教育による国民教育による
「読み書き」能力の高さ

★教育を通じて庶民が、国家指導階層にまで上昇し得るような、縦社会の流動性の高さ

★勤勉性

★宗教的束縛が無い

★同一民族、同一言語

★宗教的対立や民族紛争による流血が無い

★日本社会での同質性の高さ





江戸時代から巨額な富を得ていた商人が、明治時代で政商となり、財閥となる→金のある所に金は集まる

2022-02-04 15:49:24 | 日記
■官営事業の政商への払い下げ

1880年代に鉱山や造船所などの
【官営事業の民間への払い下げ】が進められ、民間事業の発展に大きな役割をはたした
払い下げを受けた多くは【政府と特権的に結び付いていた三井・三菱などの政商】だった

■商業から産業へ転化
政商は政府が巨額の費用を投じて建設した官営事業を、安い値段で払い下げを受け、商業から産業へ転化し、日本資本主義の中心的担い手に成長し、財閥として足場を築いた

■財閥の産業界支配による独占資本形成
三井・三菱・住友・安田・古河などの財閥が、金融・貿易・運輸・鉱山業など多方面に渡って多角的経営を進め、産業界を支配するようになった。独占資本の形成である

財閥の中でも特に強力だったのは
三井と三菱であった

三井は江戸時代から呉服商・両替商として巨富を蓄え、維新後は政府と結びつき、政商として銀行・物産・炭鉱などで発展
1890年以後は紡績・電機・金属・機械など企業部門にも進出
1909年に設立された三井合名会社を頂点に、巨大なコンツェルン(独占的企業集団)を形成した



日本人差別の原因は勤勉「日曜日も教会へ行かず働くなんて神への冒涜だ」

2022-02-04 15:09:01 | 日記
日本人のアメリカ移民の最初は、1869年(明治2)のカリフォルニア州に移民した旧会津藩士たちだ。その後一般の移民も始まり、労働者として働いた

日本人移民は勤勉で、低賃金・長時間労働をいとわなかったので、白人労働者の地位を脅かした

生活習慣・宗教意識の違いや言葉の障害などから、日曜日も教会へ行かずに働いたりしたため、なかなかアメリカ人社会にとけ込めず日米摩擦の原因となった

黄色人種差別【イエローペリル】ヨーロッパ諸国はキリスト教を守るため黄色人種と対決すべきである

2022-02-04 14:52:38 | 日記
■日本は東アジアの強国となった。これで明治維新以来の目標【国際社会において欧米列強と肩を並べる日本国を建設する】は達成された

■日本は南満州の、ロシアの権益を引き継いだ
★1906年、関東都督府にて関東州(遼東半島南端の日本の租借地)の行政にあたる
★南満州鉄道を設立
★鉄道沿線の鉱山なと、諸事業にあたる

■日本とロシアとは協調的となり
日露協約を結び、内モンゴルにおける互いの勢力範囲を協定した

■日本とアメリカは対立が芽生えた。アメリカは満州鉄道に関心をもち、日米共同経営を日本に提案したが、日本政府は拒否
その後もアメリカは「満州の門戸解放」を唱えた

♦️しかし、日本の強国化、特に満州への勢力拡大は、日本に対する列強国の警戒心を高めることになり、黄禍論(こうかろん・イエローペリル)の矛先が、日本に向けられるようになった
【黄色人種が白人を、アジアから駆逐しようとするのではないかと警戒し「ヨーロッパ諸国はキリスト教文明を守るために黄色人種と対決すべきである」という主張】

★アメリカやカナダなどで、1906年【日本人移民排斥運動】が活発に展開され、サンフランシスコで日本人が公立学校への通学を禁止される「日本人学童隔離問題」がおこる

★カリフォルニアで、日本人の土地所有を禁止する法律が制定




伊藤博文が安重根に暗殺された翌年、韓国は日本の保護国から日本の植民地となる

2022-02-04 14:11:44 | 日記
■日本は韓国を保護国にした

日露戦争中の1904年(明治37年)から、すでに日本は韓国と日韓協約を結び、韓国の財政と外交に介入していた

1905年11月、第二次日韓協約を結んで、日本は韓国の外交権を握った
(現)ソウルには韓国統監府を起き、伊藤博文が初代統監となって
統監政治を始めた
こうして日本は韓国を保護国とした

■韓国皇帝を退位させ、韓国軍を解散させた

1907年、ハーグの万国平和会議に韓国皇帝の遣いを派遣し、日本の韓国支配を抗議したが聞き入れられなかった。日本政府は、韓国皇帝を退位させ、第三次日韓協約を結んだ
★韓国皇帝の内政権を奪う
★韓国の軍隊を解散
■反日感情高まり、伊藤博文暗殺された
韓国内はこれに反対して反日武装闘争の気運が活発化。解散された軍隊も加わり、義兵運動が高まったが、日本は軍隊を出動させて鎮圧させた

1909年10月、伊藤博文ハルビンにて、韓国の民族運動家・安重根に暗殺される
■日本は韓国を植民地にした

日本は翌年1910年8月、韓国併合を強行。韓国を植民地とした
★名称は朝鮮
★漢城を京城と改めた
京城には、天皇直属の朝鮮総督府を置き、朝鮮統治にあたった
★総督府は地税の整理、土地調査を始め1918年に終了
日本人地主の土地所有権拡大
朝鮮の小農民は没落する者多数
一部の者は仕事を求め日本に移住

★1908年韓国の拓殖事業推進するための国策会社【東洋拓殖会社】設立
農業経営や灌漑、金融事業を行った

★日清戦争後から、日本によって建設が進められていた、京釜鉄道が完成
産業の発展と軍事輸送に大きな役割をはたした