平清盛、その先祖は
桓武天皇第五皇子
葛原親王
その九代後胤が平清盛である
桓武天皇
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葛原親王
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高見王
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高望王(皇籍離れ平姓に)
以後6代は宮中に昇ることは許されなかった
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国香(良望)
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貞盛
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維衡
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正度
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正衡
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正盛
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忠盛→鳥羽上皇のために三十三間堂を建て、一千一体の御仏を据えた
その報奨として但馬国守を与えられ、宮中に昇ることも許された
平忠盛36歳の仕事である
出る杭は妬まれ、公卿はこの人を闇討ちする事を計画した。その計画が平忠盛の耳に入る
「私は文官ではなく武士の家に生れ出世したゆえに、これから私は文官嫉妬心による闇討ちに会うだろう。だが私の今生の仕事は、わが身を全うして君主に仕えるのが本文である。だから、闇討ちの恥は何でもない」
殿上の庭には、闇討ちの噂を聞いた平忠盛の郎党たちが薄青の衣を着て、太刀を脇に挟んで控えていた。。よって、この夜の闇討ちはなかった
平忠盛が天皇に召されて舞を舞った
公卿の人々は歌の歌詞をかえて
「伊勢平氏は、すがめだわい(伊勢瓶子は酸かめ→伊勢の徳利は酸かめにしかならない)」と歌った
【桓武平氏は桓武天皇の子孫なのに、都から遠ざけられ、昇進もせず伊勢に住んでいたという背景がある】
平忠盛はいたたまれなくなり退出。郎党たちが「どのような様子でしたか?」と聞いてきたので、宮中で受けた恥を言おうとしたが、それを聞いた郎党たちはすぐさま殿上まで斬り上がろうとする者ばかりなので
「特別な事はなかった」と答えた
公卿は平忠盛について憤る
★しきたり、儀礼を守らない平忠盛、その家来が殿上の席に列しているのは、今だかつてない乱暴なことである。罪科は免れることはできない。彼を官職から辞めさせよ!
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鳥羽上皇のまえで
平忠盛釈明する
「まず、私は家来が殿上の庭にいたということは知りませんでした。ただ、、最近私を闇討ちしようと計画している人々がいるということを耳にした家来が私を守るために、こっそり殿上の庭に控えていたのは、いたしかたないことです」
鳥羽上皇「武士の家来の常。忠盛の罪ではない」と咎めるどころか、お誉めくださった