るるの日記

なんでも書きます

平家物語・延暦寺京都へ乱入「後白河院が延暦寺に平家追討を命じた噂」がたつ「天に口無し、人をもって言わせるという天のはからいでしょう」と西光法師

2022-02-23 19:43:20 | 日記
■二条上皇崩御(23歳)

永万元年
春、二条天皇が病になる
夏、重態になった
伊吉兼盛の娘は二条天皇の皇子を生んで、皇子は2歳
6月25日に天皇に即位
2歳で天皇即位は前例がなく、天下は落ち着かず
7月22日、二条上皇は亡くなった
歳は23歳

■二条上皇葬送で延暦寺と興福寺が対立

御遺体葬送のとき、延暦寺・興福寺の衆徒が「額打論」ということをしはじめて、互いに乱暴を働いた

天皇が亡くなったあと、御遺体を御墓所に移す時の作法は、奈良と京都の僧侶たちがお伴をし、墓の周囲にそれぞれ自分の寺の額を掛ける

例えば

★東大寺は聖武天皇の御願寺で、先を争うべき寺は無いので東大寺の額を掛ける

★藤原不比等の御願寺というので、興福寺の額を掛ける。京都方では興福寺に相対して、延暦寺の額を掛ける

★天武天皇の御願寺で園城寺の額を掛ける

延暦寺の衆徒は先例に背いて、東大寺の次、興福寺より先に延暦寺の額を掛けた。興福寺の観音房・勢至房という評判の悪僧は走りだし、延暦寺の額を切り落とし、めちゃくちゃに打ち割って「嬉や水、なるは滝の水、日は照るともたえずとうたへ」とはやしながら、興福寺の衆徒の中に入ってしまった

延暦寺の方は一言もしゃべらなかった。天

■延暦寺の報復
7月29日正午
延暦寺の衆徒が京都に乱入
【後白河院が延暦寺の衆徒に、平家追討を命じた】という噂がたっていた
平氏一族と後白河院は六波羅へ集まった。平清盛は恐れ騒いだ

延暦寺衆徒は六波羅を攻めないで、攻める理由のない清水寺に押し寄せ焼き払った。これは以前の御葬送の夜の恥をすすぐためで、清水寺は興福寺の末寺であった

■平清盛は平重盛に告げる
「それにしても後白河院は、前々から平氏を討ちたいと思って、言われていたからこそ、こうゆう噂が立つのだ。お前も心を許すな」

■重盛
「この事は言葉に出したり、態度に出したらいけません。それよりも天皇の考えに背かず、人のために情けを施せば神仏の加護があるはずです。ですから父が恐れることはありません」

■後白河院
御所に帰ってから、近臣たちに告げる
「それにしても意外な噂がたったものだ。少しも考えていないのに」

■西光法師は言う
「『天に口なし、人をもって言わせよ』と申します。平家が非常に身分不相応に出過ぎているので、天の御はからいなのでしょう」









平家物語・天下の大事件「二条天皇が亡き近衛天皇の皇后を皇后にする」

2022-02-23 18:36:12 | 日記

保元の乱で源為義が斬られ
平治の乱で源義朝が討たれ
源氏流の者たちは流されたり、殺されたりして、今は平家一党ばかりが栄え、もう何事も起きないと思われたが
鳥羽院が亡くなった後は戦乱が続き国内は落ち着かない
後白河院の側近の者を、二条天皇がいましめ、二条天皇の側近の者を後白河院がいましめ、みな恐れおののき、心落ち着かない
戦戦兢兢としていた

天皇は後白河院の言うことには、いつも反対していたが、その中でも特に人がびっくりし、非難することがあった

亡くなった近衛院の后、太皇太后宮は、内裏を出て近衛河原御所に、人目につかないように住んでいた。年齢は22、3歳で天下第一の美人という評判だった
二条天皇は女色にふける心で、使いに命じてこの太后宮の所に艶書を贈ったが、相手にされなかったので、なんと天皇は太后宮を入内(皇后にする)させるよう右大臣に宣旨を下す。これは天下の大事件であるため、公卿会議が開かれた。後白河院は「よろしくない」とされると、天皇が言うには「自分は十善戒を守った功徳によって天皇の位についている。これくらいの事をどうして思うがままにできないのか」と言って入内の日を定め宣下したので、後白河院の力及ばず

太后には入内宣下のことを聞き、涙で沈み嘆く
歌を詠む

「うきふしに、沈みもやらでか、竹の世に、ためしなき名を、やながさん」
(近衛院が亡くなられて悲しい折に、私は死にもしないで世に生きながらえて、世に例のない天皇二代の后という名を、流すのだろうか、悲しい)

入内の日、太后は心進まずずっと夜がふけ、夜半になってから御車に人の手に助け乗せられた。御入内の後は麗景殿におられ、ひたすら天皇の政務を手伝った様子

皇居の清涼殿の障子には「遠山の有明の月」がある。近衛院が幼い頃、墨でよごして月を曇らせた絵を描いたものだ。それが少しも変わっていないのを見て、近衛院がおられたのを懐かしく思ったのか歌を詠んだ
「思ひきや、うき身ながらに、めぐりきて、おなじ雲井の月を見むとは」
(情けない俗人のままで再びこの宮中に参って、かつて見たのと同じ、障子の月を見、宮中からの空の月を見ようとは、思いもしなかった)

【編集済・仏御前の後日談】平家物語・仏御前(17歳)が現世を嫌うのは、いつか若さを失い祇王のように清盛飽きられるのが怖かった

2022-02-23 17:28:11 | 日記
祇王、妹祇女、その母の暮らす粗末な庵に仏御前が訪ねて来た

■仏御前は語る
「女のはかなさ、、自分の身を自分の思うにまかせないで、私だけが清盛さまの元に残された事は本当に辛いことでした

祇王御前の身の上を見て
いつかわが身の上になるだろうと思いました

現世の栄華は、夢の中で夢を見るようなはかないもの。どんなに栄えても何にもなりません

人間に生まれることは容易ではなく、そのうえ仏教に逢う事はますます困難な事です

今度せっかく人間に生まれながら、仏教に逢わず、うかうか過ごし地獄に沈んだなら、どんなに多くの生を過ごし、長い時間を経ても極楽浄土に浮かび上がることは困難です

年の若さに安心しているべきではありません。この世は老人も若者も、どちらが先に死ぬとも定まっていない所です

死は速やかにやって来て
一呼吸の間も待ってくれません
カゲロウや稲妻よりさらにはかないのです

一時の楽しみに得意になって
死後の世を知らないでいる事の悲しさに、今朝清盛屋敷を忍び出て、こうして参りました

このように尼になって参りましたので、日頃の罪科をお許しください
一緒に念仏を唱えて、極楽浄土の同じ蓮の上に生まれましょう

許されないのなら、ここからどこへでもさ迷い、命のある限り念仏を唱えて極楽往生の本望を遂げようと思うのです」

■祇王は語る
「私は、私の身が不運なのだと思うべきですのに、あなたのことばかりが恨めしくて、極楽往生の本望を遂げそうになく、現世も来世も中途半端でやり損なった気持ちでいました。けれど、このように姿を変えて来られたので日頃の罪科は少しも残らず、恨みはありません

私が尼になったのを、全く例のない事だと人は言い、また私自身もそのように思っていましたが、世間を恨み、身の不幸を嘆いてのことだから尼になるのは当然でした

しかし、、あなたの出家に比べれば問題にもならないことでした。あなたは何の恨みも嘆きもなく、やっと17歳になる人が、このように現世を嫌い、浄土に生まれる事を願おうと深く思い詰めておられる事こそ、真の大道心と思われます

あなたは、私にとって嬉しい善知識ですね。さあ一緒に往生を願いましょう」

4人は同じ所に籠って、朝夕仏前に花・香を供え、一心に往生を願ったので、死期の遅い早いの差はあったが、4人の尼たちは皆往生の本望を遂げた
だから後白河法皇が建てられた長講堂の過去帳にも「祇王・祇女・仏・とじの尊霊」と、4人同じ所に書き入れられ、感慨深く尊い事であった







平家物語「祇王(21歳)・妹祇女(19歳)・母(45歳)一家で尼になり念仏三昧で暮らす」以外と若かった

2022-02-23 16:33:54 | 日記
祇王は妹に告げた
「こうしてこの世に生きているならば、また哀しい目を見る。今はただ身を投げたい」
妹も一緒に身を投げることに決めた

母は二人を諭す
「では、私も生きていても仕方がないから一緒に身を投げよう。。
しかしまだ死期もきていない親に身を投げさせることは五逆罪にあたるだろう。この世は仮の宿。恥をかいてもかかなくても、何ということはない。
ただ未来永久に浄土には往生できないで暗黒の世に転々とする事こそ、辛く情けない事だ
この世はともかく、あの世でさえ悪道へお前が赴かなければならない事は悲しいことだ」

祇王
「ならば自殺は思いとどまりました。都を出ます」
祇王は21歳で尼になり、妹の祇女も19歳で尼になり、母も45歳で尼になり
嵯峨の山里に粗末な庵を造って念仏を唱えて後世の幸福を願って暮らした

ある夕暮れ戸を叩く者があった。3人は魔物が来たと思った。魔物ならこちらが開けなくても押し破るのは簡単だ。いっそのこと開けて入れて殺されようと決めた「弥陀の本願を強く信じて、南無阿弥陀仏の名号を唱えて死のう。そうすればこの声を尋ねて、仏菩薩さまがお迎えにいらっしゃるから」と3人決め、戸を開けた

それは魔物ではなかった
魔と反対の仏、仏御前が現れた

平家物語「仏も昔は凡夫なり、我らも終には仏なり、いづれも仏性具せる身を、隔つるのみこそ哀しけれ」清盛が仏御前と祇王御前を分け隔てる哀しみを歌う

2022-02-23 15:59:00 | 日記
清盛邸を追い出された祇王は実家に戻った。そのうち毎月贈られてい米、銭も止められ、今度は仏御前の関係者たちが楽しみ栄える事になった。こうして年は暮れた

春、祇王の所に清盛の使者が来て告げた「仏御前があまりに寂しそうだから、こちらへ参って仏御前をなぐさめてほしい」と
祇王は清盛の屋敷には参らないつもりなので返事はしなかった

母は祇王を説得する

「この日本に住んでいる限りは、平清盛の命令を背いてはならない。
それに、男女の縁というものは、夫婦になって万年添い遂げようと契りを結ぶけど、間もなく別れる男女の仲もあり、ほんの仮りそめと思って夫婦になってもそのまま添い遂げて生涯を終わる事もある。まことに定めないものは男女の仲の常である。
それにお前はこの3年間清盛の寵愛を受けたのだから、世にもまれな清盛のお情けというものだ
清盛が召して参らないとなると、都の外へ追放されるだろう。お前たちは若いからどんな所でも暮らすのはたやすいだろう。老衰した私は慣れない田舎住まいを思うだけで悲しい
私をどうか都の中で一生住めるようにしておくれ。これが何よりの現世での親孝行だよ」

祇王は泣く泣く清盛邸に出掛けた
心中痛ましい事だった。一人で参るのはあまりに辛いから、妹の祇女も連れて行った
清盛邸に到着するが、以前の部屋には入れず、ずっと下手の部屋に席が置かれていた。席まで下げられた祇王は悲しく悔しく涙を流した

祇王の心中を知らない清盛は言う
「どうだ、その後どうしているか?、、では仏御前があまりにも寂しそうだから今様を一つ歌ってくれ」と言われた

祇王は今様を一つ歌った

「仏も昔は凡夫なり、我らも終には仏なり、いづれも仏性具せる身を
隔つるのみこそ、かなしけれ」

(なぜ仏御前と、私を分け隔てるのか、、まことに悲しい)

その場にたくさん居た平家一門たちは皆、感激の涙を流した