るるの日記

なんでも書きます

「一人一殺」日本のクーデター・暗殺時代を経て陸軍の政治的発言力増大した

2022-02-06 18:00:43 | 日記
■クーデター計画
1930年代、軍部の青年将校や民間の国家主義団体による「国家改造運動」活発化

彼らは「政党、財閥などの支配層が、私利私欲・営利党略にふけっているから打倒する」という計画
昭和6年3月
※陸軍秘密結社「桜会」の将校
※民間の国家主義活動家
※無産政党(社会主義政党)
たちが「政党内閣打倒、軍部政権樹立」のクーデター計画する
軍部政権首班・宇垣一成陸軍大臣の反対で中止(宇垣一成はのち、陸軍中堅層から排撃された)

■暗殺
★昭和7年(1932)
2月、前大蔵・大臣井上準之助
3月、三井合名理事長・団琢磨
が、あいついで「血盟団員」によって暗殺された

★血盟団
指導者・井上日召
「一人一殺」を唱えたテロ集団
多くの政府首脳、政党幹部、財界指導者が狙われていた

★5月、515事件
海軍青年将校一団が犬養毅を射殺
牧野内務大臣邸
警視庁
立憲政友会本部
日本銀行
東京近郊の変電所
などを襲った

■政党内閣終了
海軍・斎藤実が首相となる
挙国一致内閣発足
政党勢力は弱くなり、軍部、革新勢力の発言力が増大した



太平洋戦争直前の新聞報道は、まるで現在の北朝鮮だ「東京朝日・大阪朝日・東京日日・大阪毎日」

2022-02-06 17:56:18 | 日記
1930年代はじめ
東京朝日、大阪朝日、東京日日、大阪毎日の4大新聞はいずれも発行部数が1日100~150万部に達し、国内世論の形成に大きな影響力をもっていた

満州事変が起こると、これらの新聞は一斉に「明らかに支那側の計画的行動」と断定的に報道して中国側を非難し
「日本軍の強くて正しいことを徹底的に知らしめよ」といった類いの日本軍の行動を熱狂的に賛美するキャンペーンを展開した

現地から送られてくる写真をのせた号外発行や、ニュース映画の上映などにより、満州各地を次々に占領する日本軍の様子が伝えられると、国民の興奮はいっそう高まった

若槻内閣は「事変不拡大」を内外に声明し、いかに日本軍の行動をおさえるか苦慮したが、多くの新聞は
「国民の要求するところは、ただわが政府が強硬をもって時局の解決に当たる以外ない。われらは重ねて政府のあくまで強硬ならんことを切望するものである」
といった調子の強硬方針を主張した

昭和7年、国際連盟のリットン報告書が公表されると、新聞はいずれも満州国を認めないような提案は断じて受け入れられないとして、国際連盟脱退の気運を盛り上げた

このような新聞などジャーナリズムの活動を通じて、政府の「事変不拡大」「協調外交」路線は世論の支持を失い、日本は戦争への道を進むことになったのである

日本軍による厳しい報復【日本軍は鬼と化した】

2022-02-06 17:29:44 | 日記
■満州国とは

★満州国は東3省と熱河省・興安省の5省からなり、新京を首都とした

★日本政府は多数の移民を日本から送り込んだ【満州移民】。敗戦までの満州移民総数27万人
朝鮮総督府により朝鮮人の移民も送られた
【昭和20年8月、ソ連が対日参戦して満州国は大混乱に陥り、避難の途中、ソ連軍の攻撃・飢餓・病気などで多くの開拓民が死亡した。親を失って取り残された孤児なと多くの中国残留孤児が出たのは、こうした事情による】

★昭和9年3月・帝政を実施
溥儀は皇帝になったが、満州は事実上日本の傀儡国であった

★中国側の抗日ゲリラ活動に対しては、平頂山事件のような厳しい報復が実行された
【平頂山事件】
昭和7年9月、日本の経営する炭鉱が抗日ゲリラに襲撃され、大きな損害を受けた。関東軍はその報復として、ゲリラに通じたとみなして平頂山の中国住民を集め、その大部分を殺害した。中国側は国際連盟に犠牲者の数は700余名と報告している。なお敗戦後、中国の裁判で日本の炭鉱関係者7名が住民殺害に関与したとして銃殺刑に処せられた

「さよなら国際連盟」昭和8年3月12日★日本の国際連盟脱退「ワガママすぎる日本」

2022-02-06 17:03:37 | 日記
中国は満州事変勃発直接「これは日本の侵略行為である」と、国際連盟に提訴した

列国は満州事変をごく局所的なものと見て楽観視していたが、日本政府の「事変不拡大の約束」が実行されず、日本の行動は条約に違反するとして、日本に対する不信感を高めた

日本軍が錦州を占領すると、アメリカは「条約違反して作られた既成事実は認めない」とする不承認宣言を発して日本を非難した

国際連盟は満州問題調査のため調査団を派遣。昭和7年10月調査団は報告書を発表
「満州国は自発的な民族独立運動の結果、成立したものとする日本の主張は否定し、満州に対する中国の主権を認める
同時に日本の権益も保障する
満州に中国主権の自治政府をつくり治安を守るため憲兵隊を置いて、それ以外の軍隊は撤廃する」

という解決案を提示した

日本政府は軍隊の作り上げた既成事実を認め、報告書発表直前に、日満議定書を取り交わして、いち早く満州独立を承認した
昭和8年2月さらに日本軍は熱河省にも軍事行動を拡大し
国際連盟を著しく刺激した

国際連盟臨時総会では、
「満州に対する中国の主権を確認し
満州における中国自治政府の樹立と
日本軍の撤退勧告」
の決議案が42対1(反対は日本だけ)で可決された
全権大使松岡洋右は直ちに退場
3月12日、日本は国際連盟脱退を通告した
こうして日本は、アメリカなどの列国の反発のなかで国際的に孤立していった

満州事変の計画中心者は石原莞爾中佐→将来の日本とアメリカの最終戦を予測しての満州占領計画

2022-02-06 16:27:39 | 日記
■中国の中国全土統一の動き

中国では国民政府のもと、中国全土統一が進んだ。
★昭和3年12月満州でも張学良政権が中国国民党の旗を掲げ、国民政府に忠誠を誓う

国民政府は、これまで列強諸国に与えていた様々な権益回収をめざした

満州など中国各地では日本商品ボイコット(日貨排斥運動)が高まり、中国側により満州鉄道に平行する鉄道が敷かれ、満州鉄道は赤字になるなど日本の経済活動は打撃を受けた

■日本陸軍危機感高める

満州は日露戦争以来の、日本の権益地帯である。対ソ戦略拠点であり、重工業の重要資源供給地であり、日本の生命線であるので
陸軍の間には危機感が高まった

日本陸軍内部では【軍事力を発動して、満州を中国主権から切り離し、日本の支配下に置こう】とする気運が高まった

■満州事変
昭和6年9月18日夜半、奉天郊外の柳条湖で、満州線路爆破事件が起きる。関東軍はこれを中国側(張学良軍)の仕業だと発表して直ちに軍事行動を起こし、南満州をの主要都市を占領

【実際は武力行使の口実をつくるため、板垣征四郎大佐・石原莞爾中佐らの関東軍参謀の一部が秘かに計画し、関東軍現地部隊に実行させた

計画立案の中心者は石原莞爾。彼は将来、日本がアメリカと世界最終戦を戦うものと予測し、かねてからそれに備えて満州を日本が占領することを計画していた】

■日本政府【不拡大方針】だが、世論は関東軍支持

若槻内閣は【不拡大方針】を声明したが、関東軍はこれを無視して次々と軍事行動を拡大。満州各地を占領した
若槻内閣はこれを押さえることができず、世論もまた関東軍を支持した
若槻内閣は退陣
(立憲政友会総裁)犬養毅が新内閣を組織した

■関東軍は満蒙に新政権を樹立して、中国政府から切離し、日本の国をつくろうとする計画を進めた

政府はそれが「中国の主権・独立の尊重を取り決めた9ヶ国条約の違反となり、日本が例国の非難にさらされる」として、この計画に強く反対した

もちろん関東軍は政府の反対を無視して計画を実行。昭和7年2月までに東三省の要地を占領すると、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)を執政(政務をとる役割)に据えて、満州国の建国を宣言させ、事実上の支配権を握った

■軍部圧力と世論に負け、政府も満州国承認

犬養毅内閣は515事件に倒れ
斎藤実内閣が成立すると、軍部の圧力と世論の突き上げにあって、政府も満州国承認に傾いた

昭和7年、上海で排日運動が起き、上海事変が起きたが、列国の強い抗議によって停戦した