1930年代後半、ドイツの対外膨張政策は一段と活発化した
■ドイツの誘い「フランス・イギリスも敵ですよ、日本さん」
1938年、イギリス・フランスとの対立を深めつつあったドイツは【日本・ドイツ・イタリア防共協定】を、イギリス・フランスなども敵対象とする軍事同盟に発展させようと、日本に働きかけた
その頃日本は日中戦争中に、ソ連と武力衝突を起こして、日本軍がソ連軍に敗北したことにより、陸軍は衝撃を受けていたので、陸軍はドイツ・イタリアとの軍事同盟に積極的姿勢を示した
海軍や外務省は、アメリカ・イギリスなどとの戦争をもたらすものとして、これに反対した【正解⭕️】
■日本の敵ソ連と東欧分割条約を結ぶドイツ
1939年8月ドイツが突然ソ連と条約を結び、ポーランドなど
東欧におけるドイツ・ソ連両国の勢力圏を密かに協定し、東欧の分割を取り決めていた
■第二次世界大戦
ドイツは9月1日ポーランドに侵入開始
ポーランドと条約を結んでいたイギリス・フランスは、2日後、ドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦がはじまった
ソ連も半月のちに、東方からポーランドに侵攻。ドイツ・ソ連でポーランドを分割した
さらに1939年末から翌年にかけ、ソ連はフィンランドの一部を占領
バルト3国を併合した
■日本はドイツの強さに惚れ
アメリカとの対立は決定的となる
★阿部内閣は【大戦不加入】声明
★米内内閣【大戦不加入】とり続け、アメリカ・イギリスとの関係改善を意図した
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昭和15年(1940)
4月
ドイツ軍がヨーロッパ西部戦線にてイギリス・フランス連合を撃破
華々しい勝利を収めた
6月
イタリアがドイツ側にたち参戦
ドイツ軍はバリ占領
フランスはドイツに降伏
↓
日本ではドイツ勝利を礼讃する声が高まり、陸軍を中心に
【アメリカ・イギリスとの戦争を覚悟し、ドイツと軍事同盟を結んで南方に進出し、南方を日本勢力に取り入れよう】とする主張が高まった
↓
7月、米内内閣は陸軍の圧力で倒れ
第2次近衛内閣成立
外務大臣・松岡洋右
陸軍大臣・東条英機
を起用
これまでの【大戦不加入大転換】
ドイツ・イタリアとの提携強化
【南方諸地域進出方針】を打ち出した
大東亜共栄圏の確立をめざし、
★オランダ領東インドと物質獲得の交渉を進め
★アメリカなどの中国援助ルートの遮断
★南方進出の足掛かりをつくるため、ドイツ支配下のフランスと交渉し、フランス領インドシナでの飛行場の使用や軍隊の派遣を認めさせた
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これでアメリカとの対立は決定的
連合国側は着々と対日経済封鎖を強めていった
9月、日本・ドイツ・イタリア三国同盟を結び枢軸国強化をはかった
(アメリカに対応するための軍事同盟)