るるの日記

なんでも書きます

日本も一国一党政治組織を作ろうと【大政翼賛会】発足したが、いろんな思惑を持った寄せ集め団体だった「何故天皇陛下による一国一党を思いつかないの?」

2022-02-07 18:43:29 | 日記
1930年代後半、軍部の政治的発言力は強まり、政党の発言力は弱まり、政党内からは軍部と協力して力を取り戻そうという動きも起こる

ドイツ軍の軍事的優勢が展開されると、それは日本国体制改革に大きな影響を及ぼした
昭和15年6月、既成政党にかわって、近衛文麿を推し立て一国一党の強力な組織を作り上げようとする新体制運動が活発化した。陸軍も新体制運動を支援し、近衛内閣実現を策し、米内内閣を退陣に追い込んだ
既成政党や諸団体は次々と解散

10月、ナチスのような一国一党政治をめざして、総理大臣・近衛文麿を総裁にした大政翼賛会が発足
しかし、意図したような一国一党政治組織にはならず、いろいろな思惑を持った勢力を寄せ集めた団体としての性格が強く、強力な政治指導を発揮にするには至らなかった




ドイツの強さに日本は惚れた「アメリカと戦争してでもドイツが好き」

2022-02-07 18:15:43 | 日記
1930年代後半、ドイツの対外膨張政策は一段と活発化した

■ドイツの誘い「フランス・イギリスも敵ですよ、日本さん」

1938年、イギリス・フランスとの対立を深めつつあったドイツは【日本・ドイツ・イタリア防共協定】を、イギリス・フランスなども敵対象とする軍事同盟に発展させようと、日本に働きかけた

その頃日本は日中戦争中に、ソ連と武力衝突を起こして、日本軍がソ連軍に敗北したことにより、陸軍は衝撃を受けていたので、陸軍はドイツ・イタリアとの軍事同盟に積極的姿勢を示した

海軍や外務省は、アメリカ・イギリスなどとの戦争をもたらすものとして、これに反対した【正解⭕️】

■日本の敵ソ連と東欧分割条約を結ぶドイツ

1939年8月ドイツが突然ソ連と条約を結び、ポーランドなど
東欧におけるドイツ・ソ連両国の勢力圏を密かに協定し、東欧の分割を取り決めていた

■第二次世界大戦
ドイツは9月1日ポーランドに侵入開始
ポーランドと条約を結んでいたイギリス・フランスは、2日後、ドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦がはじまった

ソ連も半月のちに、東方からポーランドに侵攻。ドイツ・ソ連でポーランドを分割した
さらに1939年末から翌年にかけ、ソ連はフィンランドの一部を占領
バルト3国を併合した

■日本はドイツの強さに惚れ
アメリカとの対立は決定的となる

★阿部内閣は【大戦不加入】声明
★米内内閣【大戦不加入】とり続け、アメリカ・イギリスとの関係改善を意図した
昭和15年(1940)
4月
ドイツ軍がヨーロッパ西部戦線にてイギリス・フランス連合を撃破
華々しい勝利を収めた
6月
イタリアがドイツ側にたち参戦
ドイツ軍はバリ占領
フランスはドイツに降伏
日本ではドイツ勝利を礼讃する声が高まり、陸軍を中心に
【アメリカ・イギリスとの戦争を覚悟し、ドイツと軍事同盟を結んで南方に進出し、南方を日本勢力に取り入れよう】とする主張が高まった
7月、米内内閣は陸軍の圧力で倒れ
第2次近衛内閣成立
外務大臣・松岡洋右
陸軍大臣・東条英機
を起用
これまでの【大戦不加入大転換】
ドイツ・イタリアとの提携強化
【南方諸地域進出方針】を打ち出した

大東亜共栄圏の確立をめざし、
★オランダ領東インドと物質獲得の交渉を進め
★アメリカなどの中国援助ルートの遮断
★南方進出の足掛かりをつくるため、ドイツ支配下のフランスと交渉し、フランス領インドシナでの飛行場の使用や軍隊の派遣を認めさせた
これでアメリカとの対立は決定的
連合国側は着々と対日経済封鎖を強めていった

9月、日本・ドイツ・イタリア三国同盟を結び枢軸国強化をはかった
(アメリカに対応するための軍事同盟)






天皇が統治権を持つ日本国体思想への洗脳

2022-02-07 15:56:01 | 日記
■共産主義思想・自由主義思想の取締り

1920年代はマルクス主義が流行した
1930年代は政府の激しい取締りと、
国家主義気運が高まり、マルクス主義は衰え「日本の伝統文化・思想の回帰」が叫ばれるようになった
この傾向はいっそう濃厚になり、共産主義思想・自由主義思想や、そうした言論活動に対する政府の取締りも一段と強化された

■国民の洗脳
昭和12年、文部省が【国体本義】を発行
教学局を設置して【臣民の道】を発行
するなど国民思想の教化をはかった

■天皇の神格化
この頃から政府・軍部は国体論を強く表面に押し出して
【天皇の神格化】につとめた

■軍国主義・国家主義の鼓吹
政府・軍部は
国民精神総動員運動を起こして
国体観念を国民への浸透させるため
軍国主義・国家主義の鼓吹に力をそそいだ

■検閲強化
昭和15年【内閣情報局】が設置され、報道機関・出版物・映画・演劇などに対する検閲強化された

■皇国民を育成する小学校
教育面では、小学校が【国民学校】と改められ、皇国民の育成を目的とする国家主義的教育が行われた

■朝鮮・台湾での皇民家政策
日本の植民地であった朝鮮・台湾では日本語教育と、その使用が強化されるなど皇民家政策が進められた
朝鮮では姓名を日本風に改められ、神社参拝が強制された


アメリカの日本への経済制裁は当たり前なのに、日本政府は経済制裁されるまで気づかなかった

2022-02-07 15:22:14 | 日記
政府は大きな権限にて戦時体制形成を進めた

★物資の軍需品優先確保
★軍需産業に輸入物資や資金が集中的に割り当て
★労働者の賃金統制
★株主への配当統制
★会社の資金調達統制
★徴用により国民の軍需産業動員

軍需物資の確保はアメリカ、イギリスなど、その勢力圏からの輸入に頼らねばならないことが多かった

アメリカは日本の「東亜新秩序の形成」を、アメリカの東アジア政策への挑戦とみなして、中国への援助を強化するとともに、日本に対する経済制裁の姿勢を示し
昭和14年7月、日米通商航海条約廃棄を通告してきた(昭和15年1月発行)
なので

日本は政府の統制が厳しくなった
★中小企業の強制的な整理・統合
★生糸配給切符制
★綿製品の製造制限
★不要不急の贅沢品製造・販売禁止
★ガソリン切符制
★砂糖・マッチの切符制
★衣料の切符制
★米の配給制
★農民の米の供出制(政府が米を買う)

国家総動員体制は→いちいち議会の議決を経ることなく勅令によって経済と国民を統制する

2022-02-07 14:50:08 | 日記
■経済の国家統制

中国との全面戦争勃発以前から
軍事支出を中心に、国家財政は悪化。政府は経済の国家統制にのり出し、
「不要不急の物資の輸入停止」

「重要物資の軍事産業への優先投入」
「軍需産業への資金の優先的投入」

を定めた法律を交付

■国家総動員体制をつくるための調査

日中戦争が長期化すると、総力戦に対応できる【国家総動員体制】をつくりあげることが急務になった
昭和10年、総合的な国策を調査する機関として内閣調査局が設置
昭和12年、資源局と合併して企画院となった
現役軍人、官僚、学者たちが調査官となり、総力戦に備え、ソ連やナチスドイツの経済などを調査して、統制・計画経済などの研究にあたった
昭和13年4月
企画院中心に立案が進められていた国家総動員法公布

■国家総動員体制とは
戦時においての国防目的達成のため
経済と国民生活のいろいろな分野にわたって、政府はいちいち議会の議決を経ることなく勅令(天皇命令)によって統制を加えることができるようになった
また政府の企業への介入が強められた