珠洲岬は北の海道の東西交通の要点であり、海外から寄る船、潮の流れに流され漂着した船のなかには厳しい海外政治を負った者もあり、人々を緊張させた
859年正月、渤海から鳥孝慎一行104人を乗せた船が漂着した(能登へ漂着は841年、849年3回目。日本国には35回使節が来る)。この一行を10日間珠洲に滞在させた。住民は接待のために臨時貢納をした(火・肉・酒・ニンニク)
2月加賀へ移り住む。手取川から帰航した
渤海からは宣明暦が献上され、861年この宣明暦に改暦され1684年まで使われた
日本から渤海へは13回船を出し正式な船発着は能登福浦。周辺の大木は渤海船修理のため切り倒し禁止