るるの日記

なんでも書きます

平家物語・流刑されたのに最後は殺された哀れな大納言成親

2022-02-25 17:24:24 | 日記
大納言成親流刑の日

朝食は胸が一杯で箸さえ取らず
流刑の迎えの車に乗る
車の前後左右には兵が囲む
成親の方の伴は誰一人いない

八条から西へ
朱雀大路を南へ
大内裏を見ると、長年成親にお仕えした雑色、牛飼いに至るまで、涙を流し見送る
鳥羽殿
自分の山荘が遠くに見える
鳥羽殿の南門で船を待つ
付き添っている武士に成親は頼む「もしかして、この辺りに自分が召し使っていた者がいるかもしれない。船にのる前に言い残す事がある。さがしてほしい」と頼んだが、、誰もいなかった

「私が世に時めいていた時は、召し使っていた者は1千人もあったのに、今、罪人となった私の様子を見送ってくれる者がいない悲しさよ」と泣いた。身に付き添うものは、ただ尽きぬ涙だけである

屋形を据えたみすぼらしい船に、大幕をめぐらし、海路を出た

摂津国・大物の浦に着く

6月3日
「大物の浦から備前国の児島へ流すべし」との知らせが来た

6月4日
夜が明けると船を出した
都はどんどん遠ざかり、日数はだんだん積もると備前国は近づいてきた。備前の児島に船をつけて、粗末な庵に入った
後ろは山、前は海、磯の松風の音、波の音、どれも哀れさを催す種であった

しばらくして預りの武士・難波次郎経遠が成親を、庭瀬郷・有木の別所という山寺にいれた

出家を望み、後白河法皇から許され、すぐ出家し僧侶の黒染の衣に身を包んだ

8月19日、成親は庭瀬の郷
吉備の中山という所でとうとう命を失った。誰かが成親に酒に毒を入れ勧めたが、成親は飲まず。崖の上から突き落とされ、ひしに貫かれ亡くなった




平家物語・国に諌める臣がいれば、その国は必ず安穏。家に諌める子がいれば、その家は必ず整う

2022-02-25 16:01:39 | 日記
清盛嫡男・重盛は自邸小松殿から「私を大切に思い忠義を尽くそうと思う者は、皆武装して急いで駆けつけよ」と触れを出した

いい加減な事で騒がない人が、このような触れを出したので、皆武装して駆けつけた。清盛の兵も数千騎連れだって馬を走らせた

清盛はたいそう驚き、重盛と仲違いしてはよくないと思い、後白河法皇を監禁するということも思いとどまり、袈裟をひっかけてたいして仏心もおこらぬのに、数珠を持ち念仏を唱えはじめた

重盛に馳せ参じた軍勢は一万余騎
重盛は自分に軍勢がどれだけつくかという程度を知り、こうしたら父の謀反の心も揺らぐという計略だった
重盛は軍勢たちに「思いがけない事を聞いて召したのだが、間違いであった。帰れ」と言って、皆帰された

君主が君主にふさわしくないといっても、臣は臣として仕えなくてはならない。父が父らしくなくても、子は子として仕えなければならない
君のためには忠があり
父のためには孝がある
孔子が言われた通りである
また
国に諌める臣がいれば
その国は必ず安穏であり
家に諌める子がいれば
その家は必ず整っている

平重盛は上古にも末代もめったにない人物である


平家物語「法皇につくか、父清盛につくか、重盛進退窮まり『重盛の首をお取り下さい』を選ぶ」

2022-02-25 15:30:04 | 日記
重盛は父清盛に言う
「私は後白河法皇をお守りするつもりです。法皇への御恩は重く深いのです。だがしかし、法皇への忠を励もうとすると、父の恩をたちまち忘れる事になる。それは苦しく辛いこと、、
親不孝の罪を免れようとすれば、法皇には不忠の逆臣になってしまう、、

私は進退これ窮まり、是非の判断がつかない、、

お願いする結局のところは、、
ただ重盛の首をお取り下さい

清盛は最も頼りしていた重盛にこのように言われて
「いやいや、それは思いも寄らぬこと。悪党どもの申す事に法皇がおつきになって間違いが起こるかも知れないと心配しているだけだ」

重盛
「たとえ間違いが起こりましょうと、法皇に尽くすべきです」
と言い、侍どもには
「父上が後白河院に参るお供をするのなら、重盛の首が斬られるのを見てお伴いたせ」と言って小松殿へ帰られた

平家物語・後白河法皇を監禁しようとする清盛、懸命に説得する嫡男重盛

2022-02-25 14:58:16 | 日記
清盛は言う

「この平家一門を滅ぼそうという後白河法皇の計画は無念の次第だ。今後、平家追討の院宣をきっと下すだろう。朝敵となっては平家も終わりだ
世の中が鎮まる間、後白河法皇を鳥羽の北殿か、この西八条へ移そうと思う。そうなると後白河法皇を守る武士が矢を射るだろう。侍たちにその用意をしろと触れを回せ。馬に鞍を置き鎧の準備をせよ」

これを聞きつけた清盛嫡男重盛は、父清盛の元へ駆けつけ、はらはらと泣かれ父清盛を説得した

「御運はもはや末になったと思われます。人の運命が傾きかける時には、必ず悪事を思い立つものです。父上の様子は全く正気とも思われません

わが国は天照大神の子孫が国の主として統治し、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子孫の藤原氏が朝廷政治を司どられて以来、太政大臣の官職に上がった人が甲冑で武装する事は、礼儀に背きます

とりわけ父上は出家の身。法衣を脱ぎ捨て甲冑をつけ、弓矢を持たれることは、仏教の方でももはや戒律を破っています

儒教の方でも仁義礼智信の法に背きます

父上は先祖にまだ聞かない太政大臣という最高の官職になり、私のような無才愚闇の身で大臣の位にまで上り、日本全国の半分以上の国・郡は平家一門の領地になりました。これは世にもまれな朝恩であります
この大きな御恩を忘れて、後白河法皇の滅亡をはかられる事は、天照大神の御子心に背く事になります
日本は神国です。神は非礼をお受けになりません

聖徳太子十七条憲法に
「人には心がある。心にはそれぞれ固執するところがある。よしあしの道理を、誰がよく定められようか。相互に賢であり愚であって、一つの輪のようにつながっていて端がない。ゆえに人が怒っても、かえって自分に過失がないか反省し慎め」とあります
法皇の謀反計画はすでに明らかになりました。法皇の相談相手の成親も逮捕したので、たとえ法皇がどんなとんでもない事を思い立たれても、何の恐れがありましょうか

法皇のためにいよいよ忠勤を尽くし民のためにますます哀れみ慈しむようになさったら神の加護を受け、仏の思召しに背くはずはありません。神仏がこれを受けてくださったなら、法皇も思い直される事がどうしてないでしょう。君には従うべきです」


平家物語・小松殿・父清盛の説得成功「平家の栄華は今だけではなく、子孫まで繁盛することが望ましいのです」

2022-02-25 13:38:17 | 日記
重盛が父・清盛に言った
あの成親を殺す事はよくよくお考えください。都の外へ出したらそれで十分でしょう。「刑の疑わしいのは軽くせよ。功の疑わしいのは重んぜよ」と古典に見えています

重盛は成親の妹が妻、息子の維盛はまた成親の娘が妻。このように親しいから申すのではありません。世のため、天皇のため、家のための事を思って申すのです

「死罪を行うと国内に謀反の者が絶えない」と言い伝えております。保元時代に、信西は天皇25代の間行われなかった死罪を復活させ、その2年後に平治の乱で信西が土に埋まって隠れていたのを掘り出され首をはねられました。保元の時に言い出し行った死罪が、その身の上に巡ってきたのです

今度の成親はたいした朝敵でもありません。いずれにしても死罪は畏れ慎むべきです。現在の栄華は十分でしょうが、子孫まで繁盛することこそ望ましいのです。父祖の善悪は必ず必ず子孫に及ぶと見えております。『積善の家に余慶(先祖の善業の報い)あり、積悪の門に余殃(先祖の悪業による災難)とどまる』と聞いています。何にしても死罪はよくありません」

清盛は最もだと思い、成親を死罪にすることは思いとどまった