比叡山山門の呪詛により病に伏せられた関白・藤原師通。その母は、嘆いて身分卑しい下臈の姿をして、日吉神社に参籠。七日間お祈りをなさった
■表向きの祈り
★百番の田楽
★百番の競馬
★百番の流鏑馬
★百番の相撲
★百座の仁王講
★百座の薬師講
★百体の36センチの薬師像建立供養
★一体の等身の薬師像建立供養
★一体の釈迦像建立供養
★一体の阿弥陀像建立供養
■心中の3つの立願
心中のことで他人が察することができないことだが、八王子権現の社に大勢いた参詣人の中に、奥州からはるばる来ていた童巫女がにわかに気絶したので、祈ったところ間もなく蘇生し、立ち上がって舞い出した。巫女は半時程舞った後、山王が巫女に乗り移られて、さまざまな御託宣があった
「人間ども、よく聞け。関白母が今日で七日間わが御前に籠った。立てられた願は三つある
一つ、関白の命を助けて下さい。そうしたら千日の間、いろいろのかたわ者に混じって朝夕、山王に奉仕する
二つ、大宮の前の橋から、八王子権現の社まで回廊を造って寄付しようということである
三つ、関白の命をお助けくださるなら、八王子権現の社で、法華問答講を毎日続けて行わせるという
初めの二つは、なくてもいいが、毎日の法華問答講はぜひやってもらいたいものだ
ただ、、今度の訴訟で神人・宮仕が射殺され、傷を受け、人々が泣く泣く参って私に訴えることがあまりにも悲しくて忘れない。余りにも悲しいので、どんなに関白母が祈願しても、最後まで命を助けることはできない、、しかし法華問答講を必ずやるならば、三年命を延ばしてあげよう、、それが不足ならば仕方がない」と言って山王は乗り移った巫女から御上りになった
関白母は、三年命を延ばして下さいましてありがとうございますと言って泣く泣く都へ帰り、関白の領地・紀伊国の田中荘を八王子権現の社に寄進され、法華問答講を行い、現在に至るまで毎日怠らず続けている
三年の月日が過ぎ関白は6月27日
38歳で亡くなられた。罪を犯した者に咎めはある。山王権現が衆生を利益する方便としてなさることである