るるの日記

なんでも書きます

平家物語・清盛は謀反人、長谷部信連を斬首せず流刑に処す

2022-02-27 15:52:50 | 日記
清盛は御簾の中にいた
宗盛は長谷部信連を大庭に据え
「本当にお前は『宣旨が何だ』と言って斬ったのか?多くの役人を傷つけ殺害したそうだな。こいつをよく問いただして、事情を尋問し、その後河原に引き出して、首をはねなさい」と言われた

長谷部信連が嘲笑って申す
「あの夜は鎧をつけた者どもが討入りしました。『何者だ』と問いますと、『宣旨の使い』と名乗りました

山賊、海賊、盗賊などと申すやつらは、『天皇の使い』とか『宣旨の使い』などと名乗ると聞いていましたので、『宣旨が何だ』と言って斬ったのです

また以仁王の居場所は存じません。例え存じ上げておりましても、侍という身分の者が申すまいと決心した事を、糾問されたからといって申しましょうか」と言って、その後は何も言わなかった

大勢並んでいた平氏の侍たちは
「すばらしい剛の者だ。惜しい男をお斬りになるのは痛ましいことだ」と互いに話しあっていた

ある者は「あの男は先年、後白河院の武者所にいた時も、強盗6人をただ1人で追っかけて、4人を斬り、2人を生け捕りにして、その時の功により左兵衛尉になられたのだ。この男こそ一人当千の兵(一人で千人の敵に勝てる勇気や力ある兵)というべきだ」
と口々にみな惜しんだ

清盛は、どう思われたのか
長谷部信連を伯耆の日野へ流された

源氏の世になって、長谷部信連は関東へ下り梶原景時を通して、事の起こりから順々に申したので、鎌倉殿は殊勝だと感心し、能登国に領地を頂いた




平家物語・以仁王の侍の長谷部信連「宣旨が何だ!」と言って役人を斬る、斬る、斬る

2022-02-27 14:29:37 | 日記
以仁王を連れに、三百余騎が15日夜に以仁王御所に押し寄せた
出羽判官光長が大声で申す
「御謀反の噂がありますために、官人どもが長官の命令を承り、お迎えに参りました」

長谷部信連
「以仁王さまは御所にはいません。御参詣です。何事です?」

光長
「下人ども、捜せ」

長谷部信連
「『下人ども、捜せ』となぜ申すのだ?ここに長谷部信連がおる。近くに寄るとケガをするぞ」と言い
自分の狩衣を引き千切って捨て
刀身を抜き、さんざんに斬りまくった

役人は「どうして宣旨の使いを、こんなにひどい目にあわせるのだ!」
と言ったところ長谷部信連は
「宣旨がなんだ!」と言って
敵を追っかけ斬り
隅に追い詰め斬る
太刀が歪むと手で押し直し、足で踏み直して、強い者どもを15人斬り伏せ、門から走り出そうとしたところ、大長刀を持った男に股をつかれ、生け捕りにされてしまった

役人はその後、御所を捜したが以仁王はおらず、長谷部信連だけを縛って六波羅へ連れて参った




平家物語・以仁王はこれからの事は何も考えていなかった(゚д゚)

2022-02-27 14:02:30 | 日記
熊野別当湛増が飛脚で以仁王の謀反を都に申してきた。清盛はその時福原にいたが、これを聞くやいなや、すぐさま都へ馳せ上り「以仁王をからめとって、土佐の畑へ流せい!」と言われた

以仁王は月を眺めていた。これからどんな事が起こるかは何も考えていなかった。そんな時、一人の武士が手紙を持って慌ててやって来た。手紙には
「以仁王さまの謀反が露見し、役人が迎えに来るので、急いで三井寺に入ってください。頼政もすぐ参ります」との内容だった

以仁王は「これはどうしたことだ!」とあわてふためいていると
以仁王の侍・長谷部信連は「特に方法はありません。女房装束でおいでください」と申したので、以仁王は女房装束に身をつつみ、三井寺に向かった

信連は御所の留守番として残ったが、以仁王の部屋を見ると、大事にされていた小枝という笛を見つけたので、追いかけて追いかけて、そのうち追いついて、笛を差し上げた

以仁王はひどく感動して言った
「自分が死んだら、この笛を棺に入れてくれ。そして、すぐそのまま私のお供に参れ」

信連
「今、御所へ役人どもが迎えに参りますが、その際御所に一人も人がいないというのが全く情けないこと。私、信連も逃げたと言われるのは武士の身にとっては、恥でございます。役人どもを打ち破ってから、すぐに参ります」と行って走り帰った



平家物語・以仁王「平家追討」の令旨を下し、行家が触れ回り、源頼朝にも令旨が届く

2022-02-27 13:26:17 | 日記
治承4年4月22日
新帝の御即位が行われ、華やかでめでたい事がいろいろあったが、世間は平静ではなかった

後白河法皇の第二皇子以仁王という人は、母は加賀大納言季成の娘
三条高倉にいたので高倉の宮と申した
建春門院の妬みのため、押し込められてしまい位にはつくことができなかったが、詩歌を書き、笛を吹き、日夜を過ごしていた
今年30歳

源頼政が以仁王の御所に参って申した
「以仁王さまは神武天皇から数えて第78代に当たります。皇位に就くべきですのに宮であることを残念だと思いませんか

現代の様子を見ますと、うわべでは従っているようですが、内々は平家を憎まない者はありません

謀反を起こして平家を滅ぼし、あなたも皇位に就くべきです。これが孝行です

謀反を決められて、令旨を下されましたら、喜んで馳せ参ずる源氏どもは多くおります」

以仁王は謀反の計画を立て始めた
熊野にいる十郎義盛を呼んで蔵人にし、彼は行家と改名し令旨の使いに東国へ下った

4月28日
都を立ち、近江国、美濃、尾張の源氏に次々と触れを出す

5月10日
伊豆の北条に到着
流人の前兵衛佐殿(さきのひょうえのすけ・源頼朝)に令旨を差し上げた

熊野別当湛増は、平家に深く心を寄せる者だが、源氏が平家謀反を起こすことを知り、源氏の味方をするであろう那智新宮に矢を射ようと、武装した兵1千人を引き連れ出発し、那智軍勢2千人余と3日間戦った。熊野別当湛増は家の郎党を多く討たれ、自分も負傷し逃げ帰った




平家物語・高倉上皇の秘密の願い「平家滅亡」を平家の崇敬する厳島大明神に祈願する

2022-02-27 12:27:52 | 日記
治承4年3月
20歳の高倉上皇は心に深い御願いを立てられ、平家が崇敬する厳島明神に参詣することを決めた。表面では平家に心を合わせているように見せ、内心では、清盛の怒りを和らげるための祈願=平家滅亡祈願である

19日、高倉上皇、厳島参詣へ出発の日、途中、鳥羽殿の後白河法皇にお目にかかる事の許しを得た

高倉上皇は夜が明けぬうちに鳥羽殿へ入った
もの寂しそうな住まいで哀れに思う
法住寺殿での華やかな暮らしの事は夢のようだった

後白河法皇と高倉上皇の御座所が設けてあり、二人の問答は誰も伺うことはできない

日が高くなってから高倉上皇はおいとまし、鳥羽の草津から船に乗る。伊勢、八幡、賀茂をさしおいて、はるばると安芸国、厳島までの参詣を、厳島明神は必ずお受けになるだろう