清盛は御簾の中にいた
宗盛は長谷部信連を大庭に据え
「本当にお前は『宣旨が何だ』と言って斬ったのか?多くの役人を傷つけ殺害したそうだな。こいつをよく問いただして、事情を尋問し、その後河原に引き出して、首をはねなさい」と言われた
長谷部信連が嘲笑って申す
「あの夜は鎧をつけた者どもが討入りしました。『何者だ』と問いますと、『宣旨の使い』と名乗りました
山賊、海賊、盗賊などと申すやつらは、『天皇の使い』とか『宣旨の使い』などと名乗ると聞いていましたので、『宣旨が何だ』と言って斬ったのです
また以仁王の居場所は存じません。例え存じ上げておりましても、侍という身分の者が申すまいと決心した事を、糾問されたからといって申しましょうか」と言って、その後は何も言わなかった
大勢並んでいた平氏の侍たちは
「すばらしい剛の者だ。惜しい男をお斬りになるのは痛ましいことだ」と互いに話しあっていた
ある者は「あの男は先年、後白河院の武者所にいた時も、強盗6人をただ1人で追っかけて、4人を斬り、2人を生け捕りにして、その時の功により左兵衛尉になられたのだ。この男こそ一人当千の兵(一人で千人の敵に勝てる勇気や力ある兵)というべきだ」
と口々にみな惜しんだ
清盛は、どう思われたのか
長谷部信連を伯耆の日野へ流された
源氏の世になって、長谷部信連は関東へ下り梶原景時を通して、事の起こりから順々に申したので、鎌倉殿は殊勝だと感心し、能登国に領地を頂いた