るるの日記

なんでも書きます

軍部が政府の統制を離れて勝手に行動をとるようになった理由→統帥権の過大解釈

2022-02-06 15:21:28 | 日記
■海軍VS政府

昭和5年4月
日本はロンドン海軍軍縮条約を結んだ
海軍部内では「政府が海軍軍令部の反対を押さえて、この条約に調印した」ため、加藤寛治軍司令部長ら海軍の強硬派(艦隊派)が、これを
【統帥権干犯】として激しく非難し、軍縮条約反対の声をあげた
浜口内閣の軍縮政策・協調外交に不満を抱いていた勢力の間からもこれに同調する動きが起きたが

浜口内閣は反対論を押しきって、天皇による条約の批准(同意手続き)を実現

11月、これがもとで浜口首相は国家主義団体の青年によって東京駅で狙撃され重症をおい内閣は総辞職した
翌年8月死亡


■統帥権干犯
統帥権とは軍隊の作戦・用兵権
天皇の大権
これは陸海軍の参謀本部・海軍軍令部の補佐のもとに発動され、政府は介入できない(統帥権の独立)

【兵力量の決定】は天皇の編制大権(国務大臣の大権)であり、内閣の輔弼事項(天皇の政治を助けたり、代わりに任にあたる)であった

海軍軍令部など軍縮条約反対派は統帥権を拡大解釈し、兵力量の決定も統帥権と深く関係するものとして、浜口内閣が海軍軍令部の意に反して軍縮条約に調印したのは、統帥権を犯したものだと攻撃したの
その後も軍部はしばしば【統帥権の独立】を理由に軍事問題に対する政府の介入を拒否し、政府の統制を離れて勝手に行動するようになった


【満州駐屯の日本軍、満州の実権者張作霖を爆殺】天皇から激しく叱責された田中首相は内閣総辞職に追い込まれた

2022-02-06 14:35:46 | 日記
♦️日本は中国に干渉しない約束を守った

中国では反帝国主義の運動が盛んになり、【国民党】と【共産党】が軍閥打倒の方針をたてた

国民党最高指導者【蒋介石】は
革命軍総司令に就任し、全国統一をめざし国民革命軍を率いて北伐を開始した
昭和2年、国民革命軍が長江流域に及び、イギリス租借界を回収
♦️【日本はイギリスの日本軍出兵提案を拒否】
同年3月、国民革命軍が南京にはいる際に、アメリカ、イギリス、日本などの総領事館や居留民たちが襲われ死傷者が出る
アメリカ、イギリスは報復攻撃を加えた
♦️【日本は加わらなかった】
蒋介石は列国の強い抗議を受け苦境に陥り「南京の襲撃は共産党系勢力の行為である」として、4月、反共産党クーデターを起こし、共産党と絶縁宣言をし、南京に国民政府をつくった

♦️(若槻内閣・弊原外務大臣)日本政府はワシントン条約での内政不干渉の約束を守ったが、陸軍・国家主義団体・野党などは「軟弱外交」と非難し、中国強硬方針を唱える声が上がった

♦️田中義一内閣(立憲政友会)
中国政策に対しては、日本人居留民保護のため昭和2~3年、3次にわたり山東出兵を行い、国民革命軍が満州に広がることを押さえようとした

★田中内閣は軍部首脳や外交当局者を集め東方会議を開き、中国問題を協議
「満蒙(満州・内モンゴル)の日本の権益を守る」方針を打ち出した

♦️満州駐屯の日本軍張作霖を爆殺
■日本政府は、満州の実権者である張作霖(ちょうさくりん)と交渉し、満州における権益拡大を求めたが、張作霖は協力的ではなかった
関東軍(満州駐屯の日本軍)参謀【河本大作】が秘かに張作霖抹殺を計画。部下に実行させた
昭和3年6月、張作霖の乗る列車を爆破。張作霖を殺害した
陸軍はこの張作霖爆殺事件を(中国)国民政府側のゲリラの仕業だと公表。国際的に疑問を持たれ、日本国内でも野党からは満州某重大事件として攻撃された
【田中義一首相は、現地からの極秘情報で日本軍人が犯人であることを知っていた】
田中首相は軍法会議を開き【真相究明と、犯人を処罰する】決意を示し、その旨を天皇に上奏した
陸軍大臣をはじめ陸軍当局はこれに強く反発。結局真相は明らかにされないまま、「警備上に手落ちがあった」という理由で、犯人は行政処分に付されたに過ぎなかった
田中首相は、天皇への上奏との食い違いを天皇から厳しく叱責され、内閣総辞職に追い込まれた


社会主義勢力の政界進出

2022-02-06 13:23:16 | 日記
■共産党の再建
1922年、秘密結成され非合法活動を進めていた日本共産党は、党員の検挙などにより混乱し1924年いったん解散したが、1926年には再建された

労働運動の日本労働総同盟では急進派と穏健派が対立し、急進派は新しく日本労働組合評議会を結成した

■社会主義勢力の政界進出
普通選挙制度が成立すると
社会主義勢力の政界進出気運は高まり、無産政党(社会主義政党)を組織しようとする動きが盛んとなり
農民労働党が結成された
これは結社禁止処分を受けたので
翌年、共産党系を除いて労働農民党が成立
共産党系勢力がなだれ込み、内部で左右の対立が劇化、分裂
労働農民党
日本労農党
社会民衆党
労働組合、農民組合も3派に分裂
社会民主主義諸勢力の動きも活発化
昭和3年2月の普通選挙では、無産政党各派(社会主義政党)から8人の候補者が当選し、衆議院に議席を得た

■政府の共産党系取締り
選挙では、共産党系の活動が目立ったため、政府は治安維持法を適用して共産党系の活動家やその同調者を大量に検挙し、関係団体を解散させた
翌年も大規模な検挙を行い、日本共産党は大打撃を受けた
社会主義運動は内部対立の激化もあって分裂傾向を深め、労働者や農民を十分組織できなかった

超不況の中で企業・資本を独占する財閥

2022-02-06 12:48:41 | 日記
■第一次世界大戦中の好景気は、平和になると泡のように消えた
日本資本は戦争を通じて発展したため、軍需産業の占める比重が大きかった

★国民の購買力は弱かった。

★戦争が終わり、列強国の生産力が回復してくると輸出は後退
貿易収支は輸入超過に転じた

★株式市場は暴落
綿糸、生糸の売れ行き不振で、相場が下落したのである

■1923年、関東大震災にみまわれ工場や事業所のほとんどは倒壊・焼失した
★銀行手持ちの手形は大量に決裁不能
政府は決裁不能になった震災手形に対して、日本銀行から特別融資を行わせた(4億3082万円→3年後2億680万円が未決裁)
政府は震災手形を処理するための法案を議会にはかったが、その過程でいくつかの銀行でこげつき不良貸付が多く、経営状態の悪さが暴露され
銀行への激しい取付け騒ぎ(預金者がいっせいに金をおろす)が起こった
全国の銀行を一時休業させ、日銀から20億円近くの非常貸し出しを行い、どうにか恐慌を鎮めた

■企業独占
不況の中で、企業の独占・集中・資本の輸出が進む、三井、三菱、安田、住友などは
各種企業を同系資本に結合する多角経営にのりだし、四大財閥として経営会を支配した

■五大銀行と産業資本の結びつき
銀行の産業界支配の傾向も強まってきた。銀行の産業への貸付は長期的・固定的となり、額も莫大なものになる。こうして銀行資本は産業資本と結びついて支配力を強めた

三井、三菱、住友、安田、第一の伍大銀行は、中小銀行を吸収して、その地位を決定的なものにした

三井は立憲政友会、三菱は憲政会(立憲民政党)との結びつきを強めて政治資金の供与などを通じて政治の上でも大きな発言力を持つようになった

金権政治批判「金権政治の根本問題は選挙民の道徳心欠如にある」

2022-02-06 11:46:19 | 日記
民本主義を唱え、普通選挙の実現や議会中心の政治運営を熱心に説いていた吉野作造
現実に政党政治が定着し、普通選挙が実施されると、吉野作造はその「金権選挙」ぶりに失望した

「普通選挙の功徳の1つとして、金は使わなくなる」ことを挙げていた。金が姿を消すと、金の代わりに選挙闘争の武器として登場するのは【言論と人格の外はない】と説いた

しかし、そうではなかった
制度を改めたただけで、あいかわらず金は跋扈し、言論と人格は二の次であった

今日の選挙界で一番強く物を言うのは金力と権力である

選挙は人民の意向を訪ねる
選挙は人民の自由な判断に求めたい
それを金と権力とで踏みにじるのだからたまらない

しかしこれは政治的に言えば、踏みにじる者が悪いのではない。踏みにじられる者が悪いのだ。罪は選挙民にある。問題の根本的な解決は選挙民の道徳的覚醒をおいて外にない