■海軍VS政府
日本はロンドン海軍軍縮条約を結んだ
海軍部内では「政府が海軍軍令部の反対を押さえて、この条約に調印した」ため、加藤寛治軍司令部長ら海軍の強硬派(艦隊派)が、これを
【統帥権干犯】として激しく非難し、軍縮条約反対の声をあげた
浜口内閣の軍縮政策・協調外交に不満を抱いていた勢力の間からもこれに同調する動きが起きたが
浜口内閣は反対論を押しきって、天皇による条約の批准(同意手続き)を実現
11月、これがもとで浜口首相は国家主義団体の青年によって東京駅で狙撃され重症をおい内閣は総辞職した
翌年8月死亡
■統帥権干犯
統帥権とは軍隊の作戦・用兵権
天皇の大権
これは陸海軍の参謀本部・海軍軍令部の補佐のもとに発動され、政府は介入できない(統帥権の独立)
【兵力量の決定】は天皇の編制大権(国務大臣の大権)であり、内閣の輔弼事項(天皇の政治を助けたり、代わりに任にあたる)であった
海軍軍令部など軍縮条約反対派は統帥権を拡大解釈し、兵力量の決定も統帥権と深く関係するものとして、浜口内閣が海軍軍令部の意に反して軍縮条約に調印したのは、統帥権を犯したものだと攻撃したの
その後も軍部はしばしば【統帥権の独立】を理由に軍事問題に対する政府の介入を拒否し、政府の統制を離れて勝手に行動するようになった