るるの日記

なんでも書きます

将軍の側室になるのを嫌がる慶光院に対して春日局の切り札「そんなに将軍の側室を恥だと言うなら、天皇だって側室たくさんいるじゃん」

2022-02-17 14:16:53 | 日記
慶光院
「仏に仕える身の私が
六条家に生れた私が
側室に、、?
武家の天下だから?
だから私をあなどるの?
比丘尼の私を還俗させ、大奥へ召される?
このような辱しめを受けるのならば
命に替えても上様の御意に背きたい
しかし、我が身は振舞いで伊勢の寺院に災いを招かせたくはない」

春日局は告げた
「慶光院さまの若さ、美しさを持ちながら伊勢の尼寺に埋もれるよりは、上様の御側に召される方が玉の輿ですよ~」

慶光院さま
「上様の側室になるということは、御台所(本妻)には仇なす女となること。それは恥です!それに女の地獄です!」

春日局
「側室を何人も置くのは、天皇も同じですよ~」

春日局の最後の切り札に、慶光院さまは一言もなかった。それどころか「私の父もそうだった、、弟は父が外の女に生ませたんだった、、」








慶光院さま17歳、、私は一人ぼっち。夢も希望も僧籍も無くなった

2022-02-17 13:50:14 | 日記
慶光院さまは田安台御用屋敷に囚われの身となる。深い木立の中の深山幽谷。フクロウが啼く声だけが響く
慶光院さまには大奥の藤尾が就く。仕事は慶光院さまの接待係でもあり監視役にもならねばならない。藤尾は春日局の共犯者にいやおうなしにされてしまったのだ

慶光院さまに春日局が告げた
「慶光院さまは、御還俗なさるのです。上様の御意により慶光院さまに代わる新院主を立てるように、飛脚にて上人さまにはお知らせしました。上人さま御承諾の御文も到着いたしております」

「江戸拝領屋敷の慶光院さまお供御一同様は、一昨日伊勢へ立たれました」


「私は一人ぼっちになったのですね、、いったい私に、、なんのおとがめですか?」慶光院は問う

春日局は答える
「おとがめなんてめっそうもない。慶光院さま初の御謁見の折、上様きつい御執心にて、ぜひともそばへ召されて末長くご寵愛、、」

17歳の慶光院さまは精神的ショックで気を失った

美しいことが、禍を招く

2022-02-17 13:07:24 | 日記
慶光院さまは「将軍への形式的な跡目相続御礼」の勤めを終え休息所へ戻る。しばらくすると春日局が現れ、代々の新院主が跡目御礼の登城で戴く金一封を届けに来た
春日局はきっぱり言った
「慶光院さまは江戸にとどまってください。いえ、、ゆっくり滞在した後に伊勢へお戻りしてもバチはあたりませんよ。上様の思し召しには背けません」

慶光院さま一行は江戸の拝領屋敷へ戻り、将軍から賜った跡目祝いの金一封の包みを開くと、金百両が現れた。今まで代々の跡目祝いは金三十両と定まっていた
【これはただ事ではない】

慶光院さま
「私は一日も早く伊勢へ帰って、これからのことをみなで計って、慶光院七世院主として世のため人のため尽くしたいと心はやる矢先、江戸見物に長らく日を費やそうとは思わなかったのに。他の者こそ江戸見物に夕刻まで行ってらっしゃい」

皆が江戸見物に出た後、お城の役人が突然慶光院さまを連れに来る
「江戸滞在中は江戸城賓客として田安台御用屋敷にて接待します、、慶光院さまの御用は大奥の女中がお仕えしますから慶光院さま側のお供は控えてほしい、、とのことです」

慶光院新院主の江戸城初めての登城・「早く解放されたい」思いのみでした💧

2022-02-17 12:26:23 | 日記
■江戸城登城当日朝の慶光院屋敷

早朝、新院主は浴室で身を清める
紫の法衣、金襴の袈裟という尼僧としての第一礼服を身にまとう
足袋は履かせてもらう
足袋に触れるとその手は穢れ数珠が持てないからだ
将軍に謁見するのは10時からだ

■大手門下乗橋

大名たちの駕籠もここまで
供は供待に残して、供頭・傘持ち・草履取りだけで本丸玄関まで徒歩
例外は日光・上野の輪王寺門跡の駕籠だけで玄関式台まで横付けされる

慶光院は伊勢神宮奉仕の清僧であることと、皇女を開基とする格式によって院主の駕籠は通行を許され、供は3人徒歩で付き添う
玄関の遥か手前で駕籠をとめ、殿中に上がる時は1人だけ付き添う
御殿には慶光院用の休息所がある

■慶光院新院主はまず春日局と対面

初対面の挨拶の後
春日局は新院主の品定めをし、
付き添いの者には大奥権力を現す

その春日局の態度を見た新院主は、並々ならぬ手腕と実力を持つ女性と思い、単純な反感のみでは批判できぬものを感じる

■将軍との対面

寺社奉行の先導で侍2人、春日局に付き添われ松の大廊下を歩き、将軍のいる白書院へ入る
将軍は白書院上段の間
簾が半ばたれている

慶光院新院主は上段の次の間に座を与えられた。敷物は無し。畳の上に平伏状態。手の甲を畳につける。神聖な紫衣と数珠に触れる手のひらは畳につけぬ作法だ

■将軍のとの会話
寺社奉行が紹介する
「伊勢度会郡宇治郷内、慶光院比丘尼、跡目御礼にまかり上られました」

尼君、わずかに面をあげ御礼の言葉
「この度は先代跡目相続おうせつけられありがたくぞんじ奉ります」

そして将軍と一問一答
打てば響く、あざやかな一問一答
家光の声が響く
「春日、慶光院をようもてなせ」
家光は座を立ち去った
春日局も「これは!(いい女だ)」という表情をした



慶光院・後醍醐天皇皇女祥子内親王が開いた尼寺

2022-02-17 11:19:57 | 日記
慶光院
伊勢度会郡宇治の郷
(伊勢市宇治浦田町)
の臨済宗比丘尼寺である
この寺を開いた尼僧は後醍醐天皇の皇女祥子内親王

祥子内親王は伊勢神宮の斎王であったが、父の後醍醐天皇が笠置山にすまわれたとき、内親王も尼僧となり庵を結ばれたのがこの寺の由緒である

寺を慶光院と称してから代々院主は「慶光院さま」と呼ばれ、やがて「上人」称号を天皇から勅許される

寛永17年4月、慶光院で7世門主の相続儀式が行われた。その後「徳川将軍に慶光院主相続の御礼」に江戸へ下らねばならなかった

慶光院は皇祖を祀る伊勢神宮に奉仕する比丘尼寺。相続御礼は天皇に申し上げれば足りること。はるばる江戸まで下って将軍に御礼するのは筋違いなのに、、7世門主の本音