■西光
信西(藤原通憲または高階)の所で召し使っていた師光・成景という者がいた。二人は賢い者だったから二人一度に衛門府の尉に昇進した
信西が平治の乱で殺された時に、二人共出家し、【西光】・西敬となったが、出家後も後白河院の御蔵預りの役に仕えていた
■西光の子・師高【悪政】
西光の子に師高(もろたか)という者がいた
この男も賢い者だったから昇進して検非違使五位になり、1175年12月19日加賀守に任じられた
師高は非法非例な国務を強引に行い、勢力家の領地を没収するなど全くひどい状態だった
1176年夏頃、師高の弟・師経が加賀国の目代に任じられた
■師高弟・師経【寺を焼く】
師経が現地に着任早々、鵜川という山寺の僧侶たちが湯を沸かして浴びていたところに、師経は乱入して僧侶たちを追い払い自分が入浴し、召使いに馬を洗わせたりした
僧たちは怒り国府方を追い出そうとし、国府方と打ち合い殴り合いをしているうちに、師経の馬の骨を折ってしまった。それからは互いに弓矢など武器を持って伐り合い数時間戦った。師経たちは夜になって退却し、その後、加賀国国府役人兵一千人余が鵜川に押し寄せて、僧坊を一軒残らず焼き払った
鵜川というのは白山の末寺である
■白山三社八院の反撃
師経の乱暴を訴えようと、白山三社八院の衆徒は総勢二千余人が立ち上がり、7月9日夕方、師経の館近くに押し寄せた。日が暮れたので明日を戦と決めてその日はとどまった
師経は夜逃げをして京へ上がった
翌朝僧兵は師経の館に入ったら皆逃げていなかったので、次に山門に訴えようと白山中宮の御輿を奉り、比叡山へ向かった
8月12日、正午白山の御輿が比叡山に着く頃、北国の方から雷がひどく鳴って都をめざして上ってきた。白雪が降って皆白一色になった