るるの日記

なんでも書きます

平家物語・朝廷が山門を放っておけない理由は呪詛の力「御呪い申し上げます」

2022-02-24 15:00:22 | 日記
去る1095年
美濃守・義綱が荘園問題で、比叡山の円応を殺害。このことで日吉社の神官、延暦寺の寺官30余人が義綱処分を要求する訴状をささげて、朝廷へ参ったが、それを防ぐため、関白は郎党に命じて矢を放たせた。射殺された者8人、傷を受けた者10余人。神官寺官らは四方へ散った。

山門では日吉7社の御輿を根本中堂に集め、その御前で
7日間大般若経を読んで、関白を御呪い申した

最後の7日目「我らを幼少の頃からお育て下さっている神様方、関白に矢を一本射当てて下さい。大八王子権現」と高らかに祈った

すぐその夜変事有り
人々の夢に八王子権現御殿から矢の音がして、宮中めざして鳴っていく
を見た
翌朝、関白が御所の戸を開けたところ、露に濡れた樒(しきみ)が一枝立っていた
すぐ続いて、関白は重い病にかかられた


平家物語・加賀白山宮神「白山妙理権現」と、比叡山の父神との対面

2022-02-24 14:25:12 | 日記
加賀白山宮の御輿を、比叡山の
客人の宮(まらうとのみや山王七社の1つ)へ入れる
客人の宮とは祭神が白山妙理権現と同体、父子の御仲である
まず、今度の訴訟がどうなるかはわからないが、父子であった二神は、この対面を喜ばれた
山門三千の衆徒、山王七社の神官が集まって誦経、祈念をし、何とも言い表せぬほどの騒ぎだった

山門の大衆は、加賀守・師高を流罪に処し、目代・師経を禁獄にするべき事を奏上したが裁決が遅いので
皆は口々に申した
「昔から山門の訴訟は他とは違い、朝廷の重臣であっても、山門の訴訟によって流罪にされる事があったのに、師高などの下役人に、あれこれ詮索する必要があろうか」

朝廷では大臣たちは自分の錄を大事にすることを考えて、諫めなければならない時でも諫めず、罪になることを恐れて何も言わなかったので裁決は遅かった






平家物語・加賀守の悪政に対し、御輿を担いで比叡山に訴える白山宮衆徒

2022-02-24 13:46:00 | 日記
■西光
信西(藤原通憲または高階)の所で召し使っていた師光・成景という者がいた。二人は賢い者だったから二人一度に衛門府の尉に昇進した
信西が平治の乱で殺された時に、二人共出家し、【西光】・西敬となったが、出家後も後白河院の御蔵預りの役に仕えていた

■西光の子・師高【悪政】
西光の子に師高(もろたか)という者がいた
この男も賢い者だったから昇進して検非違使五位になり、1175年12月19日加賀守に任じられた

師高は非法非例な国務を強引に行い、勢力家の領地を没収するなど全くひどい状態だった
1176年夏頃、師高の弟・師経が加賀国の目代に任じられた

■師高弟・師経【寺を焼く】
師経が現地に着任早々、鵜川という山寺の僧侶たちが湯を沸かして浴びていたところに、師経は乱入して僧侶たちを追い払い自分が入浴し、召使いに馬を洗わせたりした

僧たちは怒り国府方を追い出そうとし、国府方と打ち合い殴り合いをしているうちに、師経の馬の骨を折ってしまった。それからは互いに弓矢など武器を持って伐り合い数時間戦った。師経たちは夜になって退却し、その後、加賀国国府役人兵一千人余が鵜川に押し寄せて、僧坊を一軒残らず焼き払った
鵜川というのは白山の末寺である

■白山三社八院の反撃
師経の乱暴を訴えようと、白山三社八院の衆徒は総勢二千余人が立ち上がり、7月9日夕方、師経の館近くに押し寄せた。日が暮れたので明日を戦と決めてその日はとどまった

師経は夜逃げをして京へ上がった
翌朝僧兵は師経の館に入ったら皆逃げていなかったので、次に山門に訴えようと白山中宮の御輿を奉り、比叡山へ向かった

8月12日、正午白山の御輿が比叡山に着く頃、北国の方から雷がひどく鳴って都をめざして上ってきた。白雪が降って皆白一色になった

平家物語・得意になって高ぶる気持ちが分不相応な行いを招く「常に無心であれ」

2022-02-24 12:38:13 | 日記
法勝寺の執行・俊寛の祖父・雅俊はあまりにも怒りっぽい人で、自宅の門の前に立たずんで歯を食いしばって周囲を睨み付けていた。こういう人の孫だからか、この俊寛も僧侶だが、気性激しく驕り高ぶった人で、それで謀反にも関係したのであろう

成親は多田行綱に「あなたを大将として頼みにしている。この計画が成功したら国でも荘園でも望み通りに与える。まずは弓袋材料に白布五十反日を贈る」と言った

北面武士は昔はなかった。白河院の代に初めて設置されて以来、皆、分相応に振る舞っていたのに、今の時代の北面武士はとんでもなく分不相応な振る舞いをし、礼儀礼節もない。殿上に昇進し殿上の交際を許される者もあり、驕り高ぶる心も出てきて謀反にも関係したのであろう


平家物語・鹿谷の陰謀「陰謀の相談を多数が集う酒宴の場で行えば必ず失敗する」

2022-02-24 12:07:53 | 日記
官位昇進を平清盛の子らに越された藤原成親は「平家二男に越されるのは心外だ。これも万事平家の思うままになっている事から生じたのだ。何としてでも平家を滅ぼし、本望を遂げよう」と言われた。恐ろしい、これは天魔の所為か

成親は平治の乱の時も、藤原信頼に味方をしたので処刑されそうだったのを小松殿(平清盛嫡男・平重盛・妻は成親妹、重盛の長男維盛の妻も成親の二女、重盛二男清経の妻も成親五女、極めて平家と深い関係)
がとりなして首をつないでくれたのに、その恩を忘れて兵具を備え、兵を集め、平家を滅ぼす合戦の準備以外何もしなかった

京都東山の麓の鹿の谷(京都府左京区鹿谷町)という所は、背後は三井寺に続いていて素晴らしい城郭だった。そこに俊寛僧都(村上源氏出身)の山荘がある。その山荘にいつも寄り集まり平家を滅ぼす陰謀を巡らせていた。そこに後白河院も信西の子・静憲法印をお供にして訪れた

酒宴で後白河院が静憲法印に平家を滅ぼす陰謀を相談したところ「あきれたことだ。人が大勢いるところで陰謀の相談をするとは。今にも漏れ聞こえて、天下の大事になりますよ!!」と非常に慌てて騒いだ

成親は顔色が変わり立ち上がったが、前にあった瓶子を狩衣の袖に引っ掛けて引き倒した。それを見た後白河院は「これはどういう意味だと思うか?」と聞いた。成親は「平氏がたわむれ倒れました」と答え、後白河院は機嫌良く笑って「者ども、猿楽をいたせ」と言われた

平康頼が参り「ああ、あんまり平氏(瓶子)が多いので、酔ってしまいました~」と言うと、俊寛僧都が「さて、それをどうしましょう」と言うと、西光法師が「首を取るのに越したことはない」と言って瓶子の首を取って奥へ入ってしまった
静憲法印はあきれて無言になる

この陰謀に参加した者
近江中将・蓮浄(成正)
法勝寺執行・俊寛僧都
山城守・基兼
式部大輔・雅綱
平半官・康頼
宗半官・信房
新平半官・資行
摂津国源氏・多田行綱
北面の者多数