治承4年1月
鳥羽殿には、清盛は人の参賀を許さなかったので三が日の間、誰も参らなかった
2月21日
高倉天皇は清盛の圧力で、
天皇の位を譲位した
平家の人々は時勢が良くなったと喜んだ
三種の神器を移す
剣を弁内侍が取り、
清涼殿で泰通が受ける
珠の入った箱を備中内侍が取り
隆房が受ける
珠の箱は少納言内侍が取り出すべきだったが、これに手を触れたら、長く新しい帝の内侍にはなれないので、少納言内侍はこの役目を辞退していた。少納言内侍は老人なので、二度も帝の内侍になることを期待すべきではないのに、、と人々はみな憎んでいたが、16歳の備中内侍がまだ若い身でありながら、その役目を志望したのは、特殊なことだった
こうして代々皇室に伝わった三種の神器を役人が受け取って、新帝の皇居、五条内裏へ移した
新帝は今年3歳
清盛夫妻は外祖父母
共に准三后の宣旨を受けた
清盛邸は御所のようにしていた