るるの日記

なんでも書きます

平家物語・文覚の寄付を求める大音声の演説が、後白河法皇が参加する優雅な宴会の邪魔をする

2022-03-02 12:12:08 | 日記
後白河院御所の庭に押し掛けた文覚は、寄付を募るために演説をしていた。その頃、後白河法皇の部屋では琵琶や琴が演奏され、歌い、華やかな宴会が催されていた。法皇も声を合わせて歌っておられる

そこへ文覚の大音声が飛び込んで来て、調子が狂い、拍子も乱れてしまい、怒った若い者が走り出て、文覚に「立ち去れ!」と言った

文覚は「神護寺に荘園を一ヵ所寄付してくださらぬうちは、文覚はけっして出るものか」と言って動かない。そこで若者が文覚の首を突こうとしたところ、文覚は左手に勧進帳、右手に刀を抜いて走り回った。御所の騒動は並大抵ではなかった

安藤右宗が太刀を抜いて走り出た。文覚は張り切ってかかって行く。両人とも互いに劣らぬ力だったが、院中の者が文覚を打ち据え、門外へ引き出し、下役に引き渡した

文覚は御所の方を睨み付け、大声で
「寄付をなさらないのはともかく、これほど文覚をひどい目に合わせたからには、今に思い知らせてあげますぞ。三界は皆火宅。王宮であっても、滅亡の難は免れることはできない。帝位にあって誇っていても、冥土の旅に出てしまった後は、地獄の鬼どもが責め立てる。この事から逃れる事はできない!」
と、申した

文覚はそのまま獄へ入れられた
間もなく美福門院が亡くなり、大赦があったので文覚は赦され、また勧進帳を捧げて寄付に回ったが、文覚は「ああ、世の中は今すぐ乱れて、帝も大臣も、皆滅びてしまうだろう」などと、恐ろしいことばかり言って回るので、とうとう伊豆国へ流されてしまった

平家物語・文覚、寺を改修するための寄付金集めに後白河院の御所へ行き演説する

2022-03-02 11:36:49 | 日記
文覚は、高雄という山奥で修行に集中していた。高雄には神護寺という山寺があった。称徳天皇の御代に、和気清麻呂が建てた寺院である。長い間廃寺だったらしく、ボロボロの寺だったので、文覚は「この寺を改修しよう」という大願を起こした

文覚は勧進帳(寺などの建立、修理の寄付金を願う文書)を持って、いたる所で、施主となる事を勧め歩いた(寄付を求め歩いた)

ある時、文覚は後白河院の御所・法住寺殿へ参上し、寄付を求めたが、聞き入れてくださらないので、かまわず庭の中へ押し入り、大声をあげて、勧進帳を広げ高らかに読んだ

【沙弥文覚、慎んで申し上げる
貴人からも、庶民からも、出家者からも、俗人からも助力を得て、高雄山の霊地に一つの寺を建て、現世来世の安楽という大利益のためにお勧めしようと思って勧進をする次第

そもそも真如は広大である
衆生と仏と、仮に名づけて区別するけれども、法性を妄念の雲が厚く覆い隠して、十二因縁の峰にまでたなびいてからは、本来あるはずの仏性も雲に隠された月のようにかすかになり、まだ三徳四曼の大空に現れない。悲しいことだ

太陽ともいうべき仏陀はとうに没して、生死流転してさ迷う世界は暗黒である。ただ色情に溺れ酒にふける。誰も迷いを断ることはできない。むやみに人をそしり法をそしるだけである。どうして地獄の責めを免れることができようか

文覚はたまたま俗世を逃れ、僧となって法衣を身につけているといっても、悪行はなおも心に根強くて、日夜に増え、善因はまた朝夕少なくなってゆく。痛ましいことだ。再び三途の火抗に戻って、長く四生の苦しみを巡ろうとは

このため、釈迦牟尼仏の経典千巻、その各巻に成仏の因を説き明かしている。方便・真実いずれの法も、一つとして悟りの彼岸に到達せぬものはない。それゆえ文覚は無常の悟りを得ようとして、感激の涙を落とし、身分の高下をとわず全ての僧侶、俗人に勧めて、上品の蓮台に往生できるようにし、仏の霊場を建てようとするのである

寄付は少しである。誰が助力せぬ者があろうか。子どもが砂で仏塔を作って遊んだとしても、それは功徳となって、たちまち成仏の因としてはたらくのである。ましてわずかな財宝を寄付するなら、もっと成仏の因となるであろう

願うこととしては、この寺の建立を成し遂げて、皇居と御代が安泰であれとの御願いがすっかり叶い、また全ての地で、全ての人が平和を謳歌するようにし、永い間の安穏を実現したいと思う

特に死者の霊が、死の早い遅いや、身分の上下に関わらず、すべて、すみやかに、法華経の説く真実の浄土に行き、必ず、三身万徳となるであろうことを願う

よって勧進修行をいたすという次第は、つまり以上のとおりである
治承三年三月

平家物語・文覚荒行【荒行をすると、不動明王の力ですごい修験者となる】

2022-03-02 09:47:59 | 日記
後に源頼朝をそそのかし挙兵させる人、文覚は、修行の小手調べに那智の滝に打たれに行った。季節は12月10日過ぎ
一面まっ白な中、文覚は滝壺に首まで浸かって、【慈求の呪】を唱え続けた

4~5日にもなった時、文覚は立っていられず浮いてしまい、水に5、6町流された
その時童子が現れ、文覚の手をとって引き上げた。周りの人々は火をたいて文覚の身体を暖めたりしたので、まだ死ぬべき時が来ていない命でもあり、間もなく息を吹き返した

文覚はまた滝壺に戻って滝に打たれた。次の日、8人の童子が来て文覚を引き上げようとしたが、文覚は激しく抵抗し上がらない。3日目、文覚はとうとう息絶えた

童子が2人滝の上から降り下り、文覚の全身をまことに暖かい芳香のする手で撫でさすると、文覚は生き返った

童子は文覚に告げた
「私たちは大聖不動明王の御使いである。不動明王が『文覚という者が勇ましい荒行を計画しているから、行って力を合わせよ』と命令されたから来たのである」

文覚は手を合わせ拝み「自分の修行を不動明王までもが、御存知なのだ」と、本当に素晴らしくめでたいお示しがあったので、頼もしい気がして、なおも滝壺に戻って立ち、滝に打たれた

こうして21日間滝に打たれるという修行を終えて、次に那智に千日参籠し、吉野、葛城山、高野、粉河、金峰山、白山、立山、富士山、伊豆、箱根、戸隠、羽黒山、日本国中修行して回って、京に戻った時は、祈祷によって飛ぶ鳥を落とすほどのすごい修験者となっていた