聖道とは自力にて悟ろうとする道で
道徳の門です
浄土とは他力にて救われる教えで
宗教の門です
慈悲には
聖道の道徳心の慈悲と
浄土の他力の慈悲があります
聖道の慈悲とは
貧しき者を憐れみ
貧しき者のために悲しみ
貧しき者を育み富ませる
愚かな者を憐れみ
愚かな者のために悲しみ
愚かな者を育み智慧ある者にする
これは善い事で、努めて為すべき事です
しかし私は
これを為そうと努める時に
自分ののいたらなさを知る
憐れむ心、悲しむ思い、育む望みはありますが、けれど為し遂げる力がありません
私は
愚かな者を憐れむ心があると同時に
あなどる心がある
悲しむ思いがあると同時に
嫌う心がある
育む望みはあることはあるけれど
こりゃあとてもだめだな
と捨てるような冷たい心もある
人に慈悲を施して
施したことに執着し
有り難く思えと高みから見る心あり
私の施す慈悲は
欲望の一つの働きにすぎず
我ながらあきれる
むしろ私の方が憐れまれ、悲しまれ、育まれるに適している
人の慈悲とは迷う情
幻のように消える思い
だから
南無阿弥陀仏の救いを信じて
南無阿弥陀仏と称える
永劫に尽きぬ慈悲ですから
仏の慈悲を信じることで
大慈悲を満足する
自ら焦りて救おうとしなくとも
仏は私たちを使い
世と人を導く
真の慈悲は信仰にあり
信仰による自己の安心にある
私の身にふさわしく行い易い慈悲です