るるの日記

なんでも書きます

人の慈悲とは迷う情、欲の働き。永劫不動の仏の慈悲を信じることで、仏は私たちを使い世と人を導く

2022-03-09 17:42:47 | 日記
聖道とは自力にて悟ろうとする道で
道徳の門です
浄土とは他力にて救われる教えで
宗教の門です

慈悲には
聖道の道徳心の慈悲と
浄土の他力の慈悲があります

聖道の慈悲とは
貧しき者を憐れみ
貧しき者のために悲しみ
貧しき者を育み富ませる

愚かな者を憐れみ
愚かな者のために悲しみ
愚かな者を育み智慧ある者にする

これは善い事で、努めて為すべき事です

しかし私は
これを為そうと努める時に
自分ののいたらなさを知る
憐れむ心、悲しむ思い、育む望みはありますが、けれど為し遂げる力がありません

私は
愚かな者を憐れむ心があると同時に
あなどる心がある

悲しむ思いがあると同時に
嫌う心がある

育む望みはあることはあるけれど
こりゃあとてもだめだな
と捨てるような冷たい心もある

人に慈悲を施して
施したことに執着し
有り難く思えと高みから見る心あり

私の施す慈悲は
欲望の一つの働きにすぎず
我ながらあきれる
むしろ私の方が憐れまれ、悲しまれ、育まれるに適している

人の慈悲とは迷う情
幻のように消える思い

だから

南無阿弥陀仏の救いを信じて
南無阿弥陀仏と称える
永劫に尽きぬ慈悲ですから
仏の慈悲を信じることで
大慈悲を満足する
自ら焦りて救おうとしなくとも
仏は私たちを使い
世と人を導く

真の慈悲は信仰にあり
信仰による自己の安心にある
私の身にふさわしく行い易い慈悲です

人の人情「負けたくないから完璧な人に近づきたくない、勝てるから欠点ある人と親しむ」釈尊は完璧たが、食を乞い賎しい生活をしていたから人から敬愛された

2022-03-09 15:15:18 | 日記
完全無欠で抜け目ない人は面白くないし、恐くて近寄りたくない
不完全な人物より世の受け悪く
人世から遠ざけられがちだ

欠点はあるが、人から親しまれる人物がいる
人は他人の欠点を見て、自分と比較し、自分が勝るから親しもうとする。欠点は人がつかまえどころがある部分。欠点のない人はつかまえ所がなく近づかない

世にまた一種の人物あり
欠点を人に見られないように努め、人に完全に見られようとする者がいる
欠点というのは、これはある面から見れば一種の愛嬌であるから、人と交わるときは、恥じらいながらも欠点を人に知らせ、恐れつつ欠点を人に握らせるのは、大いに必要である

人は常に「負けている」事を望まない。この心は完全無欠で抜け目ない人物を好まないことに現れる
完全無欠な人は、人を征服する
だから近づくと征服され、これに堪えられず、近づかず、欠点ある人に行く。これが自然な人情

学者は世に疎い所に愛嬌がある
宗教家は物質的に欠ける所に愛嬌がある(現在は物質豊かそう、、、

釈尊は完全無欠である。しかし釈尊は食を乞い、世人に賎しいとされる事も為してきた
だから人は釈尊を恐れず近づくことができた。敬愛された

伝教大師は自らを
「愚の中の極愚、狂の中の極狂」と言われる所に愛嬌がある

法然上人は自らを
「十悪の法然房、愚痴の法然房」と言われる所に愛嬌がある

親鸞聖人は自らを
「愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷い惑う」と言われる所に愛嬌がある

人の欠点が世を動かし
人を近づける力である

「まず冷となれ」自己をかえりみず他人を救おうとする者は、共に溺死するぞ

2022-03-09 14:26:21 | 日記
自分が救われていないのに、他人を救いたいと、自己を忘れて水中に入れば、共に溺死して共に救われず

溺れている人を救おうと
自己の能力をかえりみず
水中に身を投ずる行為は
慈悲より起きるといえども
その行為は狂か愚である

溺れている者を見た時に
水中に身を投じ、自らも溺れる者は
盗人を救おうとして共に盗む者
火をもっては火は消せない
火事場に簑着て行くな

凡夫の慈悲は盲目で
慈しまなくていい場合に慈しみ
悲しまなくていい場合に悲しむ
これ慈しむではなく貧愛
愛欲に溺れる者
パンを与えるのみは仏の行為に非ず
病める人に薬を与えるのみは仏の行為に非ず
安心して死に進む道を教えることこそ仏の教えという

仏は慈悲円満であり智慧円満
仏は至冷の有

まず初めに冷となれ
ここに慈悲溢れる
血気はやる行為は仏の行為にあらず
血気に振り回された行為である



狂言「がきすまう」の宗教的意義

2022-03-09 13:52:42 | 日記
■狂言「がきすまう」

閻魔大王が赤鬼五人を従え歩み来る。閻魔大王が床上に、鬼は下に坐する。続いて黒鬼が現れ、黒閻魔大王の前に坐する

そこへ容貌温雅な地蔵尊が、数珠、錫杖、団扇を持ち、にこやかに現れる。地蔵尊に従うのは三人の亡霊
亡霊は閻魔大王と鬼を見て恐れおののき、顔色は土のよう

亡霊は何で恐れるのか?
罪を犯していない者は、閻魔大王軍団に逢っても恐れることはない。だが、少しでも罪を犯した者は恐れるだろう。だからこの僧侶に従う亡霊は、閻魔大王軍団そのものの恐ろしさではなく、亡霊が前世に犯した罪に対して恐怖を抱いたのである
亡霊は前世では悪人であったのだ

地蔵と閻魔大王の交渉が始まる
しばらくして鬼と、亡霊の相撲が始まろうとしている
三人の亡霊はまだ相撲をとる前から恐れ倒れ、鬼は得意がる

地蔵と閻魔の交渉は再び開かれる
地蔵は亡霊の衣を脱がせ、地蔵の手から新しい衣を与えた。亡霊はこの衣を着ると勇気がたちまち沸いてきて、三人の亡霊は数名の鬼を倒した

閻魔大王くやしがり、地蔵と三度目の交渉が始まる
三人の亡霊は一同に閻魔大王に飛び付いた。閻魔大王は負かされ
終りに地蔵と閻魔大王との相撲が始まり、地蔵は勝ち退場。亡霊は喜び躍り退場。閻魔大王、鬼とも残念がって退場
狂言終わる

■「がきすまう」の宗教的解説

弱かった亡霊が、その衣を脱いで
地蔵から受け取った衣を着るとたちまち強くなったのは
始め凡夫妄念の衣を着ていた亡霊は鬼を恐れたが、その衣を脱ぎ、新しく如来菩提の衣を着たことによって亡霊は強められたのです

自力執着・凡夫妄念の衣を着ているから、智者には自己の愚かさを恐れ、強者には自己の弱さを恐れ、善人には、自己の悪を恐れる

自力無効と気がつき、自分には頼るべきところなしと深信し
自力執着・凡夫妄念の衣を脱いで
如来の他力衣を受け取れば
智者に対して
強者に対して
善人に対して
恐れ無く
唯、如来廻向の金剛心を喜ぶ心のみと転じる

もう、恐れる地獄なく
来るべき鬼なく
嫌うべく閻魔大王はいない

まだ弱者、愚者、悪者のままだけど
如来の智慧、如来の徳、如来の願力を拝領したのだから、世に恐るべきものは一つもなくなったのです


小事をおろそかにするから大事になる。一人の心の小さなマッチの火が百万の都市を灰にした

2022-03-09 12:51:53 | 日記
■レ・ミゼラブルの一章
ウオルターロー戦争でナポレオンが大敗した大原因は、戦争前夜の降雨にあった

ナポレオンはオーゴンの地を得ることを切望していたが戦いに敗れ、この地を得られず。よってナポレオンは天下を得られなかった

要するに何が言いたいかというと
些細な原因で、大事が決まる
ということ

戦争前夜の降雨がなければ
ナポレオンは天下を得られた

■世は容易に察せられない微少な事情で動く。天下、国家は大なれど
その大事が動き出す原因は、雨の雫のような小事にある

哲学・倫理という高尚な論理は、雨の雫のような小さな動機にある

鬼と仏、大事と小事には大きな間隔があるように思うが、その間隔は紙一重の厚さである

今までは親しく遊びあえた友同士が
今では修羅の争乱を行わされ
一片の肉がその功を奏でる
一歩を踏むとき、ここに鬼あり、仏あり、地獄あり、極楽ある

大行の初めに大行はなく
今日の微細な傷が、将来の大きな傷の元となる
今日の小行は、将来の大行の元となる
よって私たちは小事、細事を軽んじてはならない

雨は小さな水滴だけど
合して洪水となる
人は大きな動物だけど
微細なウィルスの為に命を失う
日常の細事が天下・宇宙に大波乱を起こすと思え

息を吸う時、宇宙の気が動く
手を動かす時、宇宙が振動する
志を抱く時、世界に大動機が来る
小さなマッチの火は、百万の都市を灰にする

世は縄の如し
その一端を引けば
全体の縄、それがために動く
世は人体の如し
その一所に事あれば
全体がその為に変動する

万物相関の理の上に
大事小事の別なし