るるの日記

なんでも書きます

昭和3年の旅の本より「煙草と食事持参の湯治客」

2022-03-17 16:58:28 | 日記
川治温泉に一軒しかないこの宿は湯治客が多い。火傷、切傷、皮膚病の人々であった

長く浸かっているほど効き目がある湯だというので、ある老人は、煙草と食事持参で、湯に浸かりながら煙草をのみ、お腹が空いてくれば飯を食い、朝から晩まで、晩から朝まで湯に浸り通しである

のぼせないかと聞くと
「これには方法があるんです。体の上半身は胸まで、下半身は膝から下は外に出して浸かっていれば、一日中一晩中入っていても平気なもんです。平気どころか、うつらうつらとい~気持ちの夢心地。まるで極楽で蓮の鼻に乗って遊んでいるようですよ~。まあ病気も治るというもんです」



昭和3年の旅の本より「川治温泉」

2022-03-17 16:29:03 | 日記
午前10時に下瀧温泉を出て、午後2時頃、川治温泉の対岸にある村についた。4時間程かかっているが、急げば2時間で行き着く

下瀧温泉から電車に乗り半里ほどの藤原で下車。そから約2里半歩くのだ。歩くのが嫌なら行かないがいいっ。足が悪くて歩けないのならここから牛車、馬車、いずれかを仕立ててもらえば安く運んでもらえるはず

この2里半の上り曲折が関東の耶馬渓(やばけい)といっている。この自然は大きい。近く迫りすぎもせず、遠く離れすぎもせず延々と連なる山々。歩くほどに眺めるほどに心が大きくなる

川治には温泉宿は一軒しかなく、どの宿と迷う心配はない。村から鬼怒川にかかる釣橋を渡った所が温泉宿であった

楽しみの湯へ行った。3~40段の石段を下る。下りた所は絶壁が切り立つ。そこに2つの浴槽があった。一つは四坪ほどで板屋根がある。一つは一坪ほどで岩を屋根としている。下瀧温泉のような川に流れる湯はなかったが、浴槽につかりながらも、川の水をすくうことができるから、湯に浸っていると「これで十分」という気持ちになった




昭和3年発行の旅の本より「下瀧温泉の渓流の中に湧く温泉」現在ネット検索してもありませんでした。情報求む

2022-03-17 15:48:08 | 日記
上野駅から日光行きに乗り
日光の一つ手前「今市」下車
今市から藤原行きの電車に乗り藤原一つ手前の「下瀧」下車
上野駅から今市まで約4時間
今市から下瀧まで約50分

ここは鬼怒川の上流
鬼怒川発電所がある所
下瀧温泉はこの発電所から7、8丁離れた山麓にあるので、発電所のうるささを気にかけることもない

宿は三軒ほどある
一番奥の古い湯元の宿「麻屋」に泊まらなければ面白くない。そして内湯に入るくらいならこの温泉に来る必要はない
渓流の中に湧く湯があり、大空を天井に山々を屏風に、渓流を枕とし、原始人の如くにして湯に浸かれるところが醍醐味なのだから

宿の2階の一室に案内され、まず外を眺める。眼下百尺(30m)の所を渓流が音を立てて流れている。岩と岩の間には裸ん坊が幾人もいる。湯に浸かっているのだ。私は期待以上だったことに喜んだ。私に原始人本能が働き出した。あたふたと長い石段を渓流までかけ下りる

時は4月。寒い。岩の上から片足をそーっと入れてみる。確かに暖かい

自然岩に仕切られて2つになり、1つは2坪、1つは3坪ぐらい。その外は泳ぎ回れるくらい広いが湯がぬるい。深さは胸から首あたりまで。足の底がチリチリとくすぐったい。足の下から湯が湧いているのだ。それがぬるすぎず、熱すぎず。気を養うとはこの事だと1人悦に入る

ルルが調べたところ、鬼怒川上流で発電所の近くに下瀧温泉も、渓流の温泉もありませんでした😢
現在、下瀧温泉は鬼怒川温泉となったのかな?渓流の温泉は、もう湧かなくなったのかな?

「麻屋』らしき温泉宿は
こちらかしら




昭和3年発行の旅の本より「磐梯村字澁谷の荒人神社」

2022-03-17 14:20:18 | 日記
🔶川上温泉と澁谷さんと川上菖蒲🔶

■正俊、弁慶に殺される

源頼朝の臣に、源氏の三法師武者といわれていた澁谷土佐坊正俊、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊の3人があった。頼朝は土佐坊に命令して弁慶を殺させようとしたが、逆に土佐坊は弁慶に殺されてしまった
弁慶は源義経一行と、能登、越中路を奥州の方へ落ち延びた

■正俊の子・天破とその妻菖蒲

澁谷土佐坊正俊の子・天破は妻と、父の仇を討つために弁慶の後を追ったが、弁慶が衣川で死んだと聞き、そこから暫く逃避した。どうしても面目がなくて都へは帰れず、諸処遍歴して足を留めたのが、現在の川上温泉の地、磐梯村澁谷である

■夫婦で強盗殺人をして生計を立てる

今の磐梯村字澁谷、山の神神社の屋敷は、澁谷天破の屋敷であった
妻は川上菖蒲と云って夫と2人で強盗を働いていた
この所は山形米澤の街道で、物寂しい山道。右は長瀬川の谷川、左は磐梯山に連なる、険しい一本道だった

澁谷天破はこの山道の入口である長坂村に陣取り、旅人が来るのを見れば急いで間道を走り、妻の菖蒲に告げた。そうして幾人もの旅人は、ここに命を落としたのである

■今でも地獄谷と言われている

今でもここは、山の中腹で鬱蒼たる樹木が多い。見下す所は長瀬川の谷底。俗に地獄谷と呼ばれている。ここで物凄い強盗殺人が行われたのであった
磐梯村字澁谷には澁谷土佐坊正俊を祀った荒人神社があり、その南側には平洗澤といって東に40間の岩石が
長瀬川の突あたりに数十尺の岩石が
ここらに殺した旅人を捨てた
ちなみに
東京澁谷も正俊の子孫が住した土地だという

■菖蒲の改心で温泉を見つけた

ある日、菖蒲の夢枕に白髪の武人が現れて「あなたは今から悪事を改めれば、霊泉の所在を示す」と菖蒲に告げた。翌朝、菖蒲が武人に言われた所へ行くと、そこに温泉が湧き出ていた。そこが川上温泉である






昭和3年発行の旅の本より「檜原村と早稲沢村」山奥の若い娘から漂う情感

2022-03-17 13:04:21 | 日記
寂しい山奥の高原だが、湖畔でもあり、茂った木もないので、静かで明るい山村という感じ

■檜原村
檜原村では30年ほど文化が遅れているような村だったが、疲弊感はなく伸び伸びした悠久な山村のように思われた。古風な明治初年頃を思わすような家並がずっと続いていて、丘陵の村落は美しかった

宿屋「やまと屋」でご飯だけ食べた
この宿屋は穢かった、、、
お膳は
※卵焼き
※鮒の背開き
※キュウリもみ
※茄子の甘煮
※枝豆
※豆腐のお汁
1人1円とるのかなと思っていたら
安いのに驚いた
五人前で2円だった

小林さんはこの村の愚痴を言った
「人情が温かくない。一年の大半は寒いので酒を飲む。他に楽しみもないので子供ばかりが多い。」
というようなことを面白おかしく話した。そして「早稲沢村をぜひご覧ください」とすすめられたのでそこにも行く気になった

■早稲沢村
いい村だった
村は湖の船着き場から12丁(1.3km)離れていた
一面に蕎麦の花が蕎麦畑に咲いていて、所々に村家が点在している
大きな水車が廻っている

木地に動力をかけお椀をつくる小さな工作所を見た。17歳くらいの娘が赤い櫛をさし、紋平をはいた足先で器用にお椀を削っている。この近在ではこの木地で生計を立てているのであった

帰りに船着き場のそばで、若い乙女が馬草か何かを背負おうとしていた。乙女は猿袴はいている。山奥で逢った乙女からは、何ともいわれない美しい情感を感じた