そのまま
このまま
計らいなく
罪悪のままの救済
疑いながらの救い
何をやっても差し支えない
不平なく安住せよ
現在安住は現在謳歌(本能満足)ではない
現在の自己を肯定して安住するのではない
現在の環境を肯定して安住するのではない
自己を否定し
境遇を否定し
主観を否定し
客観を否定し
世のすべてを否定し
しかもその上に味わう信味
諸行無常
諸法無我
しかもその上に現在安住の信味
現在を謳歌せず
自己をも謳歌せず
何によりて安住するか
【如来救済の大誓願力の活躍ましますことを信じる時に、この大霊の上に安住する】
現在安住とは過去は安かりしと追想するのではない。未来は安かるべしと予想するのではない。現在只今如来摂取の懐にありという事を自覚して、これに安住する
現在安住とは現在の境遇に満足することではない
現在の自己に満足することではない。ゆえに現在謳歌の思想とは雲泥の差あり
そのまま罪悪のままというのは
罪悪を肯定するのではない。罪悪ある者がその罪悪のままにして、救済の内にあり、救済の目的なりということである
現在安住の信念とは
現在の自己に安住するのではない
現在の境遇に安住するのではない
現在の一念に遍く至る如来の本願に安住することなり
現在安住の信念味には
沈痛な自己否定の罪悪観あり
深刻な社会否定の濁世観あり
現在謳歌とは大なる差異あるなり
如来の誓願は生き生きし
常にその霊能を活躍させている
ゆえに人の心、この本願に安住せば
この心は本願と共に運ばれて
向上の道ほどに進み行く
ゆえに現在安住とは、停滞、消極的と思うのは誤りである
如来の本願は宇宙を動かし、止まらぬ大志願。大活躍。世にこれ以上の活躍はなく、これ以上の積極的なものはない
私たちが現在の本願に安住したら、私たちの活躍は止まり、本願の大活躍の上に私たちが働かせて頂くことになる。ゆえに現在安住者は大積極の道に入る者なり
この心、過去に対して感恩の思いとなり、未来に対しては希望の思いとなり、自由解放の大活躍となる
現在安住の信念は大積極的
現代を謳歌せず、むしろ現代を教化しようとする大勇猛心となりて顕現するなり
この勇猛心なるや決して自己製作ではなく、如来の救世の大誓願力の発現である。如来の誓願の上に現在安住し得たる人は、現代に対して教化的に進入するのが自然の勢いである
濁世観と罪悪観を伴う現在安住観は、悲観的厭世観にあらず、消極的楽世観にあらず、本願力に乗る他力の信念によりてのみ味わい得る積極的実力を具備したる大安心の地である