信仰の途中「愛した仏たちを輝きに変え、巡り合う仏に疲れたら弥陀の元へ戻るわ」 2022-03-13 16:58:16 | 日記 スーツケース一杯につめこんだ信仰という名の重い荷物を君は軽々ときっと持ち上げて笑顔見せるだろう、、君が巡り合う仏に疲れたらきっと戻っておいで愛した仏たちを思い出に変えていつの日にか弥陀のことを思い出すがいいただ心の片隅にでも小さくメモして愛した仏たちを輝きに変えていつの日にか弥陀のことを思い出すがいいただ心の片隅にでも小さくメモして
ワインレッドの自我「ワインを開けたら、今以上それ以上、仏に愛されるのに」 2022-03-13 15:59:05 | 日記 作業用音楽を聴きながら、仏法の他力本願についての本を読んでました。今日の音楽は「来生たかお」と「安全地帯」を聴いていました聴いていると「女の情念」が湧いてきます、、ワインレッドの心って束縛されている自我を表現しワインを開けて他力本願門に入ればもっと自由に仏との恋を楽しめるのにというような曲に聴こえてなりませんでした
傲慢の頭が下げられるようになる弥陀力 2022-03-13 15:27:19 | 日記 私たちの、迷いの根本は自分の心を眺めて「善いい所もある」と思うこと人生で私たちが常に苦しむことは「私に善い所がある」と思う誤解から来る私は悪くない、私は正しいと思いあがった自分が私は悪人、私は間違う、私は地獄行き、と気づくようになるということは、ひとえに仏の光明のお育てによるなかなか傲慢の頭の下がらぬ身が、とても地獄からは助からぬ身と気付いて、頭が下がるようになるのは下げさせて下さる仏の御力です「私に頼め、たすけるぞ!」との弥陀の誓いに頼みましょう弥陀の誓いを信じましょういつの間にか安住安楽の境地にいますよ~
「わたしこそは」という根本魔障 2022-03-13 15:00:56 | 日記 自分に対する誹謗の声を聞く時に、一時自分の心は乱れる。けれども暫くしてその誹謗が、事実を暴露した言葉だと思う時に、心が何となく澄みわたる。「やっぱり!私は悪人だ」と、スッキリした気持ちで心の底から笑える自分に対する賛美を耳にする時嬉しくて舞い上がる。調子に乗る暫くして、自分ははたしてこの賛辞に当たる者なのかとかえりみる時に答えはノーと出る私は何かにつけて高ぶりたい私こそはと思いあがる病気であるこの病気は信仰上にも顕れるから恐ろしい少しばかり仏法が解れば我こそは少しばかり歓喜が湧けば我こそは少しばかり念仏称えれば我こそはこの我こそはという思いが私の根本魔障である誹謗の声は、魔障の角を折る傲慢には誹謗が必要上がる心を引き下げる温かい大悲賛辞を聞く時冷たい我が心を思って慚愧す誹謗も賛辞も共に仏恩なり
「仏心凡心一体の一心」タノムという一念の極は、タスケタマエの信「仏は私をお助けになるの信」 2022-03-13 14:26:07 | 日記 「このままのお助け」というのはこのままのそこにお助けがあるということ「このまま」というのは罪もちながら、三悪の三業を持ちながら、人間界に生を受けていることこのままということ入信の人が、独り静かに大悲を喜ぶ味わいなり仏が心に帰入した信味なりこの信味のほかには珍しき信心功徳は無いタノムという一念の極はタスケタマエの信になるこの思いが「このままのお助けなりきの信」なりこれすなわち仏心凡心一体の一心である