るるの日記

なんでも書きます

感受性

2022-03-01 20:42:43 | 日記
人には責任という心の働きがある
たとえば、、
子供ができたら、生むのが責任(強姦など不可抗力は除く)
子供を生んだら、育てるのが責任

大人になると
生まれたからには、生き抜くことが責任に感じたりする人もいる。大人になると、生きることが苦しくなる事ががある

けれど人生をマイナスに感じることは自己責任なんだ、、、自分の考え方が悪いんだ、、となる

考え方次第
受け止め方次第
捉え方次第

その根本的な、感受性をどうすれば変えられるのだろう。一時的には変えられはする。だけどいつも元に戻る。。それが心の弱さなんだろうか
強くなりたい、、とため息一つ


平家物語・文覚荒行・頼朝をそそのかして挙兵させた僧侶

2022-03-01 19:08:20 | 日記
そもそも頼朝と申すは
去る平治元年12月、父の源義朝が謀反を起こし、永暦元年3月20日、頼朝14歳のときに伊豆国蛭ヶ島へ流され、20余年の月日を送り迎えた者である
長年無事に暮らして来て、これからもそのまま暮らせたというのに、なぜ今年になって、どういうつもりで反乱を起こしたのか、、、

高雄【高雄山神護寺・文覚が衰えていた寺を立て直した】の文覚上人がそそのかしたのだ、ということだった

文覚は遠藤茂遠の子、遠藤盛遠といって、上西門院(鳥羽天皇娘・統子内親王)の衆であった。19歳の時出家。修行に出ようとしたが、まず修行の予習として、夏に藪に入り寝て、蜂、アブ、蚊、アリなどが体を刺したり食べても、7日間身体を動かさず、8日目に起き上がった。人にこの体験を話し、「修行とはこれくらい大変なのか?」と尋ねたところ、「そんな修行なら死にます。修行僧は生きているので、この体験より楽なんでは?」と言われたので、安心して修行の旅へ出かけた



平家物語・大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に追いついて来た

2022-03-01 18:26:08 | 日記
9月2日、相模の大庭景親(國村隼)が福原へ早馬をつかわして申す
「去る8月17日、伊豆国の流人・右兵衛佐頼朝(大泉洋)が、舅の北条時政(坂東彌十郎)を派遣して、伊豆国目代である山木兼隆を討ちとり、

その後、土肥(阿南健治)・土屋・岡崎をはじめとして三百余騎が石橋山に立て籠っておりますところに、大庭景親が平家方に志寄せている者一千余騎を率いて押し寄せ攻めましたので、頼朝の軍勢は討たれて、7、8騎にされ、土肥の椙山へ逃げ籠りました

その後、畠山重忠(中川大志)が五百余騎でこちらの味方をしております

三浦義明の子供らは(佐藤B作・山本耕史・横田栄司)三百余騎で源氏の味方をし、由比・小坪の浦で戦ううちに、畠山との戦いに負け武蔵国に退却しましたが、畠山一族の兵三千余騎を率いて三浦の衣笠城に攻め戦い、三浦義明は討たれ、息子たちは久里浜の浦から船に乗り、安房・上総へ渡りました」

平家の人々は遷都のこともすでに飽きて、「ああ、早く何か起こるとよい。討手として向かおう」などと言っている。あさはかな事だ

畠山重能は京にいた。畠山は言う
「何かの間違いでしょう。北条は頼朝と関係を結んでいるからどうかわかりませんが、その他の連中は、まさか朝敵の味方はしないでしょう。もう一度聞き直してみましょう」

清盛はまたまた怒り心頭
「頼朝を死刑にするはずだったのに、亡くなった池禅尼がしきりに嘆願なさったので、流罪に減じたのだ。その恩を忘れて平家に向かって弓を引くというのか!今すぐ頼朝は天罰を受けるに違いない」

平家物語・怨霊も浄化(?)する清盛の力

2022-03-01 17:20:56 | 日記
福原へ都を遷した後、平家の人々の夢見が悪く、いつも胸騒ぎがし、怪異な物が現れることが多かった

■岡の御所
大木もないのに、ある夜大木の倒れる音がし、2~30人の声でどっと笑う声がした
これは天狗の仕業だという事にした

■庭に怨霊
清盛が庭を見ると、髑髏(どくろ)が庭に満ち満ちて、上になり下になり、くっついたり離れたり、端の方の者は中の方へ転げこみ、中の方の者は端の方へ転げ出、カラカラと音を立て、一つに固まり合い、山のような大きさになり、大きな目が数知れずできて、清盛を睨んだ
清盛も睨み返した
髑髏は清盛からあまりにも目力強く睨まれたので跡形も無くなってしまった

■馬の尾にネズミが巣を作り子を生んだ夢

馬の尾に、一晩のうちにネズミが巣を作り子を生んだ。これは只事ではないと七人の陰陽師に占わせたところ、重大なお慎み事(一定期間家から出ないようにする)であると出た

■青侍の見た夢
正装した貴人たちがたくさんいて、会議をしていた。末座にいた平家の味方をする人(厳島神大明神)が追い出された

上座の古老(八幡大菩薩)は言う「平家が預かっていた刀を、今は源頼朝につかわそう」

もう一人の古老(春日大明神)が言う「その後は私の孫にも与えてください」

神の名を、夢を見ている青侍に説明をしている私は、武内大明神

という夢を見た
実際に清盛が夢のお告げを受けて厳島大明神から頂戴した刀を、いつも枕もとから話さず立てておいたのが、ある夜急に無くなっていた






平家物語・平家の先祖である桓武天皇の愛した平安京を捨てた清盛【平に安き都】

2022-03-01 16:27:09 | 日記
ここ数日、福原へ遷都が行われそうだという噂だったが、、、

治承4年(1180)6月2日
天皇が福原へ行幸。午前6時に御輿が差し向けられ、今年3歳になる天皇は何もわからぬまま御輿に乗った
乳母である平時忠の妻が同じ御輿に乗った

★高倉上皇妻・天皇母・宮建礼門院
★高倉上皇
★後白河院
も行幸
摂政・藤原基通、太政大臣以下の
公卿らも、我も我もとお伴をする

後白河院を福原へ移した理由は、
後白河院次男・以仁王謀反のために清盛が大激怒したからだ。福原の三間四方の板屋に後白河院を閉じ込めた。牢の御所である
平家の悪行は頂点に達していた

平安京という都は
左に青龍
右に白虎
前に朱雀
後に玄武
という四神相応の地である
まことに帝都を定めるのに叶っていた。延暦13年12月21日に長岡京から、平安京へ都を遷して以来
年月は380余年を送り迎える
桓武天皇は「これほど勝れた土地はない」といって、人形をつくり、東山の峰に都を見下ろすように西向きに埋めた。もしも後世、天下に異変が起き都を遷すような事があれば、この都の守護神となる人形だった

桓武天皇は平家の先祖である
この平安京、平に安き都と書く
平家が最も尊ぶべき都である
先祖の帝がこんなにも大切にしていた都を、清盛が他所へ遷すとは何たる悪行。。何たる恐ろしい事か

6月9日新都の起工
和田の松原西を測量し地割したが、五条から下の場所がなかったので、他によい土地がないか公卿が会議をしたが、どこもうまくいきそうに見えなかった

都をさ迷い出た人々は
新都は整わず、あてのない憂い思いをしている
以前からここに住んでいる人々は
土地を失って嘆いた

新都建設は国家の財政的負担や、民の苦しみなしではできない。まして、さしあたっての重要事項大嘗祭も行わなければならないというのに、このような遷都はまったく不適当である