るるの日記

なんでも書きます

智慧をもらったよ「私たちは一人一人が【天上天下唯我独尊】であり【仏】である」

2022-03-28 17:43:49 | 日記
清・濁入り交じった大海
その海水が太陽の触れる表面に上がれば、太陽が降り注ぐと表面の海水は清・濁という差別を残して蒸発し
無差別空中に融合する


この無常の娑婆世界は
生きる本能(渇愛)の大海
善悪入り交じる凡夫が住む
凡夫はみな等しく
渇愛に動かされ
渇愛は欲望を生み
欲望は苦楽を生み
苦楽は宿業を積み
宿業は渇愛となる

阿弥陀仏とは
人は善人・悪人・みな等しく
生きる本能(渇愛)⇔宿業サイクルに束縛されて、生死を超えられない。これを救済しようとする大慈悲

ルルは
機が熟成し
海水表面に上がったよ

生死を超えるとは
有無を超えること
人だけど人でない
宿業だけど宿業でない
渇愛だけど渇愛でない
つまり大海が太陽の光によって蒸発し、空中に融合し無くなったようだが実は有るような

つまり
仏の光明に照らされても
人は宿業を背負って生きるし
欲も苦悩も変わらないが
何かが変わる
いったん死んで
全く別の感受性で生まれ
自分の計らいなく、仏の計らいで生きるような感覚になる
そう感じるようになる

すると全ての出来事や、全ての人の言動は、仏の計らいと感じられるから、ルル以外はすべては仏となり、ルルは人としてこの娑婆世界に一人しかいない気分になり、たくさんの仏に養われている感覚になる
天上天下唯我独尊な気分になり
安定、安心、温かくなる

みんな人であり
みんな誰かの仏である

大衆が大勢集まる宗教組織は問題が発生しやすい

2022-03-28 15:53:06 | 日記
■念仏の声が響きわたる大原談義

大原談義は、浄土門を一層聴衆に認めさせる結果となった
問答が進むにつれて、次第に法然が皆に法を説いているような形になった。そして法悦のような空気が生じた(仏の道を聞いて生じる歓喜)

天台座主顕真僧正みずからが念仏を称えて焼香し、皆がそれにならって念仏焼香し、念仏の声が堂を揺らした

この宗教問答は法然の勝ちに帰し、諸宗派が浄土宗という新しい一宗をを承認したということを世間に公布する機会となった

■浄土宗停止の訴願

特別の繁盛、破格の待遇は世間に嫉妬や反感を醸し出す。ようやく法然および浄土宗にも本格的な法難の時代が準備されていた

浄土門は見方によっては危険な法門であって、「悪人正機」の教えを内から真心を持って聞かれず、外から勝手に解釈され、誤解や曲解によって破壊無慙の者を生ずる
思慮が浅い者は、相手構わず念仏往生を振り回して聖道門を誹謗する。また法然の教えから脱線して、異説を称えたりする者ができる
数多の大衆を抱擁する法門だけに色々といかがわしい者も出てきた

聖道門の方は勢い衰え、気勢が上がらず、いよいよ危険を感じた。こうなると自己保存の本能ほど強いものはない。比叡山も興福寺も傍観してはおられない
たびたび朝廷に訴えてきた
そのたびに九条兼実たちが鎮めていたが、遂に不平は爆発。三千の大衆が集まり浄土宗停止の訴願に及んだ
不本意ながらも浄土宗停止になりかけた

これは実に卑怯な話である。宗教の力で闘わず、権力によって強制的に停止させるのは卑怯すぎる

■法然法門門弟の不心得

法然は自分の宗門にも落ち度があることを自覚して、七ヶ条の起請文をつくって天台座主に提出した。それでようやく山門の憤りは止んだが、興福寺の方はおさまらない
しかし皇室や公家たちに帰依者が多いので、このたびは遂に揉み消しになった

七ヶ条の起請文は法然が弟子法蓮房に執筆させたもので、門弟の不心得をいましめる形式となっている。これは門弟を集めて宣誓させ連署させたものだ
法然も山門からの非難は謙虚に受け入れざるを得なかった事情があった
凡夫大衆を目安とする法門だから、その多数の中から、多かれ少なかれ脱線する者はできる





法然と最高権威者の問答【悪人正機】

2022-03-28 14:52:30 | 日記
文治二年、法然54歳、8月7日
大原の立禅寺にて宗教会議
議題【浄土門について】

〈参加者〉
★比叡山山門
顕真大僧正
本性上人
永瓶僧都
相模房阿闍梨
以下学生30余人

★南都の学生20余人

★高野
明遍僧都

★笠置
解脱上人

★三井
公胤

★八宗
能化智海法印


★門徒300余人

★法然
俊乗房重源が30余人の弟子を連れて立ち会った

🔶法然、浄土門を説く

「機のすぐれた人たちは聖道門で成仏できるであろうが、劣機の者は浄土門の念仏で往生するより道はない。そしにち劣機の者は甚だ多く、そして時代は釈尊の預言通りに末法の時代になっている。ゆえに一般の凡夫大衆は浄土門の念仏の方がよく相応する

しかしこれは勝機の人々の聖道門の道を妨げたり、非難するためではない。全く我らの器量ではそれには及ばないからに過ぎない」
と主張した

学生たちの自負心は傷かず
かえってこそばゆい気持ちになっただろう。これはわざとらしい当てつけではなく、極めて素直な自然な法然の態度だったので、誰も反感は起こらなかった
【法の議論】では激しく闘われた
顕真をはじめ学生たちは次々に質問した

その代表質問2つと、法然の答えを紹介します


🔶「速やかに生死を離れ、解脱をきわむる事は天台・真言にあり。しかるに念仏はこれらに勝って解脱速やかなり、とは如何?」

♦️法然の答
「万機普益のゆえに、万徳円満のゆえに、称え易きゆえに、持ち易きゆえに、時にかなうゆえに、弥陀の本願勝る」
★【万機普益】→念仏ですべての衆生は機根となり、機根の者をあまねく利益する
★【万徳円満】→あらゆる徳を完全に備える

🔶「弥陀の本願は悪人正機で、善人より悪人と、罪深い者ほど目当てにするという事である。それではただでさえ罪を造りやすい凡夫、悪を造りたがる機が、【罪はいかほどつくってもかまわぬ、それが阿弥陀の慈悲であると聞けば、ますます多くの罪をつくるであろう】。仏法は造悪差し支えなし、という教えではあるまいと思われる」

♦️法然の答
「諸悪莫作(悪をするな)、衆善奉行(善を行おう)は諸仏の共通して説いた教えであって、弥陀の法門においても必ず『悪は造るなかれ』という。

しかし『造るなかれ』と外から禁じるのと、自ずと悪を造る機が内からほどけていくのと、どちらが効果があるか?

悪を造るなといっても、凡夫の自性として悪を造ることが所詮止まぬ。これは生まれつき、過去遠遠から持った罪であって、それこそ凡夫の本質なのだ
それを無理に止めよと言うなら
易行他力の法門ではない

凡夫を助けるとの本願を聞き、これのみを救いの綱と一すじにすがれる程の感激を味わった者は、自我が砕けて柔和となり、悪を造る機が弱くなり、又悪を造るたびに、それが悪だと自覚し、あさましいという感じが強くなる

自分は悪人だと感じることは、それだけでも懺悔に近い。そしてそれは殊勝な人間らしい心である
その悪人をそのまま救うてくれる大慈悲者があると信じる程の者なら、その感謝から悪を造り難くなるはずだ

そして猶造る悪は『造るなかれ』といっても所詮造る悪である

悪の救済の自覚と悪の懺悔は同時に起こるはずである

念仏が尊いからとて悪を造るは、薬があるとて毒を飲むごときものである

十悪五逆も助かると知って、小罪を
をも犯さじと、願うのこそ浄土宗信者の心得である

🔶一同納得








安心決定した法然から見た、最高権威者の天台座主顕真僧正と権威者たち

2022-03-28 13:16:54 | 日記
■念仏盛ん
法然はあらゆる人々に結縁(仏道縁)して、帰依を得、法を説いた
天皇、門院、関白、公家、将軍、武士、盗賊、遊女、、ことごとく結縁して教化

後白河法皇
九条兼実
北条政子
平重衡
熊谷直実
たちも法然に帰依していた
まだ法然とは会ったことはないが、法を聴いて歓喜信受した者は数限りない

■念仏が勢い盛んになると、他宗に法然は迫害される
【大原問答】

北嶺最高権威者の天台座主顕真僧正が、法然に念仏往生の要義を問う。彼の対応しだいで、布教の上で重大な結果を生ずる事情があった

すでに顕真と法然は比叡山坂本で初対面していたが、顕真はこの時の問答では、念仏往生というものが十分納得できなかった
そこで顕真は浄土門の根幹となっている文献を研究した後に、法然に対して要求した
「自分は浄土の法門を一通り調べたが、まだ不審の箇所があるから今一度詳しく説を承りたい。それについては宗教界の公の問題だから、自分一人ではなく、宗教界の権威者たちを集めて、公開の席でお聞かせ願いたい」

これは顕真が自分の地位を利用して、念仏往生の法門がどれだけの意義があるのかを権威者に合議批判させるということ
法然にとって大きな困難が生ずることは免れない。法然の門弟たちはひどく気をもんだ

■法然に恐いものなし
法然は平静である。彼は長年の学問で諸宗の奥義に通じ自信があったからにもよるが、それより深い理由は法然自身が浄土信仰者だからである。つまり、弥陀の悲願を信じて念仏していさえすれば恐ろしいことはないのだから

私は賢いとする誇りよりも、共存同慈悲の感情は、広大な大我世界につながっていた

2022-03-28 12:26:18 | 日記
さて、法然は43歳の時、善導の「観無量寿経疏」を読んで安心決定すると、比叡山を出て、西山の黒谷に住んだが、東山吉水あたりに静かな地所があったので、ここに移り住み、訪ねて来る者に念仏をすすめた
これが浄土宗の念仏称名発祥地である

法然は世を厭うて山に入り
今度は世を厭うて山を出た
山を出て俗塵に住む
同行凡夫たちが、生きるために日々苦悩をしている場所へ
今の身を置くにふさわしい住所へ
自分と他人を隔てる気はもうない
すべては煩悩具足した凡夫である

心は広大な世界に広がった
彼らの悲喜、苦悩がありありと、自分の胸に脈打って響いてくる。彼らを助けずに自分のみが悟りを開いて安心立命の境地に遊んでいればいいという気にはもうなれなくなっていた。自分は大衆から離れる事ができない。法然は大衆から離れるに忍びない慈悲、憐れみというものを初めて知った

共存同慈悲の感情は(大我)
私は賢いとする誇りよりも(自我)
広大な世界、大我につながっていた

これが阿弥陀仏=法蔵比丘の心?
不取不覚、自分だけ成仏しない
皆残らず救い取りたい
大慈悲!

法然はこうして大衆に向かって仏法の門戸を開かれ、吉水の庵を訪ねてくる人々に往生の道を教え、称名を勧めていた。そうして驚くべき速度で念仏の帰依者は、その数を増やしていった