清・濁入り交じった大海
その海水が太陽の触れる表面に上がれば、太陽が降り注ぐと表面の海水は清・濁という差別を残して蒸発し
無差別空中に融合する
この無常の娑婆世界は
生きる本能(渇愛)の大海
善悪入り交じる凡夫が住む
凡夫はみな等しく
渇愛に動かされ
渇愛は欲望を生み
欲望は苦楽を生み
苦楽は宿業を積み
宿業は渇愛となる
阿弥陀仏とは
人は善人・悪人・みな等しく
生きる本能(渇愛)⇔宿業サイクルに束縛されて、生死を超えられない。これを救済しようとする大慈悲
ルルは
機が熟成し
海水表面に上がったよ
生死を超えるとは
有無を超えること
人だけど人でない
宿業だけど宿業でない
渇愛だけど渇愛でない
つまり大海が太陽の光によって蒸発し、空中に融合し無くなったようだが実は有るような
つまり
仏の光明に照らされても
人は宿業を背負って生きるし
欲も苦悩も変わらないが
何かが変わる
いったん死んで
全く別の感受性で生まれ
自分の計らいなく、仏の計らいで生きるような感覚になる
そう感じるようになる
すると全ての出来事や、全ての人の言動は、仏の計らいと感じられるから、ルル以外はすべては仏となり、ルルは人としてこの娑婆世界に一人しかいない気分になり、たくさんの仏に養われている感覚になる
天上天下唯我独尊な気分になり
安定、安心、温かくなる
みんな人であり
みんな誰かの仏である