■理想
念仏は思想ではない
一切の思想を捨ててしまった世界に
智慧の世界の南無阿弥陀仏がある
無はすでに言葉がない
安心立命に一切の思想は役立たない
とはいっても
■現実
四六時中、心の妄想、雑念は休息しない。抑えつけても、、もう無理
私と同じように、親鸞の心の焦燥はここから来ていた
「悪性さらにやめ難し、心は蛇蝎のごとくなり」
蛇蝎→へび、さそり。人が非常な嫌うもの
■自力では無理だと認めましょう
人間の「生」そのものが、すでに恐ろしい業の成就である。生存の根本必須条件が「悪業」である。その上でどうこね回してみても、知れたものである、、無理
この事実をまず素直に認めましょう
この業の報いを認めず、幸せや平和になれるとしたら、それは公平でも正義でもない
自らを幸福に平和にするためには、まず自らの恐るべし悪業を認めて、慚愧し、懺悔し、あまねく同胞を眺め、共存同慈悲の心をもって
念仏申すようになればいい
🔶このような思いになることが出来るのは、法然や親鸞によって浄土真宗的の反省が目覚めたからである。それ以前の宗教は心を清浄にし、理を観ずる聖道の教行であった
難行
■これが如来のはからい
さて、親鸞は「生死出離安心立命」の道が比叡山に居ても到底満たされないことを知り、心痛のあまり頂法寺の六角堂に百日の日参をして、夜な夜な如意輪観音に祈願をこめ、明け方になって三里半ある比叡山まで帰った
95日目の夜、親鸞は疲れてうとうとしていると、「末代出離の要路はただ念仏」という声を聞いた、、、、ように思った
ハッと思って目をさまし、明かりを灯した親鸞は、じっと如意輪観音を見た。すると忽然と心の奥あたりから、光明がさして来るように感じた
翌朝、親鸞は比叡山に帰る途中、はからずも安居院の聖覚法印に出逢った。聖覚法印から吉水に法然上人という善知識が念仏を弘めていることを聞いて、親鸞は不思議な思いになり、急いで山を下って吉水に法然を尋ねた
親鸞29歳