るるの日記

なんでも書きます

平家物語・西国武士と関東武士はレベルが違った

2022-03-02 15:50:58 | 日記
平氏大将軍・維盛は
東国をよく知っている斉藤実盛を呼んで関東武士の事を尋ねた

斉藤実盛は嘲笑いながら言う
★私程の矢の腕前は関東にいくらでもいる

★弓の強さは、屈強の者が5、6人がかりで張るほどで、強弓使いがそれを射ると、鎧を2、3重ねて射通す

★大名一人に五百騎の兵は保持している

★落馬はしない、馬を倒さない

★身内が死んでもその屍を乗り越え、戦う

★西国の合戦は、身内が討たれると供養をし、喪中の期間が過ぎてから押し寄せたり、悲嘆のため寄せるのをやめる。春に田を作って秋に収穫してから寄せ、夏は暑い、冬は寒いと嫌うが
東国はそのような事はまったくない

10月23日、明日は源氏と平氏が、富士川で矢合わせをすると決めていたが、夜半、沼に群がっていた水鳥たちが一斉に飛び立った羽音に「源氏の大軍が寄せて来たぞ。ここを退却せよ」と逃げた


平家物語「総指揮官がのんびり屋さんなほど残念なことはない」

2022-03-02 15:23:38 | 日記
■福原では頼朝方に勢が加わらぬうちに、急いで討っ手を下すことが決まった。軍勢は3万騎
大将軍・平維盛(清盛嫡孫)
9月18日、都を出発
19日、旧都到着
20日、東国へ出発

10月16日、駿河国の清見ヶ関に到着
途中徴収した兵あり7万騎となる

頼朝は駿河国の黄瀬川に着く
甲斐・信濃の者が駆けつける
浮島あたりで勢揃いする
総勢20万騎

平家先陣の忠清が言う
「総指揮官がのんびり屋さんなほど
、残念なことはない。もう一日でも前に討っ手を下していたら、関東八国へ行き、畠山一族や大庭一族が参って、関東はすべて平氏に服従したのに、、」と後悔するが、とりかえしがつかない



■朝敵を滅ぼすために都を出る将軍の3つの心得
★節刀を戴く日には、自分の家の事を忘れ
★家を出る日には、妻子の事を忘れ
★戦場で敵と戦う時には、我が身の事を忘れる

朝敵平定のために、地方へ向かう将軍は、宮中へ参って、節刀を頂戴する。大将軍・副将軍それぞれ節刀を戴

平家物語・後白河法皇から頼朝への院宣内容

2022-03-02 14:37:07 | 日記
頼朝は「文覚というお坊さんが、、後白河法皇に、またつまらぬ事を言い出して、私はまた辛い目にあうのかもしれない、、、」と、あれこれ思い悩んで心配しつづけていた

文覚は【後白河法皇から頼朝への院宣】を首にかけて、伊豆を発って8日目の正午頃伊豆へ帰着
頼朝に「そら、院宣よ」と言って差し上げた

頼朝は院宣と聞いて畏れ多く思い
口をすすぎ、手を浄め、新しい烏帽子に浄衣を着て、院宣を三度拝んでお開きになった

【近年来、平氏は皇室をないがしろにして、政道の上で何を恐れることもなく、仏法を破壊させ、皇室の権威を滅ぼそうとしている。そもそもわが国は神の国である。神の霊験はあらたかである。それゆえ朝廷が開かれて何千年の間、天皇の政道を妨げ、国家を危機に陥れようとする者は、すべて破れ去る
よってすなわち、神のご助力にすがり、また勅宣の内容にしたがって、はやく平氏の一族を誅して、皇室の敵を取り去れ。代々の武士の家の武略を継ぎ、先祖以来仕えてきた忠勤を励んで、自分の身を立て、家をも興せ。ということで、院宣は以上のとおりである
よってこれを取り次ぐこと右のとおりである

治承四年七月十四日
前右兵衛督光能が奉り
謹上前右兵衛佐殿へ】

この院宣を、錦の袋に入れて、石橋山の合戦の時も、頼朝は首にかけておられた




平家物語・文覚のすごい決断力と行動力【頼朝の勅勘を赦す院宣を貰う】

2022-03-02 14:09:14 | 日記
頼朝
「私の勅勘を赦していただかなくては、謀反は起こせない」

文覚
「それは簡単なことだ。すぐに私が上京して、お赦しを御願いしてきます。自分の勅勘を赦してもらうのは間違っているが、あなたの事を御願いするのだから何も不都合はない」
と、さっさと出て行った

文覚は弟子たちには「伊豆の山に7日間籠る」と言って出た。3日目に福原の新都に到着

少し縁のある藤原光能の所に行き、「伊豆国の流人源頼朝が、『勅勘を赦す院宣さえ頂ければ、板東の武士たちを動員し平家を滅ぼし、天下を鎮めよう』と申しております」っ言った
藤原光能は「後白河法皇は押し込められているから、どうだろうか、、けれども、伺ってはみよう」
と言って、秘かにこの事を後白河法皇に奏上したところ、法皇は直ちに院宣を下さった





平家物語・文覚が頼朝を誘う「よい時機が来ても実行に移らなければ、かえって災いを受ける。謀反を起こして日本国を征服しなさい」

2022-03-02 13:44:07 | 日記
文覚は「この世の中は、今すぐ乱れ、帝も大臣も皆滅びてしまう」などと恐ろしいことばかり言い回るので、伊豆国へ流された

文覚は近藤国高という者に身柄を預けられ、伊豆国奈古屋の奥に住んだ。そのうちに頼朝の所へいつも参上して、世間話などをして気晴らしをしていた

ある時文覚は頼朝に言った
「平家は運命が終わりになってきたようで、智略勝れた重盛様が去年8月亡くなられました。今は源氏・平氏のうちで、あなたほど、将軍にふさわしい骨相を持っている人はいない。早く謀反を起こして、日本国を征服しなさい」

頼朝
「私は亡くなった池の尼御前に、命を助けて頂きましたから、池の尼御前の後世を弔うために、毎日法華経を転読する以外、ほかの事は考えていません」

文覚
「天が与えるものを受け取らないと、かえってその為の罰を受ける。よい時機が来ても実行に移らなければ、かえって災いを受ける」

「私が、あなたに深く心を寄せているしるしをご覧下さい」

懐から白い布に包んだ頭骨を一つ取り出す

「これこそが、あなたの父上、源義朝様の首ですよ。平治の乱後、獄舎前にうち捨てられ、苔の下に埋もれて、弔う者もなかったのを、文覚は思うところあって獄の番人に頼んで貰ってきて、この十余年首にかけて山々寺々を参拝して歩いて弔い申しあげましたから、今は一刧の苦しみからも助かりなさった。だから文覚は義朝様の為にも尽くした者なのです」

頼朝は文覚の言葉が本当だとは思わなかったけれど、父の首と聞いて
懐かしさに、涙を流した