有り難くて涙を流す
暫くすると有り難い心は去り、あの時の私は何が有り難くて涙を流したのか恥ずかしいと、自らを疑う心になる。私には2つの心があるのか?
有り難いと思うべき事を
有り難く思わないような恩知らずのしぶとい私が、たとえ暫くでも有り難いと、仏の御恩に目覚め、有り難くて涙を流す時、これ自分の発揮ではなく、仏の御心が私の胸を通られ、久遠以来、私の為に流していただいた仏の涙が、私の瞼から溢れ流れ喜びと感謝せざるを得ず
喜びは仏が私に与える。喜びを自ら造り出そうとするときは、私はいかにしても喜ばぬ、有り難がらぬ、しぶとい奴として残るのみ
世には有り難く思えない
喜べないと、嘆く人がいる
この人は自力の執心が取れていず
「自分で喜ぼう
自分で有り難がろう」
と思うがゆえに喜べず、有り難く思えない
自分は慈悲心などわからない
自分では喜べない
自分は与える力もなく
受ける力もない不埒な奴と気づく時
私を呼ぶ仏の御心を仰がずにはいられない。そんな時には喜びが溢れる
自力では何もできない
ただ他力を頼み奉る外はない