るるの日記

なんでも書きます

昭和3年発行の旅の本より「磐梯山麓の川上温泉」

2022-03-17 12:08:08 | 日記
■東北の会津磐梯山の中腹に、ささやかな山の温泉「川上温泉」がある
全面には吾妻連峰を望む
海抜2500尺(757.575m)の高地
むろん電灯などなく、ランプを用いている

東京から直行の汽車は、上野発午後9時40分。郡山廻り新潟行き以外はない。その他は郡山で乗り換え

★磐越西線・猪苗代駅から3里(11.78km)程離れた山の中で、この3里は徒歩以外に交通の便がない
道は悪い道ではなく、登り道だが坂という程でもない
高原の山裾を長瀬川に沿って上って行く
右には急流の長瀬川を隔て吾妻連峰を望み、左には磐梯山が聳えている。後ろには白く湛えた猪苗代湖が見える

★もう1つの道は、磐越西線川桁駅から沼尻行きの軽便鉄道に乗り、樋ノ口で降り、樋ノ口から長瀬川に沿って1里半を歩く道である
この道は険しくもなく、楽でもない。ただ景色がよく美しい高原、清澄な空気が嬉しい

そこに川上温泉という
ささやかな温泉がある
戸数67軒
今は寂れて宿らしい宿は2軒しかないが、昔はなかなか繁盛したという


温泉から
★半道(2km)に秋元湖
★1里(3.91km)に小野川湖
今は両方とも水力発電に使われ、
東電の溜水門がある

更に1里半(1.96km)に檜原湖
同じく1里半の噴火口までの間には五色沼が湛えられている









昭和3年発行の旅の本より「滑雪塊(ホフラ)と雪坊・雪女の因果関係」

2022-03-17 11:16:36 | 日記
■雪国で恐ろしいのは、雪崩と滑雪塊(ホフラ)である

★雪崩は周期的なものと突発的なものがある。時期は2月下旬から3、4月に多い

★滑雪塊(ホフラ)は雪崩に似て非なるもの
時期は12月前後に起こり、まったく突発的である

高山に雪深く積り凍る。その上にまた雪深く降り重なる。時の気運によって、まだ凍らない積もる雪に、大木に積もった雪が落下し、その雪の塊が傾斜面を転がり下りる。転がるうちに雪塊は大きくなり、重くなり、大石の如く転がり下りる
そのためまだ凍らない雪は押されて、雪津波を起こす。その勢いは大木をなぎ倒し、大石をも押し落とし、人家も潰す

ホフラは土地によっては、オホテ、ハヤ、アワ、ハワタリなどと言う

不意に滑雪塊(ホフラ)に合い逃げようとすれば、柔らかい雪は深く、走り難く、10人に1人助かるのもまれである。3、4月に入り雪が消えた後、死骸を見るというような悲惨なことに至る

■雪坊と雪女
ボコッとへこんだ雪塊の跡がある。「雪坊の一本足」=雪坊の足跡である。それが女性の場合は雪女だ
雪坊と雪女の共通点は「一本足」

この一本足は、積雪後に自然がなした形象であるが、怪奇であることから創造されたもので、特に雪に埋もれて死せる場所などに此の足跡がある
大きい一本足は滑雪塊に原因があるが、小さい一本足は、雪に閉じ込められている霊が本体の、雪坊や雪女であろう


昭和3年発行の旅の本より「市之瀬と落合」

2022-03-17 10:29:58 | 日記
■市之瀬
東京から直径距離23里の市之瀬は
電灯が無く榾火の不思議世界だった。榾火ばかりが不思議なのではない。村民の生活ぶり全てが榾火相当に甚だ時代的なものである

★全戸数40戸

★畳を敷いた家が2戸

★村は楠性が多い

訪問したクスノキマサシゲの家は、村内一のハイカラで、珍客を金平糖と番茶でもてなす程の裕福さであったが、畳は一枚もなく広い方の一室は板敷き、狭い方の一室は4枚の?が敷いてあるのみであった

板敷きの中央に一間(一辺1.82m四方)の爐(囲炉裏)を切って、天井から自在鍵をもって五升鍋を吊り下げ、一株4、5貫(18.75kg)あろうと思われる薪がくべられてあった
「市之瀬の身代(財産)は薪だ。あれだけは三井・岩崎(三菱)も及ばない」と言われる事はある

村は4つの字に分かれている
村には1つの寺、1つの小学校がある
寺=小学校なのである
先生は住職
年の頃は60歳位
1年生から6年生を一堂に集めて授業をする。科目は修身・算術・習字
1日の授業時間は3時間
まるで徳川時代の寺小屋である

国が児童の就学率99コンマ幾%の中に、このような学校も含まれていたのだ

先生は言った「何しに来なすった。この様な所は人間の来る所じゃねェ」

■落合
落合の下流3里に丹波山という山間の小都会があり、そこから毎朝、木炭などの物産を馬に積んでやって来る
一方、えん山からは米・醤油・酒などその他日用品を積んでやって来る

両方の馬は正午頃、落合唯一の茶屋で会合して、荷物を交換して帰って行く
滅多には人も行き交わぬ山路で、馬の鈴の音を聞き、古風な馬士唄を聴く





昭和3年発行の旅の本より「東京から多摩川を沿って水源地までの旅」東京→立川→二俣尾→氷川村→鶴の湯→落合→市之瀬

2022-03-17 09:21:21 | 日記
歴史は時間・縦の記録
地理は平面の記録
その地理は、時間の記録である歴史を平面的に記録するものでもある
つまり地上に生きた歴史が横たわっているのだ


🔶東京から多摩川に沿って、市民の命である水源地まで溯り上がる旅をした。三泊旅行である

1里=3.931km(徒歩約1時間)

■ルート
★東京駅
↓汽車(23.3里)
★立川
↓電車()
★二俣尾
↓車・人力車(4里)
★氷川村
↓人力車(3里)
★鶴の湯
↓徒歩・馬(7里)
★落合
↓徒歩(1里)
★市之瀬

奥多摩の渓谷は東京近郊第一の風景地で明るく美しい。ただそのスケールが大きくて深刻だ。しかしこの旅は風景は関係ない

■交通機関と時代
★東京→二俣尾
【現代】

★二俣尾→氷川村→鶴の湯
【人力車時代】
※二俣尾には氷川村まで自動車が通じる道があるが、実際は御嶽行きで氷川には行けず途中人力車で行く

※氷川村から鶴の湯へは上り坂であるため、人力車にほとんど乗る人はいない

★鶴の湯→落合→市之瀬
【徳川時代もしくはそれ以前】

■電灯と時代
★氷川村までは電灯が灯っている
東京から178里まで現代

★それから落合までは石油ランプ

★犬切峠を越え市之瀬は榾火(木の切れ端を燃やす)
太古時代

このような不思議な世界があるとは、、
榾火ばかりが不思議なのではなく、村民の生活ぶり全てが榾火同様に時代的だった

つづく





昭和3年発行の旅の本より「『これがまあ、ついの住みかか、雪五尺』雪国の宿命的嘆息にも春への路は通じている」

2022-03-17 08:19:36 | 日記
途中の高田長岡の雪の深いのには驚いたが、新潟市は雪が少ないそうである
そうした雪の上に朝市が立ち、女は頭巾で髪を包んで毛布にくるまっているのも北国らしい
新潟は掘割(地面を掘って造った水路)の町で、堀に沿って柳が植えてある。若葉の時もよいが、冬の柳も悪くない

北国の灰色の空
信濃川の河口
日本海の港
この空気はどことなく哀愁を誘う
佐渡と新潟の間に発着する汽船のボーボーという音
灰色の空からいつも思い出したように、梅花のような雪がこぼれてくる。時として牡丹雪が吹雪となる。そしてそれがすぐ止んでしまう

吹雪吹く夕べ
ひっそりと気のあった友と酒を酌みかわし、美しい芸者の民謡を聴くのも新潟ならではの情調(その場所らしさの趣)であろう

「これがまあ、ついの住みかか、雪五尺」という小林一茶の嘆息は、雪国人の誰しもが抱くのかもしれないが、こうした宿命的嘆息にも、路は通じている
永い間の雪が溶けて春を迎え、壮絶された交通の開ける狂熱的な気持ちに、厳しい自然に対する愛も生まれてくる

佐渡は新潟から32里(125.67km)
汽船で4時間である
おけさ節でも越後のおけさと、佐渡のおけさとは節が少し異なっており、同じ佐渡でも相川と小木ではまた異なっているようである。その歌詞も極めて豊富で、知るだけでも百句を越す。それぞれに背景がある