■有るは、存在すること
花、草、煩悩、行為、、
自性とは本質(他と差別)
自性とは実体(存在の決定)
自性とは存在の内容
自性とは存在の背後の存在
自性とは識別できにくい
■具体的な存在の見方
花には花の
怒りには怒りの
喜びには喜びの
それぞれが他とは違う働きを持つ
それぞれが他とは違う姿を持つ
だからそれぞれが識別でき、存在が認識できる
そしてその具体的存在の、自性は有ると認識している
■ルルがいる
ルルにはルルの
(相)姿、働きがあり
(性)内容、宿業が有り
存在という意味が出てくる
■有ると見るは計らいだった
自性があるとするは計らいだった
■無いも計らい
自性の滅失である
「煩悩を滅して涅槃を得る」
の思想は有無の計らいがある
有無の計らいを棄てたら
「煩悩滅さず涅槃を得る」である
■有無も計らい
存在は生じ、滅しつつあり、滅するという事実があり
その事実はすべての存在の共通性だと見える
生じた→今まで無かった存在が、今有り始めた【本無く、今有る】
滅しつつある
滅する→今有る存在が、有ることを終息して無に還る【有りおわって無に還る】
生滅の見も、有無の見から成立
■生滅を滅するではなく
不生不滅の中道がいい
ルルは実は生まれてもいないし
滅してもいない状態
それは過去から未来まで変わらない
みたいなかんじ
■私の煩悩は自性ではない
宿業の束縛という因縁から、煩悩は発生したから自性ではない
自性は因縁で発生しない
因縁で発生したら自性ではない
だから変わる
■存在は無自性
だから実在しない
存在寂滅すれば因縁寂滅する
ルルは自性という特定された本質が無いから、どうとでも変わる
ただ、、今ルルは自分の存在を寂滅していないだけ、、それもどうとでも変わる
存在に自性有りと計らうから、生滅も存在する。だからがんばらなきゃならないが、やはり
生じも滅しもしないの中道がいい
生ずるとは有自性の存在が、どこからか来ること
滅するとは、どこかへ去り行く
生滅は來去に変わるだけ
■常住に仏まします。ルルもまします
寂滅法性法身の常住不壊
仏は色身で見るべからず
仏は來去せず。不動なり
無生は來去なし
無生は仏
無滅は來去なし
無滅は仏
空は來去なし
空は仏
ルルも過去からずっとそうだった
未来もずっと
■有我を棄てたから
自己についての來去も棄たる
一如の世界に入れば、もうただ
不退を決定させていただくのみ
全くの仏凡夫一体
「如来の自性は衆生の自性
如来は無自性。衆生も無自性」
有るは常住
無いは中断
有無にこだわるな
不常不断の中道を示す
有無の見の破壊
■周囲との関係について
一異を考えず関係を観察する
一異は有無の見
存在に自性があると見ることは
存在の別を見る
自他差別
何者も他との関係から離れられない
関係を考えるとは、他との別異でない証拠
全く別ならば別という意識もない
全く同一でも関係を考えない
関係を考えるということは、一切存在の同一性を感じているからだ