■歎異抄は世界のあらゆる文書の中で
一番内面的な、求心的な、本質的なものである
宗教の中で最も内面的な仏教
その中でも最も求心的な浄土真宗の
一番本質的な精神を取り扱っている
歎異抄は親鸞の信仰告白、述懐、随感等を書き留めておいたのを、親鸞没後、直弟唯圓がそれを基にして書いたものである。親鸞の信仰、浄土真宗の安心の中心眼目を徹底的に明らかにしたものである
歎異とは異義を嘆くという意味
■道には求心的な方向と、遠心的な方向がある
★求心的な方向は、自己の安心立命まで、どこまでも厳しく鋭い反省をし、宇宙根本生命と自己が一つに融合するまで掘り下げる。内面に向かう
★遠心的な方向は、安心立命を得た暁に、自己から他者に遠心的に反転し、周囲を整え、社会、国、世界のために働く
★安心立命の決定しないまま、遠心力方向へ向かう時は、道の真意から離れ、その結果ミイラ取りがミイラになるような愚かなものに終わることが多い(周囲を整えるつもりが、周囲に染まり、かえって自己が乱れる)
■歎異抄の方向性は、内界完成にあるので、首尾一貫して求心的なものである
信仰の本質問題から遊離せず
人間の心の実相を凝視し
生死の一大事と取り組み
救済の心証へと究め迫る
目指す目的に向かって
誠実に
一筋に
全生命を打ち込んで
わき目をふらない
■歎異抄から宗教の遠心的な方面を期待してはならぬ。遠心的方面にはそれに適した文書がある。日蓮の文書はその一つであろう
歎異抄からは、どこまでも内心の声を聴かねばならぬ。この書を読めばまだまだ自分が無難な生き方をしていると感じるだろう
■歎異抄がぴったりと心にはまり、その文章の調子が共鳴し、契合するようになれば、浄土真宗の信心はその奥所に於いて決定しているのです
所詮は
南無阿弥陀仏と申して
疑い無く往生するぞと思いて
念仏申す
のが決定道である
歎異抄はこの外の事を何も言ってはいない
我々の心を分岐させるようなことは少しも言わず、分散し外向する心を集約させ、求心させることのみ説いている