るるの日記

なんでも書きます

親鸞を知る「法然の不徹底・自力行と期待の念仏へ」

2022-03-30 10:35:15 | 日記
人はそれぞれ宿業が異なる
親鸞は、自分と法然の宿業の深浅を感得した。それは法然と40年も若い時代の差異もある

法然上人は持戒することを好んだが「持戒しなくては救われない」とは決して言わなかった。しかし凡夫から見れば法然上人のようにならなくては救われないのでは?と思ってしまう
法然を真似て暮らせば、凡夫悪業を救う如来の慈悲は感じられなくなる
それは浄土宗の信心の心持ちとは違ってくるからだ

凡夫としては、持戒して凡夫とは違う生活態度を送る法然上人は、【仰ぐべき人】であって、畏れ多くて仲間という気はしなかった

法然上人は自力精進を思わせる所があって、浄土宗から見るとこれは不徹底な部分だった

【その部分を親鸞は訂正し、徹底させた。後世にそれは〈浄土真宗〉という別の宗派立宗のような趣〈信不退〉となり、法然の浄土宗は行としての念仏へ発展した〈行不退〉

元々、法然は〈信行不二〉を説かれたが
「助けられると信じて称える念仏」から
「三昧発得、臨終正念、諸仏来迎を求める念仏、期待の念仏」
となった
これが法然の不徹底である
それができなくても念仏往生できる】

法然は親鸞に念仏三昧を勧めた
法然は自らを「念仏の行者である」と言ったが、親鸞は念仏の行者という言葉につまづいた。迷いが生じた
親鸞は、自分は師の法然上人よりも悪業が深い、煩悩が強いと自覚した。女がいなくては念仏に身がはいらない。それだけ清涼ではなく濁ったアクがあるのだと自覚し嘆き、と同時にその悪業の上に顕れる「弥陀の誓願の不思議」を感謝した
これが浄土宗の救いの自覚だ

同時に親鸞は自分の使命も自覚した。貴族的僧侶意識の誇りは捨て、自分は大衆の中に進む。大衆と同じ生活様相になり、その喜怒哀楽を同感し、肉食妻帯し、一介の凡夫となり、その生活の中で弥陀の大慈悲を感受し喜ぶのだ
自分の業の報いの方向はここにある

親鸞を知る「忍耐よりも自然に」

2022-03-30 10:13:24 | 日記
行者宿報設女犯
我成玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽

「貴僧がもし業報によって女人と交わる事になるならば、私は美しい女になってあなたの妻になります。そして一生荘厳な家庭をつくって、死ぬときには、極楽へ導き致します

これは我が誓願なり。この誓願を一切の群衆に聞かしむべし」

建仁3年4月5日
寅の刻
親鸞の霊夢で如意輪観音が白い蓮華に端坐して親鸞に告げた。親鸞はその時、東方の山岳の間に無数の感情が雲集しているのを見た。そしてこの夢の内容を欲望持つ人々に説き聞かせたく思った

浄土真宗の場合、僧侶が肉食妻帯を禁止せねばならないという根拠はない。凡夫を救う如来の慈悲を感じるためなら、守れもせぬ中途半端な持戒をやめてしまって、肉食妻帯し凡夫と同じ生活の様態になる方が潔い

当時は女犯、男色、肉食は僧侶の間に秘密に行われ、公然の秘密だった。これは人間の自然性否定に迷うからであり、むしろ肯定にして自然な解放が、健全で朗らかな心になる

「仏と縁なき人々は仏も救えない」という善巧方便

2022-03-30 09:40:23 | 日記
苦悩を得て道を求め初めた時が
弥陀のもよおし
それから20年ほどのさ迷いは
弥陀のはからい
安心立命決定の信は
弥陀の賜物

人の過去の生きざまが、救いのための過程であり、計画されていた
そう「弥陀のはからいに、はかられて」なるようになった

それは自分の目前の足元から
それは自分の生まれる因縁から
根こそぎ徹底的に計算されている
人は弥陀の善巧方便の中で動いている【善巧方便・仏が衆生を救うにあたって、相手の素質、性格に応じていろいろと手段をとること】
人の出来事は仏の掌の上の出来事
善巧方便は人智の知り得ない大慈悲のはからい。救いの本願から出ているはからい

〈ルルの場合〉
「しかし縁無き衆生は、仏にもどうにも出来ない。縁を結ぶために弥陀の名を称えよ。。」
この言葉を発見した時の心もちが
仏のもよおし
信じたいが疑う日々が
仏のはからい
信じて念仏を称えられた時が
仏の賜物