人はそれぞれ宿業が異なる
親鸞は、自分と法然の宿業の深浅を感得した。それは法然と40年も若い時代の差異もある
法然上人は持戒することを好んだが「持戒しなくては救われない」とは決して言わなかった。しかし凡夫から見れば法然上人のようにならなくては救われないのでは?と思ってしまう
法然を真似て暮らせば、凡夫悪業を救う如来の慈悲は感じられなくなる
それは浄土宗の信心の心持ちとは違ってくるからだ
凡夫としては、持戒して凡夫とは違う生活態度を送る法然上人は、【仰ぐべき人】であって、畏れ多くて仲間という気はしなかった
法然上人は自力精進を思わせる所があって、浄土宗から見るとこれは不徹底な部分だった
【その部分を親鸞は訂正し、徹底させた。後世にそれは〈浄土真宗〉という別の宗派立宗のような趣〈信不退〉となり、法然の浄土宗は行としての念仏へ発展した〈行不退〉
元々、法然は〈信行不二〉を説かれたが
「助けられると信じて称える念仏」から
「三昧発得、臨終正念、諸仏来迎を求める念仏、期待の念仏」
となった
これが法然の不徹底である
それができなくても念仏往生できる】
法然は親鸞に念仏三昧を勧めた
法然は自らを「念仏の行者である」と言ったが、親鸞は念仏の行者という言葉につまづいた。迷いが生じた
親鸞は、自分は師の法然上人よりも悪業が深い、煩悩が強いと自覚した。女がいなくては念仏に身がはいらない。それだけ清涼ではなく濁ったアクがあるのだと自覚し嘆き、と同時にその悪業の上に顕れる「弥陀の誓願の不思議」を感謝した
これが浄土宗の救いの自覚だ
同時に親鸞は自分の使命も自覚した。貴族的僧侶意識の誇りは捨て、自分は大衆の中に進む。大衆と同じ生活様相になり、その喜怒哀楽を同感し、肉食妻帯し、一介の凡夫となり、その生活の中で弥陀の大慈悲を感受し喜ぶのだ
自分の業の報いの方向はここにある